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旧公正市民館(銚子市中央地区コミュニティセンター)

銚子市公正図書館はなぜ「公正」がついているのか-濱口梧洞が目指した社会教育とは

皆さんの市町村にある図書館に「公正」って付いていますか?
おそらく付いていないのではないでしょうか。
なぜ銚子だけ公正図書館なのか?
銚子市に住んでいながら図書館についている「公正」理由について知りませんでしたので調べてみました。
起源は大正時代にさかのぼります。

現在の銚子市公正図書館は市立の図書館なのに「公正」という言葉が加えられています。
この命名は、この建物を設立した「財團法人公正會」に起源があります。

【公正】①公平で邪曲のないこと、②明白で正しいこと。
(邪曲とは、よこしま・非道・不正)出典:広辞苑第六版

財團法人公正會の設立

財團法人公正會は、大正14年(1925)に銚子市の濱口儀兵衛商店(現ヤマサ醤油)の店主であった濱口梧洞(儀兵衛)が、社会に対して報恩のために設立されました。目的は“社会教育事業経営”でした。
梧洞(儀兵衛)が私財30万円を投じ近隣市町村の有力者にも協力をつのりつくられた団体です。

公正會の本部・拠点施設が公正會館でした。(1926年新築・開館)
ここで夜間中学公正学院・公正図書館の設置・講堂利用による各種社会教育活動などを通じて理想を現実化していきました。同館は“千葉県下で類例のない文化の殿堂”として以降四半世紀にわたり活発な事業活動に多大な貢献をしました。

旧公正市民館(銚子市中央地区コミュニティセンター)
旧公正市民館(銚子市中央地区コミュニティセンター)

公正會は太平洋戦争後に解散、全施設を銚子市に寄贈。
銚子市は昭和24年9月にこの建物を銚子市の社会教育施設である「銚子市公正市民会館」および「銚子市公正図書館」として開設します。
両館名に「公正」を冠したのは、財團法人公正會の衣鉢を引継ぎ、創立者濱口儀兵衛氏(昭和25年に梧洞と改名)の偉業と徳を偲ぶためでした。

その後公正図書館は、昭和58年5月に市民館の裏に“館名を変えず”に新築され、公正市民会館は新設の市民センター(銚子市小畑新町)に引き継がれました。

公正會の事業とは

下記の写真は現在の銚子市公正図書館です。

銚子市公正図書館
銚子市公正図書館

当時の公正図書館の様子

公正図書館は會館の1階に設置され、書庫、普通・児童閲覧室合わせて四九坪五合、当初蔵書数は約4000冊でした。当時稀な開架式閲覧方式を採り、館外への帯出制度のほか、近隣町村への配達で借覧できる会員制度の公正読書会、また、海浜文庫と称する市内の海鹿島・犬若や波崎町への出張図書館の季節開設、あわせ開催した珠算・習字講習会等は特筆すべき活動でした。
開館時間は冬季を除き午後1時から9時半まで。定期休館日は毎月末日、年末年始、紀元節、創立紀念日(5月1日)、曝書期。昭和2年度の蔵書数は5335冊、開館日数321日、閲覧人数は39914人、閲覧図書数47563冊と記録されている。

【引用】「財団法人公正會と公正會館」銚子市公正図書館・編集発行より

当時の開館日数が321日・午後9時半まで開館、
館外への帯出制度にとどまらず、会員制度や出張図書館、講習会等など思い切った事業。
これを民間の公正會が運営していたというのも驚きです。

ちなみに現在の銚子公正図書館の蔵書は約15万冊です。
2022年4月には銚子市電子図書館を開設するなど地域の文化を支えます。
市民・シニア・学生にとって大切な図書館です。

大正初期:地域の町村の教育

大正2年には千葉県内の小学校就学率が98%に達しました。
この時代は教育の機会が子供たちにひろがっていきました。
大正元年(1912)銚子の2町(本銚子町:2位・銚子町:5位)の人口は、千葉県内でも5本の指に入るほどで人口は多かった。(ちなみに1位は千葉町、3位は佐原町、4位は船橋町。)
なので教育面でも明治44年(1911)に銚子町に群立銚子実科高等女学校が設立。
大正5年には町立銚子実業補習学校(おもに裁縫を教授)が開校。
同年豊岡尋常小学校には実業補習学校(主に農業を教授)が開設などすすんでいました。

図書館以外の事業

財団法人公正會が手掛けた(図書館以外の)事業としては以下のものがありました。
【公正学院】(補習夜学校:大正15年~)
【公正商業学校】(昭和15年~)
【各種社会教育事業】
・「公正文化會」時事・産業・経済問題等の講演会・座談会・講座の開催。
・「公正母の會」女性修養・母性愛護・生活改善等の講演会・座談・講座の開催。
・「公正子供會」優良作文表彰・文集発行・優良児童表彰・作品展覧表彰・読書音楽指導。
・「閲覧者會」会員研究発表・会誌発行。
・体育マラソン大会の開設。
・慰安娯楽のための映画・演劇・音楽・詩吟会。

【引用】「財団法人公正會と公正會館」銚子市公正図書館・編集発行より

大正から昭和初期は官庁の力が十分に整っていない、しかし産業は拡大し民間に資金が出来てきた時代でした。
この時代にすすんだ社会教育を受けることが出来たのは、民間である浜口悟洞の公正會社会教育事業があればこそ。公正会館はその活動をささえていました。

民間でありながら高い理想のもと、社会教育に多大な貢献をした公正會。
今も「公正」という名前をのこす銚子公正図書館は歴史をもつ施設でした。

旧公正市民館:大正ロマンがのこる建物

ステンドグラス-銚子市中央地区コミュニティセンター
ステンドグラス-銚子市中央地区コミュニティセンター

大正時代につくれらた旧公正市民館(現中央地区コミュニティセンター)の建物は歴史的にも貴重なものです。
なかにあるステンドグラスや階段は昔の雰囲気を残しています。
講堂は髭をはやした政治家が舞台に立って演説をする風景があう、そんな場所です。

貴重な歴史を物語る建物をいつまでも残していってほしいと思いました。

銚子公正図書館と歌人

銚子市出身の歌人「尾張穂草(すいそう)」(1892-1973、作品:犬吠、白砂集)は、銚子公正図書館へ多数の児童図書を寄贈し「穂草文庫」がつくられました。黒生町の製瓦業を営む家に生まれ、講談社の取締役や顧問などを歴任しました。他にも日本出版クラブ常任理事など要職を務めました。

財團法人公正會設立にみる濱口儀兵衛の強い思いとは

旧公正市民館の前には濱口梧洞(儀兵衛)の銅像があります。

濱口梧洞-銅像
濱口梧洞-銅像

銚子の社会教育を思を致し、滋賀県長浜町の財団法人下郷共済会・丸亀市財団法人共済会等の施設を調査してその範とすべきを採りました。

銚子市公正図書館の名前に残る「公正」には、濱口梧洞の強い思いがありました。

彼が私財を投じて建設した公正会館は、夜間中学公正学院・公正図書館の設置運営・講堂利用による各種社会教育活動・人事相談所などの施設を具備し地域を支えました。
この施設は当時の銚子町を中心として二町二ヶ所の“総合社会教育機関”として社会に多大な利益をもたらしました。

昭和31年1月には彼の公益に貢献した仕事に対して、銚子市名誉市民に推挙。
*推挙式は同年3月に公正市民館講堂にて盛大に挙行されました。
この式では「今井健彦」も名誉市民として推挙。今井は千葉県選出議員として浜口吉兵衛とともに銚子港の開発・利根川治水に多大な功をのこした人です。

濱口梧洞(1874-1962)が残したもの

彼は明治7年4月八代目儀兵衛(梧荘)の次男として紀州に生まれました。
明治32年には銚子に我が国最初の醤油研究所を設置しました。

大正3年(1914)第一次世界大戦が勃発。
この年に梧洞は、浜口合名会社からヤマサ醤油を買い戻して、浜口儀兵衛商店を設立します。
大正7年(1918)第一次世界大戦が終戦。
この年にヤマサ醤油はヤマジュウ醤油を買収合併しています。
大正12年(1923)関東大震災が起きます。
この年に銚子町新生に本社事務所および研究所を新築・移転。
西六ノ蔵が出来上がり第二工場が完成し生産能力も上がりました。
梧洞は昭和3年から昭和18年まで「ヤマサ醤油」の主宰者(10代目)として家業に精励。
動乱の時代、確かなかじ取りで経営をすすめました。

大正15年銚子に公正会館を建設。大正14年に貴族院の補欠選挙に当選し昭和14年まで国政につくしました。
大きな視野をもっていました。

祖父の濱口梧陵(1820-1885)が銚子のみならず千葉県の医学体制に多大な公益をもたらしたのと同様に、 濱口梧洞(1874-1962)は社会教育・政治で地元に大きな公益をもたらしました。
そして醤油家業だけにとどまることはなかった。
彼は将来の銚子地域の発展を願いました、「公正會」を立ち上げ社会教育をすすめました。
教育を柱にして人を育てる、文化活動を柱に交流を育てる。
住民と地域を愛していたのではないかと思いました

*「銚子市史」「財団法人公正會と公正會館」「旧公正市民館の看板」「年表、江戸・明治・大正の銚子」を参考にしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。