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大正ろまんイメージイラスト

竹久夢二宵待草のヒロイン-長谷川カタ-ロマンス

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当時の売れっ子作家、竹久夢二は明治43年(1910)のひと夏を銚子の海鹿島(あしかじま)で過ごします。
その時に美少女の長谷川カタ(賢)と出会います。夢二は一目で彼女が気に入りました。彼女への想いをつのらせるが、次の夏にはカタに逢うすべがなく、その想いを「日は日ねもす夜はよもすがら通路にまてど暮せど待てどくらせど」と詠み、これがやがて「宵待草」の詩につながりました。

 

 

*夢二はかなりの旅好きで、普通の人が余り気がつかない事に妙にひかれることも多く、道草をくっては一緒にいた他の人を困らせていたとの事です。

写真でみる夢二は鼻が高く、俳優の様に見えます。またカタは「目が大きくつぶらで夢見がち…」とありますが写真みてもその通りだと思いました。目鼻立ちがはっきりして可愛らしさも感じられます。

長谷川カタは北海道松前郡(函館の西、最南端)で育ち秋田高校女学校を卒業し、海鹿島に避暑に来ていて、偶然「家の隣の民宿に泊まった夢二」と出会う。

*カタはその時はもう結婚が決まっていたのではないかという話もあります。

明治42年最初の奥さん「たまき」と離婚していた夢二は、毎月一冊のペースで画集(絵入り小唄集)を出していて爆発的人気があった。流行作家でした。
しかし、たまきとは離婚後も同居別居を繰り返し神経もすりへらしていた。

そんな夢二の前に、知的で無口な美少女「カタ」が現れた。カタは文学少女で、その姿は傍らに咲く宵待草のような香りを漂わせていた、夢二は一目惚れし散歩に誘い出す。
しかし、カタの父は娘の将来を心配して、翌年嫁に出してしまいます。

その後、夢二は海鹿島に宵待草の姿を見ることはありませんでした。

*宵待草
夕暮れに黄色い花を開き、夜に咲き続けて、朝にはしぼんでしまう花

明治45年雑誌「少女」に宵待草の原詩と絵が発表された。絵の少女はカタとよく似ていた。
翌明治46年詩集「どんたく」に三行詩が公表された。

まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよいは月もでぬさうな。

大正7年9月この詩は多忠亮(おおのただすけ)によって作曲された。この甘く悲しいメロディは全国に知れ渡った。

*海鹿島(あしかじま)はロマンチックな二人の悲しい恋物語として浪の音松風の響き、宵待草とともに人々の心に刻まれています。

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銚子の海風は家の戸を叩いたり突風をおこしたり気まぐれです。夕方は速めに夕飯のしたくを始めます。海辺なので真っ黒に焼けた上半身をはだけて往来しています。夕方になるとそんな風景があたりまえです。旅人はどのくらいいたのでしょうか。
そんななか夢二とカタの散歩は部落中の大評判になったそうです。

*竹久夢二のモデルは、たまき、カタ、彦乃、お葉と変わっていきました。芸術家らしく派手ですね。

須川カタは作曲家の夫政太郎とともに東京、鹿児島、彦根、愛知県半田とその住まいを変えていきました。平穏に暮らしたそうです。

*竹久夢二展 宵待草70年の歳月(毎日新聞社刊)を参考にしました。