「パン屋を襲う」村上春樹著-感想【ネタバレ有り】想像力の不足が招く行動の危うさ

勝手な人間の欲望のありか

パン屋でなくてもいいという。
主人公の妻の言葉に違和感を覚えた。
結局パン屋でなければならないというのは、なんだったのだろうか?
最初の目的は何処へ行ってしまったのだろうか?

もし『本当の理想』であったらそれを追い続けていたのだろうか?

結局、犯行を計画したのは血気盛んな若者でなくても妻でなくてもいい、結局は誰でもありうること。
そして伝染してくこと。
行動の理由も呪いに変えてしまうこと。

なぜなら人間は自分の都合で物事を変えていくから。

しかしそこには理性がきいていない。
そして想像力が存在していない。

目的を達成した後人間は、その行動を起こした最初のきっかけや意味さえも忘れてしまう。

欲望で動いているのでそれが満たされたら、
その理由さえも済んだこととして棄ててしまう。

勝手でいいかげんな人間の欲望に、とっても粗くて鋭利な刃物の部分と、
そのもろ刃の剣として鈍感な感性をみた

火山の意味を考えた

彼が抱えている飢餓とは

「再びパン屋を襲う」の序盤に書かれている“特殊な飢餓”。
主人公の持つ理想(テーゼ)を意味しているように思った。

これがこの物語のキー、アクセルであり謎を解くカギになっている?。

彼はボートに乗っていて水の下には海底火山の頂上が見えている。
そしてそこまでの“距離感”は、水が透明なせいでつかめない。

海水の透明さは彼の気持ちをとても不安定にしていて純粋な空洞をつくっている。
その奇妙な体内の欠落感は「不在が実在するという感覚」だという。

「透明な世界にある静かに沈んでいる巨大な山と空いた穴。」
今は休んでいる火山。しかしいつ爆発するか分からないもの。

あまりに巨大すぎて不気味、個人の感覚に響かないもの。

「本当は言葉では説明できないもの」

しかし彼は海面に浮いているボートに乗っている。

「海水の透明さ」「純粋な空洞」「体内の欠落感」
このイメージをどうとらえるかにかかっている。

ただ「純粋な空洞」を若者の孤独や社会への疎外感だけで片付けることは出来ない。

なぜなら、それを生んでいるのは「飢餓」に関係しているから。
その欲望は目的を達成しても一時の満足でしかない。

その欲望を達成するにはターゲットは正式だろうが、まと外れだろうが関係ない。
つまり手段を択ばない「飢餓」が沈んでいるのだ。

そして彼はボートの下にある火山についてはっきり認識できていない。
それが彼女にとって得体のしれない怖さを生んでいる。

言いかえると彼は「想像力の欠如(呪い)」から火山を捉えることが出来ない。
だから茫洋としたイメージでしかない。