竹久夢二-愛と哀しみの人生2-なぜ女性像が支持されたのか?

明治・大正時代の寵児として一世を風靡した詩人画家「竹久夢二」。

彼の人生には沢山の女性が登場

明治から大正・昭和を生きた詩人画家「竹久夢二」、彼の人生の中には沢山の女性が登場します。
多くの女性達がモデルとなり夢二の絵に影響を与えました。
また彼の人生にも影響を与えている。

その中で有名なのは他万喜(たまき)、彦乃(しの)、お葉(カ子ヨ=かねよ)の三人。
生い立ちも性格も違う女性達、人気詩人画家との関わり合いは様々でした。

この記事は「他万喜-彦乃-お葉-生い立ちも性格も違う-愛と哀しみの人生-竹久夢二1」の続きになります。
前回の記事を先に読むことをおすすめします。

*「愛と悲しみの詩人画家竹久夢二」株式会社学習研究者刊、「竹久夢二抄」尾崎左永子著 平凡社刊、「待てど暮らせど来ぬひとを」近藤富枝著(株)講談社刊、を参考にしました。

【竹久夢二(1884-1934)】

明治17年岡山県邑之郡(むくぐん)本庄村(に生まれる。
家業は造り酒屋。名は茂次郎。
上京して早稲田実業高校から早稲田実業高校専攻科にすすむも中退、読売新聞社入社。
挿絵画家として「夢二式と呼ばれる女の形を創作した。
詩画集「夢二画集」「昼夜帯」「露路の細道」など。
(出典:一部広辞苑第六版より)

夢二はがむしゃらに描いた。「人間の悲哀の奥にある聖地」を求めて

夢二には“詩人になりたい”という夢がありました。
「けれど、私の詩稿はパンの代りにはなりませぬでした」
ある時、文字の代わりに絵の形式で詩を画いてみた。それが雑誌に採用されて驚いたという。

彼の詩人になる願望は絵を伴わなければ達成できない運命だった。

目的は「人間の哀しみを知る画家になりたい」

日本画の絵具でかく絵、木版画、水彩画、油絵を中心に研究した。
木版画・グァッシュ・ペン画・水墨画等、何でも描いた。
スケッチには鉛筆・コンテ・墨筆など何でも使った。

色々なテーマを様々の手法をもちいて表現した。
詩・短歌・童謡・俳句・小説、日記にいたる表現手段をもちいて書き残した。
絵ハガキ・封筒便箋・千代紙・祝儀袋のデザインから本の装飾、ポスターなどあらゆる分野にわたっている。

食べるために書いた絵、それが評価されて絵を中心に表現していく。
その中で特に人気があったのが「女性画」でした。

なぜ竹久夢二の女性像が支持されたのか?

彼の創作はその手法を変えていく。(彼の心のさけびでもある)
その中で特に支持されたのは女性画。

夢二の描く女性たちには“愁い”がある。

・両手を顔をおおうポーズ。
・ほっそりとしてS字に曲がっている姿。
・物思いにしずむ後ろ姿。
・女の艶なしぐさ。
・思い思いのポーズ。

*次のページで、夢二の生きていた時代について調べました。