圓福寺の隠れた秘宝「蔦重のあとさき」その1-蔦屋重三郎のセンス溢れる仕事に触れた

銚子市にある圓福寺さんが所蔵している江戸文化の語り部である貴重な書物の数々に驚きました。蔦屋重三郎の時代の前後に出版された書物が展示されていました。
蔦重の仕事に触れ、彼の繊細でセンスを感じました。

「蔦重(つたじゅう)のあとさき」〜圓福寺の隠れた秘宝に行ってきました
今回はその講演会のレポートです。

期間:今和7年11月8日と9日の二日間。
場所は、飯沼山圓福寺です。
住所:銚子市馬場町293-1
*銚子電鉄の観音駅から徒歩5分。駐車場もあります。
【注意】すでに第20回寺宝展は終了しています。

飯沼山円福寺-銚子市-2025
飯沼山円福寺-銚子市-2025

【飯沼山圓福寺(飯沼観音)】
圓福寺は、約千三百年間法灯が護持されてきた 真言密教の古刹。坂東三十三観音霊場第二十七番札所としても有名です。

※真言宗は、仏教宗派の一。真言密教とは、真言宗系の東密。
八百四年に入唐した空海は、 (不空の弟子)恵果(けいか)に師事し、帰朝後、 東寺・金剛峰寺などでこれを弘通した。

広辞苑第三版他より引用

飯沼山圓福寺-第20回寺宝展の概要

展示は圓福寺の本堂で行われました。第20回目の寺宝展で長い歴史があります。講師は、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫の佐々木教授です。

圓福寺さんの寺宝展は、住職からの依頼で教授が寺の書庫におうかがいしたのが縁ではじまったものだそう。
今回展示の江戸の大衆本は、その所蔵の中でも公開するのがむずかしかった。
しかし2025年NHK大河ドラマ「べらぼう」で蔦屋重三郎が取り上げられたことで注目が集まり、 歌舞伎や遊里などに関する珍しい書物を公開するチャンスを得たそうです。

今回展示しているのは飯沼山圓福寺さんが所蔵している「28の書物」で、それぞれの内容や価値についての説明がありました。

円福寺第20回寺宝展-202511
円福寺第20回寺宝展-202511

*この記事は、展示された28の書物について“佐々木先生の分類と各本の解説”からの一部引用と、“私の調べたこと”を組み合わせて再構成しています。
「蔦重のあとさき」講演のパンフレットを参考にして、私の興味のある点に絞って書いています。足りない点は多々あります。ご理解ください。

展示書物28冊の簡単なご紹介-その1

*どれも題名が漢字なので難しそうに見えますが、内容を見ていただくと、芸能や風俗など大衆向けの娯楽本であることが分かると思います。

第1節 歌舞伎をめぐる書物たち(No1-4)

歌舞伎とは、江戸時代に発達した演劇。
「常軌を逸する」という意味の「傾く(かぶく)」を語源とし、それが転じて「傾き(かぶき)」となった。1603年に出雲国の阿国(おくに)という女性が京都で踊ったの始まりといわれる。

日本史ハンドブック 東京堂出版刊より

No 1. 伊藤小太夫追善録(いとうこだゆうついぜんろく) 2巻2冊
絵入、元禄3年(1690)頃刊(本の大きさ:縦22.5cm×横15.5cm)

野郎歌舞伎の名優だった二代目伊藤小太夫を惜しむ本

※野郎歌舞伎とは、初期歌舞伎の一名称。野郎歌舞伎は成人した男が女性を演じていた。(次の2にて初期歌舞伎の変遷を説明しています。)

No 2. 姿記評林(しきひょうりん) 2巻2冊(取合せ)
元禄13年(1700)(京)児玉新四良刊(22.5×16.0cm)

 野郎歌舞伎の評判記 (容姿や芸風、人気など評論本、消象画有り)

【初期歌舞伎の名称が、野郎歌舞伎になるまでの変遷】

野郎歌舞伎は、1652年(承応1)若衆歌舞伎が禁止された後を受けて起こったもの。前髪を剃り落として野郎頭とさせたことから名づけられた。
・若衆歌舞伎とは、江戸初期に、前髪のある少年俳優の演じた歌舞伎。
女歌舞伎禁止の後を承けて行なわれ、1652年(慶安5)禁止。
・女歌舞伎は、江戸幕府成立前後に流行した、歌踊を主とする演劇。
多く遊女が出演し、風紀を乱すとして1629年(寛永6)禁止された。

*つまり初期歌舞伎の名称は、江戸幕府最初(1603頃~1629)は女歌舞伎、1629~1652年までは若衆歌舞伎、1652年以降は野郎歌舞伎と変わっていったということです。

(広辞苑第三版より)

No 3. 役者二挺三味線(やくしゃにちょうじゃみせん) 3巻存江戸1冊 西川祐信 画 元禄15年(1702)(京)八文字八左衛門刊(10.7×16.2cm)

円福寺第20回寺宝展-「役者二挺三味線(やくしゃにちょうじゃみせん)」
円福寺第20回寺宝展-「役者二挺三味線(やくしゃにちょうじゃみせん)」

 江戸の役者評判記。
*横本墨色表紙が用いられている当時の定形スタイル。横長の小さい本で形でそれとわかるように工夫されていた。

No 4. 三国朗詠狂舞台(さんごくろうえいきょうぶたい) 3巻2冊
節志堂文貫 撰・川枝豊信 画
享保16年(1731)(京) 井上忠兵衛刊(22.0×15.6cm)

三国は江戸、京、大坂。三国の役者評判記。 
川枝豊信(京の浮世絵師)の役者絵がのっている。

【小まとめ】
上記4冊は当時のスターであった歌舞伎役者の書物です。
野郎歌舞伎の時代から元禄歌舞伎の時代へ移っていく間の珍しいもの。元禄歌舞伎は、歌舞伎が大変発展した時代でした(元禄は1688-1704)。
今でいうと芸能人を紹介・評論した本でしょうか。

第2部 性愛に関する文学作品(No5-8)

No 5. 笑今川(わらいいまがわ)1冊 絵入
(江戸前期)(京) 亀岡堂刊(22.7×15.7cm)

男色物の仮名草子。道徳教科書(今川状)を真似てつくられたパロディ作品

仮名草子とは、古い時代の文体を真似た平易な仮名文で書かれた啓蒙、娯楽、教訓の物語、 (江戸時代初期の短編小説の一体)  。(広辞苑第三版より一部引用)

No 6. 好色袖鑑(こうしょくそでかがみ) 2巻2冊
好色堂何の何氏撰 絵入 天和2年(1682)(京)
丸屋源兵衛刊(22.0×15.8cm)

恋愛のガイドブック的内容。井原西鶴の「好色一代男」より早く「好色」を使用した仮名草子。

No 7. 野傾咲分色孖(やけいさきわけいろふたご) 5巻合積2冊(首尾欠)
八文字自笑 撰 絵入 享保3年(1718)(京) 
八文字屋八左衛門刊(12.5×18.0cm)横長

No 8. 色里迦陵頻(いろざとかりょうびん)1冊(尾欠)
西沢九左衛門(一風)撰 
正徳頃(1711-1716)刊(10.8×16.5cm)

遊女と若衆に育った男女の双子をめぐる恋愛の物話。

1700年(元禄)前後に遊里(遊女のいる所)で流行した歌謡を集めた本。
*縦(10.8cm)×横 (16.5)とコンパクトで持ち運びに便利な大きさ。

「迦陵頻(かりょうびん)」とは、
仏教で『想像上の鳥』 迦陵頻伽(かりょうびんが)の略。
雪山または極楽にいるという。その像は人頭・身体は鳥の姿をしている。(迦陵頻伽は、妙音鳥・妙声鳥などと意訳。)

(広辞苑第三版より)

【5-8小まとめ】
5〜8は、性愛に関する書物で、当時の社会や文化を教えてくれる。 幕府の規制を受けながらも出版された本がありました。

第3部 平賀源内と蔦重の周辺(No9-17)

No 9. 〈男色細見〉三の朝(なんしょくさいけんみつのあさ) 横1冊
水虎山人(平賀源内)序 
明和5年(1768)序刊 (13.8×19.5cm)

江戸の芝神明門前、湯島天神門前、芳町や、京・浪花などの男色地帯を説明した本。(吉原のガイドブックの形式を使って他の歓楽街を描いている)

芝神明は、現在の芝大神宮、平安時代寛弘二年(1005)創建。江戸時代は徳川幕府の保護下で大産土神として関東一円の庶民信仰を集め社頭は大いに賑わい、 広重の錦絵にも出てくる。

芳町(よしちょう)は、今の日本橋人形町周辺に存在した旧町名。江戸時代は芝居小屋や陰間茶屋(男娼を斡旋する茶屋)が多かった。

No 10. 飛花落葉(ひからくよう) 1冊
風来山人(平賀源内)撰・四方山人(太田南畝)編
天明3年(1783)(朋誠堂)喜三二他序、
寛政9年(1797)(江戸)清原屋伊八他刊(14.7×10.8cm)

平賀源内が書いたたくさんの広告文や狂文、酒落文などを集めた本
(NHK大河にも登場した文人「大田南畝(なんぽ)」も提供)

【平賀源内(1728-1779)】
江戸中期の本草学者・戯作(げさく)者。エレキテルを発明、自製して治療に応用。その後、戯作に没頭。狂気して門弟を殺し、獄中に没。
*天才といわれる、他分野でその才能を発揮した。

(広辞苑第三版より)

No 11. 当世とらの巻(とうせいとらのまき) 1冊
田螺金魚 撰 絵入
安永7年(1778)序刊(18.3×13.0cm)

吉原の松葉屋遊女の五代目『瀬川』を高利貸の鳥山検校が身請けした実話をもとに作られた酒落本。この本は大変人気があり再版されました。(大河ドラマでも印象的に残る場面でした)

酒落本(しゃれほん)とは、明和から天明の頃にかかれた遊里文学。対話を骨子とし、遊びの『うがち』を主とする。うがちとは、普通には知られていない裏の事情をあばいたり、人情の機微を言い表わすこと。

**下記は上記の本の挿絵ではありません。松葉屋の瀬川ではないです。
圓福寺さんで公開されていた浮世絵を撮りました。描いた絵師や年代によって様々な作品が存在するようです。
下記の浮世絵は「扇屋 瀬川」で、画は細田榮之(鳥文斎榮之です。
細田榮之(1756-1829)は歌麿や北斎と同じ時代に活躍した絵師です。

円福寺第20回寺宝展-錦絵-瀬川
円福寺第20回寺宝展-錦絵-瀬川

N0 12. 当世じつの巻(けいせいじつのまき) 1冊
井之裏楚登美津 撰・喜多川歌麿 画
寛政年間(1789-1801)刊 (18.2×12.7cm)

遊女の例外咲川と、病人となった花嬌の恋愛を書いている本「 とらの巻」人気に便乗して作られた本、喜多川歌麿が絵を描いています。

No 13. 傾城觿(けいせいけい)1冊
山東京伝 撰・画 天明8年(1788)(江戸]
蔦屋重三郎刊 (16.0×11.2cm)

円福寺第20回寺宝展-蔦重「傾城觿(けいせいけい)」
円福寺第20回寺宝展-蔦重「傾城觿(けいせいけい)」

蔦屋重三郎が手がけたガイドブック、世界的に人気な本。センスあれれるデザインと細やかな作り込みを感じました。

 とても売れた「俳諧 (はいかいけい)」を真似て、俳諧宗匠ではなく、吉原の人気の遊女を紹介した本

【蔦屋重三郎(1750-1797)】
「蔦屋」の主人。本名は北川珂理。号、耕書堂。蜀山人・京伝ら江戸の狂歌師・戯作者と親しく、喜多川歌麿・十返舎一九・滝沢馬琴らも一時その家に寄萬。通称・蔦重。自らも狂歌・戯文を作り狂名は蔦唐丸(つたのからまる)。
お店「蔦屋」は地本問屋。初め吉原大門口に、後に日本橋通油町に移った。
*そのプロデュース能力は素晴らしいものでした。

(広辞苑第三版より)

No 14. 〈石場妓談辰巳婦言(せきじょうぎだん たつみふげん) 1冊
式亭三馬撰・喜多川歌麿 画
寛政10年(1798)序刊 (15.8×10.9cm)

 深川の古石場(ふるいしば)を舞台とする人気の酒落本。

※当時の辰巳(北東)は深川を意味していた。吉原は公認の場所で、深川は手軽に遊べる所だった。

No 15. 〈夢汗後篇妓情返夢解(むかんこうへん ぎじょうへんむかい) 1冊
梅暮里谷峨 撰・栄松斎長喜 画
享和2年(1802)序刊(18.7×12.5cm)

遊女の妊娠をとりあげている。遊女と2人の男との間に起こるドタバタ。数人が同時に見る夢を織り交ぜているのも面白い所。 

No 16.〈青楼奇談狐竇這入(せいろうきだん きつねのあなばいり) 1冊
十返舎一九 撰・画 享和2年(1802)序刊(15.7×11.2cm)

王子稲荷のお告げで遊女と縁を切ろうとする男のドタバタを描いている。絵の背景に様々な世相が見える。十返舎一九が絵を描いています。

王子稲荷は、稲荷神の頭領として知られている。狐火にまつわる民話も残っている。(王子稲荷神社は今の北区岸町にある)
*青楼とは、遊廓のこと。

前半(No1-16)のまとめ

それぞれの本に土地の匂いがあり、歴史がある。歌舞伎役者の評判記、名所と歓楽街の案内、性愛もの、吉原遊女の実話、男と女のドタバタ、絵を加えた物語、人々の話題になる様な面白さを提供していました。
読者が楽しめように趣向や工夫をこらす、“いき”を感じました。

江戸時代、出版文化が開き始めた時代の本。業者も必死、色々な苦労もあった。大河ドラマを見ていたせいか、様々な人間模様も想像してしまいました。貴重な本の数々に興味は尽きません。

*長くなりました。この続きは、次回「圓福寺の隠れた秘宝「蔦重のあとさきーその2」にて書きます。
「第4部 吉原遊女評判記さまざま」、「第5部 吉原細見と蔦屋重三郎」と続きます。時間のある時に読んでいただけると嬉しいです。

*2025年11月に銚子市にある『飯沼山圓福寺』で行われた「蔦重(つたじゅう)のあとさき」〜圓福寺の隠れた秘宝~展のレポートでした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
*「蔦重のあとさき」パンフレット、「日本史ハンドブック」阿部猛、西垣晴次編 東京堂出版刊を参考にしました。