自分ではない誰かの言葉に触れること-「ささやかだけれど、役にたつこと」「熱」R-カーヴァー大聖堂より-感想

「熱」「ささやかだけれど、役にたつこと」を読んだ感想になります。
*大聖堂-レイモンド・カーヴァー著-村上春樹訳に収録されている作品です。

夫婦や子供など家族の話です。
普通の人々に降りかかる様々な問題。重たい話ですがサラっと描いています。

しっかりと心に響いてくるものがたりです。
日本的な感傷的表現に頼るものでなく、あくまでも現実に即したリアルな表現。
少し乾いているけれども要所を伝える文章。うまく言えませんがアメリカ的だと思いました。

*【注意】ネタバレがあります。
小説を読んでから、この記事を読むことをお勧めします。
感想はあくまで勝手な私の推測です。

「熱」

簡単なあらすじ

この物語は別れた夫婦・夫カーライルと妻アイリーン、彼らの子供の話が中心になって進む。

カーライルは高校の美術教師、妻は家出して彼の同僚フーブスと駆け落ちした。
彼らには小さな子供キースとサラがいた。
カーライルはベビーシッター選びに苦しみ、混乱する。妻のほうも置いてきた子供が心配。
二人が別れた理由は明確には出てこない

子供をどうするかを決めないで離婚している?。大人の勝手な行動が原因で子供が困っているのでお互いに後悔も滲む。
そんな時あらわれた新しいベビーシッターのミセスウェブスターである。
カーライルは彼女の存在に感謝し落ち着きを取り戻す。そんな時にカーライルは病気になり熱が出る。ミセスウェブスターに自分や妻とのことなどを話すうちに楽になっていく。

感想

ベビーシッターのことで悩んでいたカーライルは久しぶりに熱が出た。
ミセスウェブスターがきてくれて子供のことを任せられて、落ち着けたのもあるかもしれない。

熱は自分を休ませて癒すきっかけにもなる。
振り返るきっかけにも。
病気で熱が出ることは決して悪いことばかりではない。

カーライルの熱は、“体の中に簡単に解決できない重いもの”を作ってしまったから。
ミセスウェブスターはそんな時は何でもいいから話してみるのをすすめる。

色々な点で夫婦二人は共に足りなかった。
カーライルは後悔してるにしても、自分が子供に見せられるのは前を向いていることだと悟りはじめた?。
過去に縛られているだけでは解決しない。
過去と距離を置いて生きることを決めたのかもしれない。

夫婦二人がそれぞれ自分のくだした選択に迷っている。自分がした行動の責任を果すことに一生懸命。二人の変化を描いているともいえる。
二人と縁があるベビーシッターのミセスウェブスターは彼らの変化を温かく見つめている。

夫・妻が新たにあたらしい段階に進みつつある中、ミセスウェブスターも新しい生活に踏み出す。
三人はそれぞれに違う道を歩もうとしている。
子供が彼女たちを繋いでいたのだろうがこれからはそうもいかない。

カーライルは抱えている問題をプラスに、立ち向かう覚悟ができた。
この小説はその成長の過程を丁寧に描いている。

カーライルは人生の大変な時に「熱」が出た。
そういえばそんなこともあったなと、彼が後で振り返れるようになれたらいいなあと思いました。

*この小説における『熱』は、人生の転換点を象徴ではないかと思った。
誰もそれぞれの人生を生きている。自分の思い通りにいかないこともある。
理由もなく熱がでることもある。

「ささやかだけれど、役にたつこと」

簡単なあらすじ

妻アン・ワイスと夫ハワード・夫婦の間に起きた事件、息子スコッティーの交通事故が二人を不安の底に突き落とす。それはどこにも持っていけない不安。
入院している子供の容体は原因不明。
目覚めるのを待つ二人は、様々な不安・疑心暗鬼に苦しむ。
妻は子供の誕生日を祝うためにパン屋にケーキを注文していた。

感想

小説は幸せな夫婦に突然降りかかった不幸を描いている。
淡々とドキュメンタリーに近い感じで二人の心を丁寧に追いかけている。

・不幸は夫婦の上に突然に降りかかる。求めざる事故に体は堅くなり心は動かなくなる。
普段の景色が一変する。自分のいる場所さえ分からなくなる。

・子供の容体は見えてこない。事件は終わりが見えず不安が増すばかり。
やり場のない思いがある。今のところそれを埋めるすべはない。

・痛みを感じる余裕などない。時間の感覚もない。ただいまは祈るのみ。

・よくないことは続くものだ。不審な電話もかかってくる。

・他人のことを知りたくないのではない。タイミングが悪いだけ。

どうしようもない気持ちに直面した時どうするでしょうか?
自分ではどうしようもないこと。人は他人を思いやることで癒すことは出来る。
それは言葉・物・食べ物など色々ある。

自分の持っているものを分け与えること。
経験したことを伝えることもその一つ。
誰もが「ささやかだけれど、役にたつこと」を持っている。
それは他の人に対してだけでなく自分にとっても大事なことなのでしょう。

人は誰も他の人の心をキズつけたいわけではない。
ただみんなが生きるのに一生懸命で余裕がないだけ。

パン屋さんにとっては大切なことは、「ケーキを食べてもらうこと」だった。
それを二人に聞いてもらい、わかって欲しかったのだと思う。

小説の最後、パン屋さんが夫婦にあげた「パン」で胃を満たすことで会話が始まります。
そこから自然に“癒すための動き”が生まれます。
関係がいい方向に向かって欲しいと思いました。

「ささやかだけれど、役にたつこと」を読んで心に残った事

自分ではない誰かの言葉に触れること

人は降りかかる不安から「ことばに出来ないかたまりのようなもの」を体の中につくってしまう。
自分が作り出したものだったり、他の人が原因でできたものであっても、除去するのが難しいものを。

その“どうしようもない苦しさ”と、どうやって向き合うか。

それは“自分ではない誰かの言葉に触れること”で、違ってくるのではないだろうか。
それは『雑談のような何でもない機会』かもしれない。
雑談は相手の言葉を受け取る機会であり、自分のなかにある“かたまり”を下ろすことができる場所。
一時的であっても誰かの言葉に触れることで心の置き場ができる。

それが一歩踏み出す力をくれる。

人と人とつながることの意味、お互いに信じることの大切さ。

雑談の目的は特別なくても、話したいのは寂しいから。
あなたに興味があってきらいではないから。
何でもないことを話すのはあなたに心を開いているから。
どんなに境遇が違っていても無駄な話はないのだ。

「自分のことを話すこと・相手のことに耳を傾けること」で解決できることがある。
人を信じることで開けていくものがある。
信じることの大切さを言っているような気もしました。

(注意)個人的な感想です。
*最後までお読みいただきありがとうございました。