ひと夏の美しくも哀しい物語-グレート・ギャッビー-村上春樹訳-感想

*「グレート・ギャッビー」スコット・フィッツジェラルド著 
村上春樹訳 翻訳ライブラリー 中央公論社刊を読んだ感想になります。

この記事では、
作者、舞台、登場人物、簡単なあらすじ、感想について書いています。

【注意】小説のあらすじ・感想は、若干のネタバレ含みます。
読んでから、記事をご覧になることをお勧めします。

【村上春樹さんは、小説「グレート・ギャッビー」の優れている点をこう言っています】

すべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精微に、そして多義的に言語化されている文学作品。

小説としての「目標であり、定点となり、小説世界における座標のひとつの軸となった」と。

それほどまでに村上春樹さんが評価している「グレート・ギャッビー」とはどういう作品なのでしょうか。

【村上さんがこの時代生まれの小説を翻訳(表現)する際に大切にしたこと】

「この翻訳はこの本の古典としての表現である古風な言い回し・時代的な装飾は、本当に必要なものだけを残し、出来るだけお引き取りを願うことにした」といい、「現代の生きている語」として書き直している。

「キャラクターの会話は生きたものでなければならないし、息つかいのひとつひとつが意味を持たなくてはならない」という。(本のあとがきより)
その点に留意しながら読み進めました

【スコット・フィッツジェラルド:Francis Scott Fitzgerald】

アメリカの小説家(1896-1940)。
ミネソタ州セントポール生まれ。プリンストン大学に補欠入学。
大学中退後に軍隊に入る。アラバマ州駐屯中、ゼルダ・セイヤ―と恋に落ちる。後に結婚。
幸せな結婚生活の時期もあったが、ゼルダの発狂闘病や自身のアルコール依存、一人娘の養育という重荷を背負いながら創作活動をおこなう。
失われた世代」に属する。
1940年四十四歳の若さで亡くなった。
代表作品は「楽園のこちら側」「華麗なるギャツビー」「夜はやさし」など。
生活のために乱作した膨大な短篇の中にはとても優れた作品もある。

「失われた世代」とは?
堅苦しい19世紀の道徳観を保持していた大人の世界に対する反抗する若者。
物を書くことによって古いアメリカの価値観に反抗する物書きもいた。
アメリカを捨ててパリに移住するものは、享楽におぼれる生活をしていた。

*「グレート・ギャッビー」村上春樹訳(あとがき)。
「アメリカの歴史を知るための62章」富田虎男、鵜月裕典、佐藤円編著 を参考にしました。

【小説の舞台】

ロングアイランドにある
「ウェスト・エッグ」と「イースト・エッグ」
ニューヨーク市の真東20マイル離れた場所にあり、細長く伸びた騒がしい島の上に、尋常とはいいがたい地形をとった二つの場所。
二つはロング・アイランド海峡をはさんで対岸にある一対の卵のよう。

「ウェスト・エッグ」は、高級感に欠ける地域。
“成りあがってお金持ち”になった人が住む場所。

「イースト・エッグ」は、高級住宅地。
“昔からのお金持ち”が住んでいる場所。

この地域について、ニックは冒頭で
「北米大陸の中でも、もっとも風変わりな地域社会のひとつ。」だという。

*物語の舞台設定は、読む人に様々なイマジネーションをうみます。
「東部(腐敗)と中西部(道徳)」「都会(人工的)と田舎(自然)」「富裕層と貧困層」など。

印象的な場面に登場

「灰の谷間」
土埃が舞う荒涼たる灰色の土地(灰が育つ奇怪な農場)
ウェストエッグとニューヨークの真ん中あたり、クイーンズ地区にある。
巨大な「エックルバーグ博士の眼鏡と青い眼」の画かれた看板がある。
*近くに ジョージ・ウィルソンの自動車修理工場がある。

「クイーンズ・ボロ橋」
イースト川にかかる橋。
ギャッビーとニックが車にのり、ロングアイランドからマンハッタンに入る時に渡る。

「ニューヨーク市」
ニューヨーク駅、五番街、セントラルパーク。
マートル・ウィルソンのアパートメントがある。

【おもな登場人物】

『語り手』であり主人公、
「ニック・キャラウェイ」
キャラウェイ家(中西部では知られた家柄)出身。1922年西部から越してきた。
債権会社に勤めている30男。ものごとをすぐに決めつけない性格。
ウェスト・エッグの一軒家(月額80ドルの貸家)にすむ。
海峡から50ヤードと離れていない家。
*隣の屋敷にギャッビーが住んでいる。

「ジェイ・ギャッビー」
ウェスト・エッグ庁舎を模倣して作られた屋敷にすむ。
大理石作りのプール、40エーカーを超える芝生がある。
30歳をひとつかふたつ超えたくらい。仕事は謎の部分が多い。
エレガントだが粗暴さのうかがえる若い男。
人に永劫の安堵を与えかねないほどの類まれな微笑み、念の入った丁重な物言い。

「トム・ブキャナン」
高級住宅地イーストエッグにすむ。
「トム」とニックは大学時代からの知り合い。
元フットボール選手の30男。テノールのどら声。
肉付きのいい、麦藁色の髪の毛、態度はみるからに偉そう。

「デイジー・ブキャナン」
トムの奥さんニックの再従弟(またいとこ)の子供。
心のこもった表情、道理のない、小さくチャーミングな笑い。
低くスリリングな声。切なげで愛らしい、輝かしい瞳、熱を含んだ輝かしい口もと。
思いついたことをくちにする。

「ジョーダン・ベイカ―」
ディジーの友人。
胸の小さな細身の女性でグレーの瞳。
背筋が伸びた姿勢がいい。
気だるくチャーミングでどことなく不満げな顔。
ゴルフ・トーナメントに出ている有名なスポーツ選手。

「ジョージ・ウィルソン」
クイーンズ地区「灰の谷間」近くに住む。
自動車販売・修理工場を経営。
マートル・ウィルソンの夫。
金髪でのそっとした感じの男。
淡いブルーの目に力ない声、生気が感じられない。
トム・ブキャナンとは車の売り買いをする関係。

「マートル・ウィルソン」
ウィルソンの妻トムのニューヨークにいる愛人。
30代半ば、肉づきのいい女性。顔には特別な美のしるしや輝きはない。
手の込んだドレスを着ている。
強烈なバイタリティー・尊大さ・笑い声・身振り・権柄ずくなものの言い方
気取った甲高い声。

【簡単なあらすじ】

1920年代のアメリカ、希望に満ちた時代を迎えようとしている。
イースト・エッグには富裕層、ウェスト・エッグには成りあがった人が住んでいる。
小説の語り手である「ニック」は西部出身で癖のない人間。
都会ニューヨークにも近く、通勤に便利なウェストエッグに引っ越してきた。

イーストエッグには友人トム・ブキャナンと妻のデイジーが住んでいる。
デイジーはニックのまた従弟の子供。
デイジーの友人でスポーツ選手・ベイカーが住んでいる。

(ニックは物語の語り手、主人公の一人でもあり物語に深くかかわる)

ニックの家の隣にすむ屋敷に「ギャッビー」がいる。
引っ越してきたばかりのニックは、少しうさんくさい「ギャッビー」に関心がある。

ニックは彼のパーティーの参加して、知り合いになる。

廻りを取り囲んでいる人物は派手で個性的なお金持ち。
しかしギャッビーはそれとは違う人、東部にまじわらない人物だった。

ジョーダンをつうじて、ギャッビーは昔、(今は)友人トムの婦人「デイジー」を恋していたことを知る。

彼がパーティを開く目的は、彼女との縁を復活することにあった。
ギャッビーは空白の時間を埋めようとしてデイジーに接近する。

ニックは彼と親しくなるにつれて、“彼の人生が真っ直ぐなものだった”ことを知る。
次第にニックのギャッビーに対する見方が変化、信頼に値する人物になっていく。

しかしデイジーの夫トムはギャッビーとデイジーとの関係を疑い始める。
彼の真っすぐな気持ちは、哀しい結末を招いてしまう。

【感想】

最初はニックの周りに登場する人物の特徴と関係を追いかけるのに精いっぱい。
ニックがギャッビーと出会ってからは、ギャッビーの謎めいた雰囲気もあり。
中盤からは物語に引き込まれ、あっという間に読み終えてました。

時代がダイナミックに動き、人物はそれぞれ個性豊かに物語をいろどります。
舞台含めてそれぞれが計算されて有機的につながり、ドラマを運命づける。
そんな感覚もあります。

ディテールはかなり細かく繊細、村上春樹訳ならではなのでしょうか。
なんどか読めば、より深く物語が分かってくるのかもしれません。

派手に暮らす富裕層たちの間で、ニックは冷静にギャッビーをみつめます。
語り手ニックはギャッビーの魂に寄り添い始めますが‥。
彼の思いは、かなえられることはありませんでした。

ギャッビーの人物像はなかなか捉えにくいものでした。
ただいえるのは、ギャッビーはニックをフィルターにして『真実』を伝えている。
ニックの視点で「ギャッビー」を感じるしかないのかもしれません

お金や名誉だけでないもの、生きる目的。
「人が人としてまっすぐである」とはどういうことなのか?
生き生きとした登場人物のいぶきもあり、時代を越えて訴えかけるものがありました。

恋・出会い・友情とはどういう意味を持つのか、色々と考える小説でした。

【補足】小説に出てくる言葉「オールド・スポート」の意味

「オールド・スポート」、ギャッビーが小説の中で頻繁に言う言葉についてどういう意味なのか、悩まれた人もいるかと思います。自分も悩みました。
それについては本の解説に書いてありましたので紹介します。

村上さんによると「オールド・スポート」とは“英国人の当時の言い回し”だそうです。今の「old chap」に近いもの。
「アメリカ人はまずそういう表現はつかわなくて、アメリカ英語に求めるなら、おそらくmy friend になるだとう」という。

そして「ギャツビーはたぶんオックスフォードに在籍しているときに、この言い回しを覚えたに違いない。
身についた口癖として、ある種の気どりとして、その言葉を使い続けていたのだ」

この言葉の使いまわしが、「ギャツビーの生来の演技性(うさんくさく、ナイーブ)をもつキャラクターを表現し、こんな俗物性が、本物の上級階級の人、トム・ブキャナンの癇ににいちいち障ることになる」という。

つまりこの「オールド・スポート」という言葉が、この小説の中で力(意味)を与えられ、物語を動かす大事な要素になっている。

*主に「グレート・ギャッビー」スコット・フィッツジェラルド著
村上春樹訳 翻訳ライブラリー 中央公論社刊 より一部引用・参考にしました 。

*最後までお読みいただきありがとうございました。
【注意】感想は個人的な意見です。

【参考文献】
「たのしく読めるアメリカ文学」高田賢一、野田研一、笹田直人編著、ミネルヴァ書房刊。
「アメリカの歴史を知るための62章」富田虎男、鵜月裕典、佐藤円編著。
それぞれ大変素晴らしい文章で勉強になる本です。
アメリカの歴史・文学について知りたい方にお薦めします。

*上記記事の続きを作成中です。
小説「グレート・ギャッビー」の時代背景(1922年)と表現、語り手の役割、作者フィッツジェラルドと妻ゼルダの物語。この三つの考察を書きます。
出来るだけ早くブログに上げたいと思います。また読んでもらえると嬉しいです。