多古町合併70周年記念して、第48回千葉県移動美術館「田んぼの美」が、2024年9月中旬から10月8日(火)まで千葉県多古町文化センター4Fにて開催されていました。そのレポートです。
「田んぼ」をテーマに、絵画、版画、彫刻、工芸の各ジャンルから約30点が出品。
いずれも“千葉県立美術館の所蔵”とのこと。
千葉県ゆかりの作家もいました。どれも素晴らしい作品ばかり、貴重な出会いでした。
*最初に多古町の紹介から。
【多古町(たこまち)】
千葉県香取郡多古町は、千葉県の北東部に位置する町で成田市に近い。(地図上では成田の右下)
人口は、13,454人(2024年10月1日)。
1954年に多古町、久賀村、中村、常磐村が合併してから今年で70周年。
「たこ?どこ?ここ!」のコピーにて多古町を発信中。
町の花は紫陽花(あじさい)。道の駅多古「あじさい館」の脇を流れる“栗山川”の両岸には、紫陽花が咲き観光スポットになっている。
弥生時代から稲作が盛ん、多古米はブランド米として知られる。
他にも落花生・やまと芋・芋焼酎(多古産の紅あずま使用)・キウイを使ったフルーツワインなど。
【多古米】
WEBサイト「多古町商店」より引用
米作に適したミネラル分たっぷりの土壌で育った多古米は、お米独特の香りが立っていて一粒一粒ツヤがあります。ふっくらもちもちした弾力に甘みが強く、食べればその“味の良さ”を感じていただけると思います。
*WEB上のサイト「多古町商店」にて多古米など多古町のブランド品を知ることができます。
(多古米はお弁当でよくいただきます。とても美味しいです(^_^)
第48回移動美術館~田んぼの美~
展示作品から何点かご紹介します。*あくまで自分がいいと思った作品です。
第一章 お米の国の風景 から
浅井忠作品が三点展示されています。
「田植之図」「農夫像」「農家風俗画天塩図」。
浅井忠は、名勝史跡でない、日本の農村風景や農村風俗を題材にして描いたといいます。
浅井忠「農家風俗画天塩皿」(1902-1907/陶芸)
フランス留学中はアール・ヌーヴォーが全盛期、パリ万博の監査官を務めた。美術工芸への関心も高くなっていった。日本の伝統的文様などを取り入れながら独自の絵画的な図案を創作していった。
この作品は京都に移住し教授をしていた頃に浅井がつくった図案を元にして、五代清水六兵衛が制作したもの。
人々の農作業のひとつひとつが独特の筆つかいで描かれている。
とても心が和む作品だなと思いました。
【浅井忠:1856(安政3)-1907(明治40年)】
江戸に生まれる。少年時代に佐倉藩士より日本画を学ぶ。
工部美術学校に入学しイタリア人フォンタネージに洋画を学ぶ。明治美術会を創立。
水彩画家として世界的な水準に達していたといわれている。1900年フランスに留学。
日本の近代美術に影響を与えた。
深沢幸雄「めし」 (紙・銅板/1956)
白と黒の画面。中央にはお茶碗に入っているご飯、それを食べる人が“人の形”として描かれる。
“めしの白が際立つシンプルな構図”が、力強さ(生命力)を表わしているのだと思った。
生きることは食べること、めしから色々想像できた。お米の大切さを考える。
【深沢幸雄】山梨県生まれ。東京美術学校工芸科彫金部卒業。後千葉県市原市に移住。
30歳のころから独学で銅版画を学ぶ。銅版画の技法を開拓、後進の育成にも務めた。
第二章 田んぼのある風景 から
千葉県の北総台地はかつて入江だった。谷が砂や泥で埋められた。
「谷津」という地形に二千年前の昔から田んぼが開かれてきた。
江戸の治水・灌漑工事により生まれてきた農村地帯に自然を見る。
石橋武治「白鷺のいる風景」(キャンパス・油彩/1953)
5月初夏の風景だが、田んぼの色つかいは全体的に暗い。
広がる田んぼは奥に伸びている。田の水面は明るく反射していて一部の面がくっきりと見える。
静かな田んぼのあぜ道には所々に白鷺(しらさぎ)がとまっている。
水面と白鷺が光と影で表現されている。目が慣れると次第に沢山の白鷺が浮き上がってくる。潜んでいる虫を狙っているのが分かってきた。白鷺の姿に息をのんだ。
【石橋武治】茨城県潮来町生まれ、白馬研究所にて洋画を学ぶ。香取市に移住し後に千葉市に。
千葉県美術界の創立に参加、審査員や理事を務めた。
今関啓司「浅春山路」(1943/キャンパス・油彩)
作家の故郷“長生郡長南町”だろうか。山間の小さな谷の真ん中をまっすぐに続く道。
田んぼは遠くから手前に続いている山々に囲まれながら、無駄なくびっしりと広がっている。
農民は農作業に向かう途中だろうか、太陽の日が農民をやさしく照らしている。
上から見下ろす風景はジオラマのよう、千葉の故郷のイメージと重なり愛おしい。
堀江正章「耕地整理図」(1901-02/キャンパス、油彩)
多古町島地区から北側の耕地整理の様子。
碁盤の目のように規則正しく描かれた田んぼが大きく広がる。
遠くには小さな森、丘が薄い色あいで描かれている。
絵に近づくと農家の人々が働いている姿が現れる。
見渡す限り田んぼのすっきりした構図、北総らしい風景だと思いました。
明るい色彩は計算されているのでしょう。田んぼと生きる喜びを表現するため。
【堀江正章(1858-1932)】
信濃生まれ。工部美術学校でサン・ジョバンニに洋画を学ぶ。和田栄作らと大幸館で絵画を指導。
三原色(赤・青・黄)を駆使した明るい色彩をとり入れた。
旧制千葉中学校にて35年間奉職し後進を育てた。
山倉克己「田園弥生」と「田園春めく」(1982/水彩)
「田園弥生」は作家の生家“多古町弥生”の風景。遠くに小さな森が見える。
多古町の中央を流れる栗山川の支流にひろがっている谷津田。川が真ん中を流れ、まわりの葦や田んぼが力強い筆使いで描かれている。絵の大部分を占める深緑が印象に残った。
「田園春めく」は、故郷を描いた作品「田園弥生」と中央を湾曲する川の表現は似ているが、川辺の色使いは明るい。長期入院していた作者の故郷への想いが出ているという。
【山倉克己(1929-2001)】多古出身の水彩画家で小堀進に師事。家業である農業と画家を両立させた「農民画家」として房総の風景を描き続けた。
第三章 田んぼに暮らすいきものたち から
津田信夫「蛙」(1934/鋳金)
「蛙」は、田んぼに暮らす生き物。
デフォルメされたなんとも愛らしい蛙の姿にほっこり。
じっとして動かない様子が出ています。表情がマンガチックです。
*鋳金(ちゅうきん)とは、金属を溶かして鋳型に流し込んで器物を作ること。
**知りませんでした、型から作っている感じしません。
【信田信夫】千葉県佐倉市生まれ。東京美術学校鋳金科で腕を磨く。後年後進の指導にあたった。
国会議事堂の扉は彼の代表作。
第四章 県立美術館の名品 から
大下藤次郎「紫陽花」(1904/紙・水彩)
武蔵野の自宅の庭先でしょうか?右に竹の柵がある。
林が遠くに見える、手前には芝が生えている。
紫陽花が中央に軽やかに咲いている。葉の影はしっかりと花は淡い色で目立たなくてもキレイ。
水彩画の技法を駆使、梅雨の雰囲気も良く出ていると思った。
【紫陽花(あじさい)】
ユキノシタ科の落葉低木。わが国の海岸に自生するガクアジサイから生じたとされる。6、7月の頃、球状の集散花序に萼片だけが発達した不実の花(装飾花)を多数つける。鑑賞用。花は解熱薬、葉は瘧(おこり)の治療薬用。*広辞苑第六版より引用。
【大下藤次郎】東京都本郷区生まれ。中丸精十郎に師事。水彩画専門雑誌の創刊など水彩画家として水彩画の発展に尽くした。
高村光太郎「手」(1918/ブロンズ)
銚子・九十九里にもゆかりのある高村光太郎。
この手は仏像の「施無限」の印相を表わしている。
中指はまっすぐに天を指し、各指のわずかな動きが拡がりをうむ。
ロダンの芸術を日本にひろめた光太郎は、この作品で西洋的な“肉付けする表現”と日本の木彫における“削り取る表現”の両方を用いているという。
*施無限とは『仏や菩薩が衆生の恐れを除き、救う』の意味。
(展示作品の説明文を参考にしました。)
【高村光太郎】東京都生まれ。父は木彫刻の高村光雲。1906年渡米、続いてロンドン・パリで学ぶ。
ロダン研究に端を発し、日本の近代彫刻の礎を築いた。
【感想】
一年を通して様々な表情を見せる田んぼは、日本の原風景。
水面の反射が美しい田植えの春。
豊かに実った稲が風にそよぐ収穫の秋まで。
様々な“田んぼ”が作品の中にありました。
作家はどうしてモチーフとして「田んぼ」を描いたのか?
田んぼは日本の原風景。田んぼの周りで暮らす人々の生活。生き物たちの様子を映し出します。
古くから稲作文化が根付いていたからこそ描かれた作品だといいます。
田んぼと私たちの関係性を考えることはとても大切なこと。
それは命を守ることであり土地を守り次世代に繋がっていくもの。
生きる力を与えてくれるもの。
現代は昔に比べて豊かで刺激ある生活をおくれる、それは食料(お米)があればこそ。
田んぼの周辺で働く人々、豊かに実った稲穂、生き物、田園風景は豊かさでした。
生命をつないできた「お米」、日本に生まれお米を食べられる感謝の気持ち”がわき上がってきました。
*第48回千葉県移動美術館~田んぼの美~リーフレットより一部引用しました。
展示室のそとへ
いずれも作家さんの故郷への想い・田んぼへの愛情を感じる作品ばかり。
素晴らしい作品をみることができて、芸術の秋・充実した時間が過ごせました。
展示室を出て右側をみると正面には大きな窓。そこから外を見ると多古町の風景がありました。
水色の空の下に水田が広がり、所々に小さな森が点在しています。
そこには「耕地整理図」にも描かれていた今も変わらない、とても愛おしい“田んぼ”が広がっていました。
*最後までお読みいただきありがとうございました。
【注】この美術展はもう終了してます。写真に載せている作品は撮影が許可されたものです。
また記事の一部はパンフレットより引用いたしました。