「椿の海」矢的竜(やまとりゅう)著-株式会社双葉社刊-本を読んだ感想になります。
千葉県の北東部(匝瑳市から旭市のあたり)は、水田が広がり米の一大生産地です。
他にいろいろな野菜も栽培していて、首都圏に出荷している有数の農業生産地です。
江戸時代前期に千葉県北東部にあった「椿の海」を干拓して水田にしたのが、農業発展の土台にあると言われています。
江戸時代初め千葉県の北東部、現在の匝瑳市・旭市・香取市の一帯は、大きな湖におおわれていました。“椿の海”です。
椿の海は周囲約40キロ、諏訪湖の4倍ありました。
『この海を干拓すれば米の一大耕作地になる。』
そうすれば多くの米を作ることができる。それは沢山の人々の生活を豊かにすることができるはずだ。そう考えた人がいました。
「椿の海」はこの干拓を始めたころの物語(約30年位)です。この小説は江戸時代に椿の海を干拓にかかわった人々がどういう道を歩んだのか。江戸時代の農民の生活や時代背景などが丁寧に描かれています。壮大な夢を持った人が願い出たのは幕府がからむ大工事。不許可、資金不足、反対運動、工事失敗など幾多の難苦に苛まれながらも、進んでいった人々の物語です。
*この物語がどこまでが事実で、どこまでが脚色なのか分かりません。
なので自分の解釈にて感想を書いています。ご了解ください。
時代:江戸時代前期
明暦(1655-58年)~寛文(1661-1673)~貞享5年(1688)ころ
*江戸時代は、1603-1867年までの約260年間の称(徳川時代・近世)
舞台
匝瑳郡・海上郡・香取郡(今の千葉県北東部:旭市・匝瑳市・香取市・東庄町あたり)
*【下総国】とは、地方行政区分の令制国のひとつ、東海道に属し、今の千葉県北部と茨城県南西部のあたり。当時は下総国全域は統合されていなくて幕府領や旗本領がいりみだれていた。
「椿の海」は、香取・海上・匝瑳の三郡にまたがっている湖。東西に3里(12キロ)、南北に1里半(6キロ)、面積は7200町歩(7140ヘクタール)、江戸からは21里(84キロ)で幕領(幕府の領地)。
主要な登場人物
白井治郎右衛門:53歳
江戸・本所に店を構える商人。白井米問屋(関東米穀の大手、使用人30人)を営む旦那で、商売は繁盛していた。“椿の海を干拓しようという夢”を持ち、後世に残る仕事を実現させようと努力する。
お光:白井治郎右衛門の妻。
和歌:白井治郎右衛門の妾。のち治郎右衛門の援助でお店を出す。
辻内刑部左衛門:49歳
徳川の譜代大名・桑名藩の大工の棟梁。武家屋敷や神社仏閣の普請から堀割り、運河の掘削など江戸の整備強化という幕府が大名に命じた大きな仕事をしている。大勢の人間を束ねる。
*桑名藩は慶長6年(1601)に伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)に立藩。
譜代とは、代々その家の系統を継いでくること。
佐助
辻内家に仕える奉公人25歳。生まれは西国で身よりはない。
取次という役目で、毎日訪れる多数の客を相手にして仕事をすすめている賢い若者。
女郎「由岐」を好きになり彼女を救いたいという気持ちから仕事にいそしむ。
椿の海を干拓に参加したことで人生が大きく動いていく。
由岐:新吉原の遊女。佐助のおかげで吉原から脱出する。
鉄牛和尚
黄檗宗(おうばくしゅう)の高僧。
*黄檗宗とは、日本三大禅宗の一、臨済宗の一分派。明の黄檗山万福寺の隠元が、1654年(承応3)来日、京都宇治に寺を建立して弘めた宗派。出典:広辞苑第六版
稲葉美濃守正則:老中、小田原藩主。
物語の簡単なあらすじ(序盤から中盤)
『江戸時代前期、椿の海を干拓して、広大な農地に変える』
その壮大な事業を夢見た人がいました。江戸の米商人であった「白井治郎右衛門」です。
その夢は数十年前に椿の海を干拓しようとした杉山三右衛門の発案から得たものです。杉山はお上に干拓願をだすも許可はされませんでした。
白井治郎右衛門は、桑名藩大工の「辻内刑部左衛門」に働きかけます。
お上に近い彼を巻き込むことで、その壮大な夢に向けて一歩を踏み出します。
白井治郎右衛門は辻内刑部左衛門に取り次ぎをしてくれた佐助と一緒に下総に旅に出る。
白井治郎右衛門は佐助に椿の海の回りを一周しようと持ちかけたのだった。
目的は声に耳を傾けながら椿の海を干拓することの実現性をはかっていくこと。
江戸から下総へ、5月初め二人の旅は始まります。江戸の本所を東へ向かいます。逆井(さかさい)から中川をわたり小岩、江戸川をわたり市川に入ります。船橋で一泊し下総入り。
左に筑波山系を見ながら東へ20里(80km)の旅です。
下総の西の端は飯塚村、小川村、鏑木村、諸徳持村、清原村へ。北の端の上代村、栗野村、小南村。
椿寺につきます。
*椿寺は香取の名刹の末寺、正式名は「妙高山観福寺」。
見広村から、後草へ。後草では漁師と出会う。湖の南端は台地と斜面、太田村、仁玉村。西には井戸野村、川口村、最後が椿村。二人は4日間かけて椿の海を一周する旅を終えた。
それは「想像を超える大きさだった」
湖畔に住んでいる人々は場所により様々で色々な環境で暮らす。
沢山の村が点在する環境で意見も一様ではなかった。
現在の湖で漁師をして魚などから恩恵を受けているひと。逆に漁も出来ない地域の人々。小さい子供がいる家は危ない環境を憂いている。干拓に反対する人々もいて旅は神経をつかうものでした。
それでも細やかな機微をくみ取りながら壮大な夢に向けて想いを膨らませます。
しかし明暦3年正月に江戸で大災害が発生します。
「明暦の大火」で沢山の人が犠牲になりました。干拓話どころではなくなった。
大火から十年後がたちます。
復興も進み干拓の話が出せるまでになった。白井は辻内と再会し佐助が間に入って進めることに。
干拓願い書の提出に向けて工事費を見積もってみて、白井治郎右衛門は言葉を失った。
工事費は概算で4500両とかなりかかる。さらに佐助から申請するにあたり(お上への)口利き料として1000両を用意してほしいといわれたからです。
白井治郎右衛門は不安に襲われる。
悩みながらも夢の実現にすすむことを決意したのだが、辻内に相談します。しかし辻内の思惑は違ったところにあった‥‥。
工事は順調にすすまず、資金不足の問題などがあり白井治郎右衛門は干拓事業から降りることになる。様々な難問があり事業は中断しますが、辻内はあきらめませんでした。
縁者(栗本屋・野田屋)から資金の提供を受けました。彼ら二人加え“三元締め”として粘り強く交渉し干拓の再開を果たしました。
さらに難題がおきますが辻内刑部左衛門は高僧鉄牛の肩入れと将軍家綱の賛同を得ることに成功します。将軍の賛同は反対派への交渉に強い後押しとなりました。高僧鉄牛も大きな役割を担います。彼が説いたことで農民の気持ちを動かす原動力となりました。その言葉の重みに突き動かされた農民が絶望の縁から新たな希望を持ったのです。
こうして工事を実行し椿の海の水門は開かれましたが、強行した工事の結果、水は予想をはるかに超えてあふれ出します。大きな犠牲を払うことになるのです‥。
時代の変化
都市に人が集まる、米はお金、市場経済が始まる前
江戸時代初期、自然災害が多発していた。「諸国山川掟」による乱開発がその原因ではないかという声もあった。幕府は対策を迫られていた。
椿の海の実現には逆風が吹いていました。しかし大棟梁となった辻内刑部左衛門は自分の地位を守るために、椿の海の干拓をすることが必要だった。実現には老中稲葉さまと鉄牛の力が必要だと判断して動く。しかし稲葉美濃守様の辻内に対しての要求は厳しいものだった‥。
壮大な夢「椿の海の干拓」を実現しようとした白井治郎右衛門は夢半ばにして資金不足から事業から降りる。辻内刑部左衛門はあきらめずに干拓をすすめ実行する、のち無念の終わり方を迎える。
椿の海干拓というロマンが生む困難
夢がなければ未来はない。未来を求めて進むも権力が様々な人を翻弄します。
お上の思惑や農民の反対などがからみます。沢山のお金が必要になりましたが、お金が集まることで地元の人々の運命を変えていきました。
幕閣は政策を商人の財力に頼っていた部分もある。理想だけでは続かない、事業は失敗してはいけない。お上からは自業自得とみなされる。場合によっては罪として葬られる。理不尽なことも多い。
大きな仕事であればあるほど幕府の許可も難しい。実現には沢山の人の協力が必要だが、この時代に治水技術は未熟、人材も限られている。
さらに自然を人間が作り変えようとするのだから、予想を超えた困難が待ちかまえていた。
水は丸にも四角にもなる
小説の中に椿寺の和尚の話が出てきます。
それは「水は丸にも四角にもなる」というもので、これからの干拓事業の先行きを暗示するものでした。
米問屋の家主がいだいた壮大な夢が最初ですが、次第に様々な利害もからみ、資金不足にも陥り話は頓挫します。数年後に事業は動き出しますが、事故で様々な人が犠牲になるなど壮絶な物語でもあります。
和尚の言葉からその意味を自分なりに想像してみました。
水は米の生育に役に立つが、人間が自由に扱えるものではない、牙をむく時もある。
人間の自然に対しての奢りに警鐘を鳴らしているような言葉です。
深読みするとお金の使い方を暗示している、人との付き合い方についての注意とも取れます。
善も悪も混濁し理想は次第に形を変えていきます。人間は完ぺきではないからでしょう。
感想
大きな夢の実現にむけて全身全霊をかけるひとがいます。同時に『小さな夢』をもって日々を大切に生きている人々がいます。この小説の読み所なのかなと思いました。
白井治郎右衛門の妻『お光』や、妾で居酒屋を開く夢を持つ『和歌』などが登場してきます。佐助と吉原の女郎『由岐』との悲しい恋の物語もあります。物語の節々に登場して物語に深みを加えています。それぞれに思いやりや愛情を感じました。
時代劇で著名な筆者「矢的竜さん」の物語に・筆さばきにドラマに引き込まれました。興味を持った方は是非読んでみてください。
語り部だから伝えられる希望がある
この本は“語り部”が椿の海の干拓の話を 皆(近所の子供たち)に語って聞かせる形をとっています。
その語り部の言葉を引用すれば、“大きな鬼や小鬼が登場する物語”です。確かに人間の奥にある“醜い鬼”が姿を見せます。
夢を断念した人がいました。自殺した役人もいました、悪事を働く者もいました、罰せられるものもいました。干拓は完全に完成したわけではなく、まだまだ問題は山積していました。
それでも物語の最後に希望の光が見えてきます。
干拓事業が一段落して落ち着きを取り戻し、語り部も“本来の自分”を取り戻していきます。
“語り部”は、自身の仕事・今までしてきたことへの後悔がありました。多くの想いが渦巻いていました。それでも彼は“これからは自分のできることをしよう”と立ち上がります。彼は成長したのです。
最後“語り部”は、約30年にわたる「椿の海」の物語を語り終えます。
彼は「椿新田のお地蔵さんを守っている。孤児の世話をしている」といいます。
この話をしていた人物は名乗りません。
語り部が誰なのかを想像してみるのも面白いと思いました。
この物語は「干潟八万石物語」のはじまり
椿の海の水を流した後、農民はつかいものにならない干潟と水不足に悩まされます。
明治から大正・昭和とこの地域は干ばつや塩害などに見舞われました。
干拓の諸問題が解決したのは平成のことです。とても長い年月を要しました。
この一大干拓事業は“干潟八万石物語”と呼ばれています。
江戸時代前期から平成の利根川用水事業完成まで沢山の人の工事、また地元の農民の力により豊かな作物の生産が可能になったのです。現在の千葉県東総地域は、農業の一大生産地。田畑の豊かさは干拓の長い歴史があってのことでした。
その先人の苦労はいかほどだったでしょうか。色々と想いを馳せました。
*最後までお読みいただきありがとうございました。
「椿の海」矢的竜著-株式会社双葉社刊を読んだ感想でした。
一部「椿の海の干拓」旭市図書館、旭市民会館、旭市文書館刊を参考にしました。
椿の海の干拓についてははっきりしていないことも多く、文献にも様々な違いがあります。疑問の方は実際に調べてみることをお勧めします。
「干潟八万石物語」については、このブログの別の記事にて詳しく書いています。
よろしかったら読んでみてください。