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銚子市君ヶ浜01

高村光太郎と智恵子-1-運命的な銚子での出会い

高村光太郎と智恵子~その関係を調べてみました。

【その1】

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家で詩人である。
東京生まれ、東京美術学校を卒業後、米・仏に留学してロダンに傾倒。帰国後「スバル」同人、恥美的な詩風から理想主義に転じ、「道程」で生命感と倫理的意志のあふれた格調の高い口語自由詩を完成。
*出典:広辞苑第三版

一方、長沼智恵子(1886~1938)は画家である。
福島県二本松町漆原の酒造りの長女として生まれ、日本女子大学を卒業し油絵に傾倒します。

*自分が写真(若いときの)で見た感じですが、光太郎は面長で鼻筋がとおり目は横長で細く、口ひげを蓄えたシュッとした青年。
智恵子は丸顔であどけなくて目元がはっきりして可愛いかんじに見えました。

最初に二人が出会ったのは、1911年(明治44年)です。福島県の造り酒屋に生まれ日本女子大学を卒業した智恵子は、平塚雷鳥主宰の女性文学雑誌「青鞜」(せいとう)の表紙を書くなど画家として活動していました。先輩の紹介で光太郎を知り、東京のアトリエに訪ねるようになった。

「青鞜」は当時の女性の運動を勃興をリードした雑誌でした。女が吉原にいって女郎をあげたり鴻の巣で五色の酒を飲んだり常識を破る行動が新しかった。

【勃興】ぼっこう
急に勢力を得て盛んになること。

翌年(1912年)夏、光太郎は写生旅行で犬吠埼に滞在。この時智恵子も犬吠埼を訪れ、再会した。

*当時の銚子は避暑地で多くの海水浴客が訪れていました。

光太郎の文章によると、彼女は別の宿に妹と友人の3人で泊まっていたが、間もなく光太郎の宿に移り、食事や散歩、写生を共にする様になる。旅館から「心中をするのでは」と疑われ、散歩には監視のため女性従業員がついてきたという。

光太郎(29歳ごろ)は智恵子(26歳ごろ)の再会時の鮮烈な印象について、智恵子抄の散文「智恵子の半生」の中で、「彼女の清純な態度と無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君ヶ浜の浜防風を喜ぶ子供であったが、入浴の時に隣の風呂場で偶然みた姿は均整がとれていた、そこで運命を感じた」「その後彼女から熱烈な手紙が届きこの人以外に心を託す人はいないと思うようになった」と書いています。

この運命的な再会があって二人は結婚をすることになる。

*二人が滞在した旅館は、現在の『ぎょうけい館』である。ロビーの一角には光太郎の詩「犬吠の太郎」が版画にされ飾られている。

高村豊周著 『光太郎回想』には、智恵子の印象として、「もじゃもじゃした頭の形が変わっていてモダンな感じがした」また「物言いが独特で、口を開けて物を話さない。いつも口を閉じたままで控えめに話すので話が口の中にこもってしまって、どうしてもはっきり聞き取れない」と書かれている。

*智恵子抄(偕成社、角川文庫、講談社、新潮文庫、ポプラ社ほか)を参考にしました。

*その2~光太郎の智恵子への愛、に続きます。