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犬吠埼灯台(銚子市)

犬吠埼灯台はなぜ造られたのか ちばらぎ銚子 


犬吠埼灯台近影202102-2
犬吠埼灯台近影202102-2



【千葉県銚子市】 犬吠埼灯台

銚子は、昔から東北からの船の廻船、紀州からの船の廻船などの船運で栄えてきたまちです。江戸の隆盛により東北奥羽からの廻米の船舶が、銚子港を中継港として利用してきたり、紀州漁師の近海の出稼ぎから始まる鰯漁など船の出入りも多くなり、河口は太平洋と利根川がぶつかる難所で水難事故が絶えなかったため、銚子港の整備は必要としばしば叫ばれてきました。
犬吠埼灯台のある場所は銚子港とは離れています。

さて徳川三百年の治世が終わり、維新政府の樹立から日本は資本主義を旗印とする近代社会に進んでいきます。
新政府は直ちに攘夷禁止の布告を発して、国際社会に向かっていく方針を打ち出しました。新しい学問と機械化文明に遅れをとった日本は、これを取り戻すべく色々な政策がとられました。相次いで文明開化の新施設をつくる方針が出されたのです。

洋式灯台を造ろうという動きはそんな時代に起こりました。きっかけは列強(イギリスを中心とする)の圧力でした。当時大量に人や物資を運ぶのは船しかなかった、列強にとってはその航路の安全を確保するのが重要な関心事であったのです。

日本にとっても重要で、殖産興業や富国強兵が求められました。そのために航路標識の整備が必要でした。
また地域の人も地域振興の為に灯台を誘致する動きもありました。(銚子の人も誘致したのかは不明です)

灯台の建設は、定期航路開設の動きを加速させていくことなりました。
今で言うと成田空港や大阪空港の拡大や整備によって新たな海外航路を得ようとする動きでしょうか。

明治政府はイギリス商務省に打診し、商務省は灯台建設に実績のあるスティブンソン一家に依頼しますが、土木技師の「リチャード・ヘンリー・ブラントン」は、それまで灯台をつくった経験がなかったのですが、2ヶ月間の速成教育・実地見学を受けて1868年(明治元年)日本にやってきます、27歳でした。8年間の間に30基の灯台を造りました。

犬吠埼灯台が点灯したのは明治7年(1874)11月15日でした。

*上につぼまった円筒形で半球状のドームがあり、下に扇型の付属舎がついています。似たものに青森県の下北半島の突端にある尻矢埼灯台があります。

【尻屋崎灯台(しりやざきとうだい)】
住所:青森県下北郡東通村
明治9年10月20日完成、東北地方初の洋式灯台、尻屋崎は昔から難破岬として船乗りから恐れられていた。イギリス人が設計し尻屋崎で焼いたレンガで建てられた。レンガ造りの灯台としては日本一の高さ(32.82m)です。

本州最北端というのも、銚子と対照的で面白いですね。

*青森県観光サイトを参考にさせていただきました。

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以下、犬吠埼灯台のプロフィールです

・白亜のバランスのとれた美しいプロポーション

・日本で24番目の洋式灯台
(白色円形レンガ造り)

*レンガについては、興味あるエピソードが伝えられています。

材料中、最も沢山使うのはレンガでした。これを国産にするか外国産のものにするのかで工事費に多大な影響がありました。日本人の中沢技師は「国産を使いたい」といったが、英国人技師は「英国製でなければ工事できない」と主張して譲らなかった。
海上郡余山にレンガの製造を依頼するも品質が粗悪で使えず、英国人はそれ見たことかと言って自説をまげない。しかし中沢技師は国産で出来ないわけがないと色々手を尽くし、偶然香取郡高岡村(現在の成田市滑河町)に良土があることを発見し、旧藩士に製造法を伝授して焼かせた。この土が外国産と遜色ない出来だったので英国人技師はそれを採用したため、工費はかなり節約出来た
レンガ用の土の発見には利根川辺を上流に向かって調査するなど苦労したそうです。

・参観者数日本一の座をほぼ独占してきた(年10万人以上来訪していたこともある)

・平成10年(1998)6月「世界の歴史的灯台100選」に選ばれ、同年11月「日本の灯台50選」にも選ばれる。

*ちなみに「日本の灯台50選」で千葉県にあるのは犬吠埼灯台と野島崎灯台(南房総市、明治2年12月点灯)の2つになります。

・高さ 31,5メートル

・国産レンガ 19万3千枚使用(組積造り)

・(灯台のレンズ)
当初はフランス製のフレネル式第1等8面閃光レンズでしたが、空襲で損傷を受けて、今は国産のフレネル式第1等4面閃光レンズ。

・光度は110万カンデラ
光達距離は36,1キロメートル

*渡り鳥の調査は昭和11年から始まり、繁殖地から越冬地へ、またはその逆へと季節によって渡る鳥のうち、夜間飛翔する鳥は犬吠埼灯台の強烈な橙光に眩惑されて、灯台に激突して墜死してしまうもの(主にウミツバメ)も少なく無かったという。

・霧信号はエアーサイレンで5秒吹聴30秒停鳴。

・航路の安全を図る目的を持つ

イギリス人のブラントンが明治政府の招いた第一号のお雇い外国人であったことは、灯台の建設が、高い給料を払って外国人から技術を取り入れて、日本の近代化をはかったという先駆け的なものともとれます。

・数ある灯台の中でも観覧者数が日本一、観光資源としての価値。高い文化財的価値がある。

銚子市民のシンボル、誇りである。
*犬吠埼灯台が出来るまでは、銚子のシンボルは鰯(いわし)で印刷物によく添えられていたそうです。

『犬吠埼灯台130周年記念講演会・シンポジウム報告書』
2004年 犬吠埼ブラントン会発行

銚子市史 篠崎四郎編者 株式会社国書刊行会 発行

上記2冊より引用、参考にさせていただきました。