「バースデイ・ガール」村上春樹著-感想【ネタバレ有】人間は何を望んだところで自分以外にはなれない

*「バースデイ・ガール」 村上春樹著 株式会社新潮社刊 を読んだ感想になります。
【注意】内容についてのネタバレがあります。小説を読んでから読むことをおすすめします。
かなり長文のため5ページに分けました。
時間のある時に少しずつでも読んでもらえると嬉しいです。

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子供のころの誕生日は幸せな日です。みんなに祝ってもらって。
他の人から祝ってもらうのは当然と思っていませんか。
しかしあえて違う意見を提示すれば、
バースディは祝ってもらうものではない。ともいいます。
外国では自分(誕生日を迎えた本人)が周りの人をパーティに招待して感謝を伝える日だそうです。
つまり(小さい時から親に祝ってもらうもの以外では)他の人からの何かを望む日ではない。

しかし現代の日本では大人になっても祝ってもらうというイメージがつよいのではないでしょうか。
この話の場合も20歳の若い女性が“誕生日に祝ってほしい”という子供じみた気持ちを持っている、と推測。
そして若い女性が体験した事に対しての“作者の答え”を書いているように思いました。

それは端的に形あるもの・プレゼントについての話ではない。
大人になって人生に対しての心持ちや姿勢を問うものとして。

舞台

名の知れた六本木のイタリア料理店

主な登場人物

・【主人公】現在は30代の女性
結婚して2人の子供がいる。素直な目をしているが、時に奥行きのない眼・しからびた微笑みが見える。
彼女が20歳の時にアルバイトでウエイトレスをしていた時の話をしている。

物語後半に出てくる男性
女性とは年が離れた中年男性。彼女の悩みを聞いている?

【過去の話での登場人物】
イタリア料理店のオーナー
瘠せた小柄の老人・ダークスーツを着てネクタイをしている。
お店のビル6Fに住み毎晩マネージャーに料理を運ばせる。

フロアーマネージャー
40代の独身男性。背が高く肩幅がある。髪も少し薄くて腹に贅肉も着き始めている。

簡単なあらすじ

主人公の女性が若いころの話をしている。
若い時にイタリア料理店で働いていた。(アルバイトでコックに怒鳴られながら)
20歳の誕生日にマネージャーが体調を崩し、彼の代わりに夜20時に同じビルにいるオーナーに料理を持っていく。
そして自分が今日20歳の誕生日であることを話すと、オーナーはそれを聞いて一つだけ願いをかなえてあげるという。そして女の子は悩んだあと、自分の願いを老人に話した‥。
それから10数年たって望みは彼女の記憶の奥底にあった。
彼女は30代になりもう大人のはずなのに自分は変わっていないという‥。

最初に読んだ感想

主人公は料理店のアルバイトの若い女の子。マネージャーに午後8時にオーナーの部屋にただ料理を持っていけばいいと言われたのにもかかわらず、望まれていないのに奥のテーブルまで料理を運ぶ。
そして言わなくてもいいのに今日は自分の誕生日であることを話してしまう。
オーナーはそれを聞いて一つだけ願いをかなえてあげるというのだ。そして女の子はその願いをおじいさんに話すのだ。

現実的に考えると「願いをひとつだけかなえてあげる」と言われれば、お金とか物だろう。年上のオーナーだったら、女の子の望みを答えてあげて喜ぶ姿を見たいからだ。
しかし年上のおじいさんであるオーナーは形も値段もないものを、という。つまり“お金とか物でない願い”を彼女に要求する。

それでは形もない値段もない「願い」とは何だろう?

直接的な欲でないとすると、“こころの中に在る希望であり将来に対しての夢”だろう。
つまり今すぐに結果が出るものではない。時間がかかることだ。
なので『急にそんな条件付けられても困るし、言うのをためらう』のが普通の女の子の気持ちではないだろうか。

恐らく若い子にとっては、まだぼんやりとしたイメージであり明確に答えることは出来ないだろう。

つまり小説の二人の会話は年齢差からか・微妙に温度差がある、でも話は続いていく。
オーナーの要求している“願い”とは、今手に入らないもので将来の夢(望み)なのである。
オーナーがそれを知っていて質問をしているとしたら意地悪なことだ。聞いてもかなえることなどできないのだから。

オーナーが結果がでないことを言わせようとすることが、物語のキモになっていると推測した。

実現可能な望みとしてはその場で結果が出ないのに(成立しにくい)のに、その質問に対して20歳の女性は思ったことを・自分の願いを答えてしまう。
オーナーが彼女に対して「妖精」と形容詞を付けているのは、これに答えられるかという挑発(いたずら半分に試す)にもとらえられる。
20歳の彼女が答えられるのはその意味がよくわかっていないからだ。

彼氏と別れて誕生日が淋しいものになっていた彼女は、オーナーに会う事で20歳の願いに話が転がっていく。
これは流れとしてはおかしくない。しかし彼女が“誕生日には(オーナーとはいえ初めて会った人に)願いをいってもいい”と思っているとしたらおかしくないだろうか。
世間を知らないこともあるとはいえ軽率さもある。
また(大人になっての)誕生日とは、自分を祝ってもらう日ではなくて、周りの人に対して感謝する日であるからだ。

〈ここまで二人の会話を整理する〉

順番としては、
①【推測】彼女は誕生日に誰かに祝ってほしいと思っている。
②オーナーは彼女から誕生日であることを聞かされて、その気持ちを感じ取った。
③【推測】オーナーは質問をして試してみることにした。「彼女の願い」を。
④オーナーは彼女の願いをかなえてあげようという。「ものでなく値段もないもの」という条件付きで。
⑤願いについて彼女は自分の言い方で伝えた。
⑥【推測】オーナーは彼女の意外な答えに失望した。
⑦オーナーは手を一度叩いて「願いはかなえられた」という。

上記の⑥でオーナーが彼女の返事にがっかりしたのは、恐らく願いの内容でなくて彼女が「願いに答えたこと」、その行動だと思う。

その選択をオーナーは「彼女の受け身のあらわれ」ととらえた。
言いかえると「まだ子供じみた願いを持っていて大人になり切れていない」と思ったのではないのか。
(ものやお金でないことと条件を付けていることがポイント。願いを“もの”でOKにしたら変えればただの物欲で終わり。つまり物は『ただの欲の目的であり望みでははない』し話にならないから。それではオーナーは面白くなかった?)

彼女が望みを何だと言ったのかは書かれていない。

オーナーは手を一度叩いて「願いはかなえられた」という。
彼女の内にある「その願い」を手を叩くことで、自分で気づいてほしかったのではないか。


彼女にもう子供っぽい考えは終わりにしなさいと言っているのだ。

*オーナーはどんな人物なのだろう?
次ページで考察しました。