渋沢栄一がパリ万博で飲んだコーヒーとは?-コーヒーの明治史前期

渋沢栄一のコーヒーについての記述

幕末に生まれ、明治大正時代に活躍した実業家「渋沢栄一」は、日本人としてコーヒーを知りコーヒーを愛していたという。
彼がコーヒーと初めて出会ったのは1867年(慶応3)に将軍の名代として『フランスのパリ万博』視察の際に飲んだ時でした。

15代将軍徳川慶喜の名代として渡った「徳川昭武」一行の会計係として視察に加わっていた。
しかし幕府が倒れるかもしれないという時節柄でもあり、自分達が亡国の幕臣となるかもしれないという不安もあったという。
それでもこの視察によって得られるものは幕府の役に立たなくても、自分の力として「新しい日本」のために役立つのだという信念も持っていた。外国に学び日本の窓になろうとしていました。

渋沢栄一がフランスでアルフェ―号に乗っての船旅は60日。
船での外国の食事に対しての感想が日記につづられています。

始めて食べる紅茶に砂糖が添えられていて、パンにはプール(バター)をぬって食べた。
これを始めて食べたのにもかかわらず「味甚美なり」と言った。
日本人が普段洋食を食べていないのに「バタ臭く」なかったのか。彼の環境の違いに対しての適応は柔軟でした。

昼食はバイキング形式だったのだが、ブドウ酒やデザート、調理した魚や肉などが出ていた。
食後には“カツフエーという豆”つまりコーヒーに砂糖牛乳を混ぜて飲んだ。
そして胃がすっきり爽やかになったと書いています。
*フランスについてからはブレスト滞在中のホテルやシェルブールの港でコーヒーを味わったようです。

食事の内容までも細かく日記に残しているのは、渋沢栄一だけだという。
他の随行者はほとんどが“侍”で食物に対しての記述などは残っていない。

この記述は、当時コーヒーを飲んだ日本人が、総じて“苦い飲み物”“焦げ臭い”“飲めたものではない”という感想だったのに比べて、渋沢栄一は「食に対しての適応力の高さ」があったことを物語っている。
またヨーロッパ式ライフスタイルに対して興味を持つなど、彼の「何事もおろそかにしない彼の思考法」を見ることが出来るといいます。

当時のフランスのコーヒー文化

フランスは安定したコーヒーの消費地でありカフェ人気がある国でした。
フランスはコーヒーにミルクを入れるコーヒー先進国。
コーヒーの新しい抽出方法が生まれました。
それまでは“コーヒーを砕いた粉と水を一緒に煮出法”や“お湯につける浸出法”が主流だったのに、より美味しくいれる抽出方法として「エスプレッソマシーンの原型器具」や「ドウ・ペロワが考案したポットによるドリップ式」が発明されたという。
コーヒーはフランス料理にはかかせないものでした。

日本のコーヒーの始まりを断片的に書いてみました。
コーヒーの歴史について詳しく知りたいという方は下記の本を読んでください。
目からウロコの話が沢山書かれています。
とても興味深く読みました。

*「珈琲の世界史」旦部幸博著 講談社現代新書
「コーヒーのグローバル・ヒストリー」小澤卓也著 ミネルヴァ書房
「 渋沢栄一 算盤篇Ⅰ」より(第十二回 開明派への転向)文藝春秋刊 を参考にしました。

*最後までお読みいただきありがとうございました。