「パン屋を襲う」村上春樹著 新潮社刊 を読んだ感想になります。
この本には1981年発表「パン屋を襲う」と1985年発表「再びパン屋を襲う」が一緒に載っていました。
二つの作品を通して記事を書いています。
*とても長い文章です。できるだけわかりやすく書きたかったのですが、小説の主題が明快に分かるわけもなく、難解な文章になってしまいました。
時間のある時に少しずつ読んでいただけると嬉しいです。
*ネタバレがあります。
本を読んでから記事を読むことを強くおすすめします。
「パン屋を襲う」
舞台:商店街の中央にあるパン屋
登場人物
主人公の男性、
相棒の男性、
パン屋のおやじ:頭の禿げた共産党員。
簡単なあらすじ
主人公の男性と相棒は空腹でパン屋を襲う事にする。
パン屋には頭の禿げたおやじがいて‥。
「再びパン屋を襲う」
舞台:
夫婦の住むマンション
マクドナルド
登場人物
主人公の男性
妻
マクドナルドの従業員
簡単なあらすじ
夜中2時に主人公の男性は妻である彼女に昔パン屋を襲ったときの話をする。
二人は空腹に耐えられずパン屋を襲う事にする。
パン屋は開いておらずマクドナルドを襲う事にする。
誰でも気持ち(本心)の見えない人とは気持ちが悪くて付き合えないと思います。
一緒にいても恐らく居心地が悪くなるのではないでしょうか。
もし自分の想像力に欠けた生き方が、その人の普段の様子からパートナーに伝わっていた。
そして彼も一番近くにいるパートナーの心が見えていなかったとしたら‥‥。
これほど恐ろしいことはありません。
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犯罪が起こる過程を考えた
ある人が例えばある一つの気まぐれな思いつきで犯罪を起こすことはないでしょう。
行動に至るには様々な理由が必要だと思うからです。
しかし“欲望が犯罪を起こすキッカケ”になる可能性はあります。
当然以前から気持ちの奥底に犯罪の種を持っていたのであれば尚更です。
その種は無意識に人から人へ伝染していくものだとしたら。
もっと怖いですね。
しようとしたことについての報いは必ずあって、それが「呪い」に言い換えられている。
つまり何かに取り付かれている時もあるし、何かを取り違えられていることもある。
彼(夫)は、彼女(妻)に昔パン屋を襲ったことを告白してしまう。
彼女(妻)も彼(夫)の話に対してどうして目立たないパン屋を襲ったのかという焦点のずれた質問をする。
ここから物語はすすんでいく(登場人物の解釈で)。
それは主人公の彼にとっては話す予定のないことでした。
しかし話し出してしまう。
そして聞かれたことに対してまともには答えられないのだから、話は途中で詰まってしまう。
しかし妻の頭の中では話は続いていて、
以前から彼に対して気になっていた事柄と頭の中で繋いでしまうのだ。
その夜の空腹はひどいものだったがパン屋の襲撃には発展しないはずだった。
しかし彼女は決行しようという。
なぜ彼は彼女がどうして今晩?という疑問に向かう。
それはあと数時間すれば・夜が開ければパン屋が開いていて、
何かしら食べられると言う“間違いのない未来”があるのに。
彼は現実的になっていたのに、予想外にも彼女は違った行動をする。
彼女は空腹(飢餓)でなくて「夫婦関係の疑問」からパン屋を襲ったのではないかと推測した。
自分はこれがこの小説の読みどころで、何かおかしな雰囲気を醸し出ている点だと思う。
事件の大小の違いはあれ、これはどの夫婦でもありえないことではない。
彼女と彼は2週間前に結婚したばかりである。
彼女には彼女なりの意見(テーゼ)があって当然。
その目的に沿ってことを進めるのだ。
*女性にとっての会話は、事件のきっかけになりうる。
様々な物忘れや偶然の重なりでも 起こりうるいうことだ。
振り返ると、彼が昔にパン屋を襲撃した時の二人の精神状態では、未来がなかったからだ。
そのことに対して妻が大きな疑問を持っている。
当たり前だ。
何しろここは不条理な世界ではなくて資本主義社会、奴隷に取られているわけでもない。
若い男が二人で稼ごうと思えばいつでも稼げるのに。
つまり空腹に関係なく完璧な犯罪なのだ。
つまり悪意を持って実行しようとしている。
説明などいらない。
しかし一方なぜそれをやってしまったかということについては、彼の説明が不足していて全然納得できない。
完璧な悪なのに、完璧に説明が出来ていない。