銚子市公正図書館はなぜ「公正」がついているのか-濱口梧洞が目指した社会教育とは

公正會の事業とは

下記の写真は現在の銚子市公正図書館です。

銚子市公正図書館
銚子市公正図書館

当時の公正図書館の様子

公正図書館は會館の1階に設置され、書庫、普通・児童閲覧室合わせて四九坪五合、当初蔵書数は約4000冊でした。当時稀な開架式閲覧方式を採り、館外への帯出制度のほか、近隣町村への配達で借覧できる会員制度の公正読書会、また、海浜文庫と称する市内の海鹿島・犬若や波崎町への出張図書館の季節開設、あわせ開催した珠算・習字講習会等は特筆すべき活動でした。
開館時間は冬季を除き午後1時から9時半まで。定期休館日は毎月末日、年末年始、紀元節、創立紀念日(5月1日)、曝書期。昭和2年度の蔵書数は5335冊、開館日数321日、閲覧人数は39914人、閲覧図書数47563冊と記録されている。

【引用】「財団法人公正會と公正會館」銚子市公正図書館・編集発行より

当時の開館日数が321日・午後9時半まで開館、
館外への帯出制度にとどまらず、会員制度や出張図書館、講習会等など思い切った事業。
これを民間の公正會が運営していたというのも驚きです。

ちなみに現在の銚子公正図書館の蔵書は約15万冊です。
2022年4月には銚子市電子図書館を開設するなど地域の文化を支えます。
市民・シニア・学生にとって大切な図書館です。

大正初期:地域の町村の教育

大正2年には千葉県内の小学校就学率が98%に達しました。
この時代は教育の機会が子供たちにひろがっていきました。
大正元年(1912)銚子の2町(本銚子町:2位・銚子町:5位)の人口は、千葉県内でも5本の指に入るほどで人口は多かった。(ちなみに1位は千葉町、3位は佐原町、4位は船橋町。)
なので教育面でも明治44年(1911)に銚子町に群立銚子実科高等女学校が設立。
大正5年には町立銚子実業補習学校(おもに裁縫を教授)が開校。
同年豊岡尋常小学校には実業補習学校(主に農業を教授)が開設などすすんでいました。

図書館以外の事業

財団法人公正會が手掛けた(図書館以外の)事業としては以下のものがありました。
【公正学院】(補習夜学校:大正15年~)
【公正商業学校】(昭和15年~)
【各種社会教育事業】
・「公正文化會」時事・産業・経済問題等の講演会・座談会・講座の開催。
・「公正母の會」女性修養・母性愛護・生活改善等の講演会・座談・講座の開催。
・「公正子供會」優良作文表彰・文集発行・優良児童表彰・作品展覧表彰・読書音楽指導。
・「閲覧者會」会員研究発表・会誌発行。
・体育マラソン大会の開設。
・慰安娯楽のための映画・演劇・音楽・詩吟会。

【引用】「財団法人公正會と公正會館」銚子市公正図書館・編集発行より

大正から昭和初期は官庁の力が十分に整っていない、しかし産業は拡大し民間に資金が出来てきた時代でした。
この時代にすすんだ社会教育を受けることが出来たのは、民間である浜口悟洞の公正會社会教育事業があればこそ。公正会館はその活動をささえていました。

民間でありながら高い理想のもと、社会教育に多大な貢献をした公正會。
今も「公正」という名前をのこす銚子公正図書館は歴史をもつ施設でした。

旧公正市民館:大正ロマンがのこる建物

ステンドグラス-銚子市中央地区コミュニティセンター
ステンドグラス-銚子市中央地区コミュニティセンター

大正時代につくれらた旧公正市民館(現中央地区コミュニティセンター)の建物は歴史的にも貴重なものです。
なかにあるステンドグラスや階段は昔の雰囲気を残しています。
講堂は髭をはやした政治家が舞台に立って演説をする風景があう、そんな場所です。

貴重な歴史を物語る建物をいつまでも残していってほしいと思いました。

銚子公正図書館と歌人

銚子市出身の歌人「尾張穂草(すいそう)」(1892-1973、作品:犬吠、白砂集)は、銚子公正図書館へ多数の児童図書を寄贈し「穂草文庫」がつくられました。黒生町の製瓦業を営む家に生まれ、講談社の取締役や顧問などを歴任しました。他にも日本出版クラブ常任理事など要職を務めました。

*次ページは、公正會を設立した濱口儀兵衛の強い思いを探ります。