物語に影響与えた妻ゼルダへの愛-「グレートギャッビー」村上春樹訳-考察3

*「グレート・ギャッビー」スコット・フィッツジェラルド著 
村上春樹 翻訳ライブラリー 中央公論社刊を読んだ感想になります。

【村上春樹さんは、小説「グレート・ギャッビー」の優れている点をこう言っています】
すべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精微に、そして多義的に言語化されている文学作品。

小説としての「目標であり、定点となり、小説世界における座標のひとつの軸となった」と。

*しかしこの本は、読む人によって評価が分かれているようです。*

そこで自分なりに、この小説が評価されている部分を探してみました。
下記の三つに絞りました。
小説の時代背景(1922年)と表現
語り手の役割とは。
物語に影響与えた妻ゼルダへの愛。
この記事は上の③について書いています。

【注意】一部推測を含みます。

*この記事以前に作者、舞台、登場人物、簡単なあらすじ、感想を書いています。
ひと夏の美しくも哀しい物語-「グレート・ギャッビー」フィッツジェラルド著-村上春樹訳-感想』です。この記事を先に読んでいただくと、考察記事①②③をより興味持って読んでいただけます。

*小説を読んでから、この記事をご覧になることをお勧めします。

「グレート・ギャッビー」村上春樹訳-考察3

物語に影響与えた妻ゼルダとの関係。

村上さんは訳者あとがきで、作者スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダについて書いています。

フィッツジェラルドは「自分が体験した事や、自分が目撃したことをもとにして物語を拵えていくタイプ」の作家。一方彼の妻デルダは「パーティなど派手好きな女性」で落ち着きがない女性。

彼女との夫婦関係がなければ、
おそらく「グレート・ギャッビー」という作品は生まれてこなかったのではないかと。

フィッツジェラルドは短篇小説をかく流行作家でした。
傑作長編小説を書きたいという欲望もありました。

彼は1922年(26歳の時)ニューヨーク郊外のロング・アイランドにある住宅地グレートネックに引っ越した。
ここで落ち着いて創作にうちこもうとしたのだが、ゼルダはアクティブで派手好き、彼女は賑やかなパーティ漬けの生活になった。
彼は創作に集中できない時期もあった。

フィッツジェラルドがこの作品の構想は得たのは1923年(27歳)で、翌年フランスのリヴィエラに渡って書き上げられています。

ゼルダは“彼の集中した執筆活動にたいしての嫉妬”もあって気に入らなかった。
ゼルダは夫に対して意趣返しをしようと浮気めいたことをする。
その夏はあれこれ騒動があった。それでも彼は集中力を保ち作品を完成させた。
彼女と別れることもなかった

その騒々しい日々も無益ではなかった。
「“妻ゼルダとの暮らし”は小説の中の舞台背景や人物造詣に大きな材料をあたえていた」という。

ゼルダとの関係が変化していっても、フィッツジェラルドはゼルダとは一生を共にしようと誓います。

【フィッツジェラルドとゼルダとの歴史】
フィッツジェラルドは大学中退後軍隊に入ります。
アラバマ州駐屯中に州最高判事のゼルダと恋に落ちました。
それほど売れていない作家だった彼は、一度は婚約を破棄されますが、フィッツジェラルドは書籍「楽園のこちら側」の成功で、ゼルダと結婚することが出来ます。
フィッツジェラルドの思いは達成されました。
しかし売れたことで、フィッツジェラルドとゼルダは放蕩生活を繰り返すことになる。
ゼルダの精神障害フィッツジェラルドの飲酒癖もあり、二人の人生は次第に破滅的になっていきました。

彼にとってゼルダは愛した人、どんな状況にあっても大切な存在でした。

「グレート・ギャッビー」という作品の誕生には、二人の人生が大きく関わっているそうです。

*「グレードギャッビー」に作者フィッツジェラルドと妻ゼルダの物語と重ね合わせると、物語の登場人物の造詣の深さも納得できました。

この本の物語の始まり(第一章の前)には、短い言葉が書かれている。

―再びゼルダに

この言葉を“物語の前置きとして”始めています。
この小説が彼女に対してあるメッセージを持っていたことが分かります。

それは生活をするために書いていた小説がそれだけでないことを知る、
別に意味を持つことになった時期と重なっていたのではないかと想像しました。

【推測です‥】
フィッツジェラルドに変化があった。
自分を表現するために書いていた小説は、実は違う意味を持っていた事を知った。
それはゼルダが小説の世界を広げてくれたからできたこと。
『愛する人・ゼルダ』のために書いていたことを、この小説を書くことで『あらためて感じた』のではないでしょうか。

小説とは、揺れ動く世界の中で「戦っている自分を支えるために書くもの」で「確かなものは自分の経験にのみある」と信じていた彼の価値観が次第に変わっていった?。

考察1-2-3を書いて、色々考えたことのまとめです。

歴史的な背景が明確に書かれていても、語り手がいかに上手に物語を語ったとしても、まだ足りないことがある。

人は話の筋(ストーリー)に感動する訳ではない。
“生きた人間の経験の物語”、男性の女性に対しての愛の物語(真実)が人の心を打つ。
(そこがこの小説が高い評価を得ているポイント)

小説を書くこと(語ること)は、生きた証(個人的なこと)。
そして物語は、『語り手自身の大切なもの(宝)』なのだと思いました。

最後に

「すべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精微に、そして多義的に言語化されている文学作品。」
この小説に対して村上さんの評価がどうして高いのか、少し分かったような気がします。
小説を作者の意図をくみとって読むことは簡単ではありません。
出来事ばかりを追いかけず、じっくりと作品と向き合いたいと思いました。

*難しい文章を書くつもりなく始めましたが、簡単には書くことが出来ず長くなりました(-_-;)。
かなり分かりにくかったと思います。
最後まで我慢してお読みいただきありがとうございました。
【注意】個人的な意見です。


【参考文献】
「グレート・ギャッビー」スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹 翻訳ライブラリー 中央公論社刊より一部引用しました 。
「アメリカの歴史を知るための62章」富田虎男、鵜月裕典、佐藤円編著 を参考にしました。
素晴らしい文章で勉強になる本です。アメリカの歴史・文学について知りたい方にお薦めします。