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翼を広げ飛ぶカモメ

田山花袋-私小説の先駆け「蒲団」を書いた自然主義文学の作家


田山花袋は銚子にゆかりはありませんが、国木田独歩と歳も近く付き合いのあった作家です。初めて告白的手法で小説を書いた作家と言われています。今では普通の手法ですが当時は珍しかったんですね。







【田山花袋(たやまかたい)プロフィール】
1872年(明治4年)栃木県邑楽郡館林町(現在は群馬県)生まれ。幼くして父を亡くして貧困の中で育った。尾崎紅葉の元をたずねて江見水蔭を知り、彼の指導を受けて小説を書き始めた。国木田独歩と詩集「抒情詩」を刊行するなど交流がありました。代表作として「田舎教師」「白夜」があります。




その当時国木田独歩と同学年の田山花袋は焦っていました。島崎藤村も国木田独歩も彼の後輩だったのに、二人とも今や第一線の作家になっていたからです。彼は一人取り残されていました。
そこで花袋は何か新しい仕事をすることを決意します。




田山花袋は当時結婚して子供もいたが、一人の若い女の弟子を自らの家に置いていた。彼はその弟子に愛着するようになるが、女性には愛する若い男がいた。田山花袋は悩む。彼女はやがて彼の元を去って郷里に帰る。しかしそののち上京してその青年と結婚する。




花袋はこの体験を題材とした小説を書くことを決意する。

ルソーの告白の手法に近い自伝的な書き方で。




花袋は明治40年9月に「蒲団」という短編小説を発表する。中年の小説家なるこの小説の主人公は、「女弟子に執着しながらも、その気持ちを素直にかたることができず、時には教師として女性に近づき、時には恋人の青年への嫉妬に悩み、時には父のような愛情に戻ろうとし、結局女性の去った後に置いていった蒲団に残る匂いを嗅いでわれを忘れる」という筋でした。




文壇人の目にはこの小説に書かれている事件が、『田山花袋の実生活の告白』であることが分かり、それまでの日本ではそのような書き方はなかったので、文壇の問題になりスキャンダルになった。道徳上社会的に問題になった花袋は世間の攻撃にさらされたが、若い小説家などの作家達は花袋の勇敢さを尊敬した。




作られた物語よりも告白的手法の方が感動的であるという事に気づいたのだ。そして若い作家たちは古い道徳に反攻することに生きる意味を見つけた。反道徳的であっても自己の本心を素直に書くことに意味を持ったし、その時代の古い家庭的・階級的・職業的な束縛から解放するのに大きな役目を果たすことになったのであった。
この小説によって田山花袋は、自己の作家としての地位を固めることになりました。そののち自然主義文学として『生』『妻』『縁』などの長編小説を発表していきました。
*近代日本の文学史 伊藤整著 夏葉社刊を参考にしました。




【自然主義文学とは】
文学で、理想化を行わず、醜悪・瑣末(さまつ)なものを忌まず、現実を唯あるがままに写しとることを本旨とする立場。19世紀末頃フランスを中心として起る。自然科学の影響を受け、人間を社会的環境と遺伝とにより因果律で決定される存在と考えた。日本には明治後期に伝わった。
出典:広辞苑第三版