現代日本ではコーヒーが日々大量に飲まれています。
コーヒー生豆輸入量は世界第3位(2019年度)、今やアジア最大のコーヒー消費国です。
しかしコーヒーが一般的に広まるには時間がかかりました。
日本のコーヒーの歴史が始まったのは幕末・開国された時でした。
1867年「渋沢栄一」はフランス万博を訪問して「コーヒー」を初めて飲んでいます。
彼の日記の中にフランスでの生活が書いてあり、コーヒーの味に関しての記述もありました。
ちょうどそのころ、1868年(明治元)神戸港からブラジルに向けて「笠戸丸」が出港しました。
その船には「ブラジルでコーヒー豆栽培」をして、新しい人生を切り開こうと参加した西日本の貧しい農民達が乗っていました。
そしてその農民こそが、日本のコーヒー文化を開花させる元になりました。
*幕末から明治・大正のコーヒーの歴史の始まりを“この2つの出来事”を中心に書いてみました。
長くなりましたので、4ページに分けています。
時間のある時に読んでいただけると嬉しいです。
渋沢栄一初めてコーヒーを飲む
日本でコーヒーの輸入が本格的になるのは1854年ペリー来航、開国した時からと言われています。1858年(安政5)に正式に輸入が始まりました。
当初は居留地に住む外国人向けでした。
それまではアメリカ人が日本にコーヒーを持ち込んだが、一般の町民や農民などはコーヒーを目にする機会もなかったといいます。
NHKの大河ドラマの主人公「渋沢栄一」は1867年(慶応3)に将軍の名代としてフランスのパリ万博視察の際に初めてコーヒーを飲んでいます。栄一はコーヒーを飲んで「胃がすっきりと爽やかになった」と日記に書いている。
この記述は、当時コーヒーを飲んだ日本人が、総じて“苦い飲み物”“焦げ臭い”“飲めたものではない”という感想だったのに比べて、渋沢栄一の食に対しての適応力の高さを物語ると言います。
*後年かれはコーヒーを好んで飲んでいたと言います。
日本のコーヒー消費量の変化(明治維新から大正時代)
1868年日本は「明治」になり日本は急速な近代国家を目指し始める。
1868年に日本は合計742円分のコーヒーを輸入したと記録されている。
その後日本に入るコーヒーは年々増えていった。
1877年(明治20)には日本の生豆輸入量は18トン。
1888年に日本で最初の喫茶店は、上野で開業された「可否茶館」でした。
しかし4年で廃業。
他にも喫茶店は出来ましたが経営は上手くいかなかったようです。
その後1897年(明治30)には64トン。
1907年(明治40)には76トンと少しづつ増えていって、1917年(大正6)には214トンと急に増えていきました。
この急拡大の歴史は1908年に「ブラジルに向けた出港した移民」の出来事から始まります。
日本からブラジル・サンパウロ州への移民が、その後の「コーヒー拡大」に大きな役割を果たしました。
その後銀座のあるカフェーからコーヒーが日本に浸透し、その後西洋料理店、ミルクホール(大衆酒場)、ホテルなどが扱い始めたのでした。
*次ページは、コーヒーと文人との関係です。