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宵待草イメージ

竹久夢二悲恋の言葉-宵待草-ちばらぎの歴史銚子


待宵草(月見草)01
待宵草(月見草)01



竹久夢二の有名な詩「宵待草」は辞書を引いても出てこない。それは「待宵草」の間違えだからです。

 

 

このことは原型詩を書いた夢二も間違えを指摘され知っていました。夢二は3行詩の「宵待草」で通して欲しいと言ったそうです。
しかし詩の世界観が『宵待草』という言葉の響きから、「なんともいえないやるせなさ」「美しさ」を生んでいるのだから不思議です。
待宵草であったら詩の世界観も変わっていたでしょうし、これほど長い間愛される詩になっていたかは疑問です。

待宵草は別名『月見草』ともいわれ、広辞苑第三によると、月見草とは、アカバナ科の1年草で北アフリカ原産、茎の高さは約60cm。初夏大型四弁の白花を開き、しぼむと紅色となる。日暮れから開花し翌日の日中にしぼむとあります。

月見草は「月に恋をした」ため、夕刻から夜にかけてだけ開く花と言われています。薄黄色の花の色は月の色とそっくりです。海鹿島から犬吠の周辺にはいたるところにあるが、手で折って森帰ろうとしても、花弁は一夜にして枯れてしまい、2度と開花することはないのです。

この時代の恋ははかないもので、一度別れたら二度と会えない。思い出として残せるようなものではない。そう言っているようにも思えます。切なさは当然時代背景も関係しています。

明治43年(1910)東京は前年に山手線が走り始める、市電のラッシュアワーが始まる、44年には京橋に日本初のカフェが誕生しています。夢二の手紙にも在りますが時代が大きく変化、人々も忙しくせわしなくなっていった時代らしいです。田舎はそうでもなかったのでしょう。避暑の目的で銚子に来た夢二ですが、おもわぬ出会いが夢二を悩ませることになりました。

27歳の夢二が「長谷川タカ」と出会ったのは、犬吠埼灯台へ向かう松林の中である。日傘をさして浴衣姿の若い女性と夢二はすれ違います。その時夢二は「銚子の人ではない」と本能的に感じます。事実タカも避暑に来ていたので夢二の予感はあたっているわけです。

夢二とカタは、青い月の光の中何度も会ったと思われますが、どんな会話があったのでしょうか。夢二はカタに夢中になり、画家としての筆はすすまなかったようです。この時に残されていたものは「宵待草」と書かれている松原の中の砂の上に座るカタのスケッチ画です。浴衣姿に半幅の帯、草履に素足という姿でした。

都会の喧騒を離れて田舎の銚子で避暑を過ごす予定が、もっぱら恋人との逢引に時間を費やすことになりました。

夢二としては予想外の展開でしたが、そういう「悲恋」の経験が彼の絵に少なからず影響を与えているのは間違えなさそうです。

*「銚子と文学」東京文献センター刊 を参考にいたしました。