2025年11月に銚子市で行われた「蔦重(つたじゅう)のあとさき」〜圓福寺の隠れた秘宝に行ってきました。 今回はその講演会のレポートその2です。
【注意】すでに展示は終了しています。
飯沼山圓福寺-第20回寺宝展の概要-その2
【飯沼山圓福寺(飯沼観音)】
銚子市にある「圓福寺」は、約千三百年間法灯が護持されてきた 真言密教の古刹であり、坂東三十三観音霊場第二十七番札所として有名です。

展示は圓福寺の本堂で行われました。
飯沼山圓福寺さんが所蔵している「28の書物」を展示、慶応義塾大学・佐々木教授から説明と各本の解説”からの一部引用と“私の調べた部分”を組み合わせています。
第4部 吉原遊女評判記さまざま、第5部 吉原細見と蔦屋重三郎と続きます。吉原関係の書物が続きますので、初めに吉原と細見について書きます。
吉原と細見
【吉原は江戸の遊郭】1617年(元和3)に市内各地に点在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきや)に集めたのに始まる。1657年の明暦の大火にて全焼し千束日本堤下山谷(現在の台東区浅草北部)に移し、新吉原と称した。
広辞苑第三版より
【細見とは】くわしく見ること。細かに示すこと。また、そのために作った地図・人名録・案内記など。
吉原細見は、江戸遊郭の吉原についてのガイドブック。
*「蔦重のあとさき」パンフレット、広辞苑第三版より
開くと地図もあり、お店の位置、女郎の名前などが載っていました。
【蔦屋重三郎(1750-1797)】
蔦屋重三郎は「蔦屋」の主人。本名は北川珂理。号、耕書堂。通称・蔦重。
江戸吉原の丸山家に生まれたが母が家を出てしまい、吉原・蔦屋の養子になる、喜多川(北川)氏を継ぐ。新吉原大門口五十間道に貸本屋「耕書堂」を開く。鱗形屋発行の「吉原細見」の小売り開始。後に本格的に「吉原細見」の出版にのり出した。日本橋通油町に移り「蔦屋耕書堂」を開店した。蔦屋は地本問屋。*鱗形屋は同時期に協業していた地本問屋のひとつ。
(広辞苑第三版他より)
展示書物28冊の簡単なご紹介-後半17から28まで
第4部 吉原遊女評判記さまざま
No17. 吉原鑑(よしわらかがみ) 1冊 絵入
万治4年(1661)刊(17.0×13.7cm)
京島原の遊女の評判記「ね物がたり (明暦2年、1656刊)」の吉原版。
※京の島原とは京都市下京区にある、日本で最も古い花街のあった所。
No18. 讚嘲記時之大鼓(さんちょうきときのたいこ) (目録) 1冊
上氏かわずの介安方撰 絵入
寛文7年(1667)(江戸)鱗形屋加兵衛刊(18.7×13.6cm)
有名で位が高く性格の強い遊女の評判記。三浦屋の三代目「たかを」 などが登場する。*後に出版される「吉原細見」の手本となったような作品といわれる。
No19. 吉原下職原(よしわらげしょくげん) 1冊
大ぬれや茂助撰・菱川師宣 画
延宝9年(1673)(江戸)草子屋権左衛門刊
(19.1×14.0cm)
人気があった菱川師宣の挿絵が入った吉原の本。
【菱川師宣(ひしかわもろのぶ:1630頃-1694)は、】安房国保田(今の千葉県鋸南町保田)出身の錦絵画家。江戸に出て版下絵師として庶民の人気を獲得した。後の浮世絵版画の元となった。「見返り美人」に見られるような独特の女性美を追求した、絵画の大衆化に貢献した絵師。
*鋸南町のホームページを参考にしました。
(鋸南町の「道の駅きょなん」内に菱川師宣記念館があります)
No20. 生茶女郎花(さんちゃおみなえし)) (銀) 1冊
東好色うかれ男藤氏撰 絵入
(延宝(1673~81)頃)江戸 川崎七郎兵衛刊
(18.4×13.8cm)
No21. 吉原草摺引(よしわらくさずりびき) 6巻(存卷6)1冊
鈴木武平 撰 絵入 元禄7年(1694)刊 (22.5×15.4cm)

歌舞伎の『曽我物語』にちなんだ題名の本。(評判が良すぎて幕府から絶版処分をうけた。)
※曽我物語は父河津三郎の仇である工藤祐経を討つ曽我十郎・五郎兄弟の仇討ちを描いた話。
*草摺引(くさずりびき)とは、歌舞伎舞踊のひとつ。長唄・荻江節。曽我五郎が朝比奈と鎧の草摺を引き合う荒事の舞踊化。(広辞苑第三版より)
*上記の本の絵は女郎がお客さんを客引きしている場面なのでしょうか?
No22. 吉原七福神(よしわらしちふくじん) 5巻(存巻1、5)2冊
鶯躍軒 撰 絵入 正徳3年(1713)刊自序 (15.9×11.3cm)
巻頭に吉原の地図がある。次の遊女のランクがあり、 地区別の説明もある。吉原を案内した本。
No23. 吉原丸鑑(よしわらまるかがみ) 6巻横6冊
蝶郎 撰・羽川珍重 画 享保5年(1720) (江戸)
戸蔵屋嘉兵衛刊 自序 薄色原表紙(13.0×19.0cm)
吉原の百科辞典のようなもの。 揚屋、江戸町、弐丁目、角町、京町、新町の6巻がある。
No24. 吉原大全(よしわらたいぜん) 5巻5冊
酔郷散人(沢田東江)撰 鈴木春信 画
明和5年(1768) 翠楊館蔵版 水浅葱色原表紙(18.4×12.8cm)
吉原遊郭の総合案内。位の高い吉原の遊女評判記、風俗誌、沿革史、年中行事録など吉原の文化が載っている本。
※1765年(明和2)に絵師『鈴木春信』と狂歌師巨川は華麗な多色刷浮世絵版画を始めた、これが錦絵と呼ばれた。
第5部 吉原細見と蔦屋重三郎
吉原のガイドブック「吉原細見(よしわらさいけん)は、毎年情報が更新・刊行される定期刊行物で、今でいえば雑誌のようなもの。正月と秋頃の年2回発行された。延宝年間(1673~81)に1枚刷で登場し、享保年間(1716~36)までに横型の冊子となりました。
「吉原細見(よしわらさいけん)は、宝暦9年(1759)頃から鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)の独占になりマンネリ化していきます。
吉原で育った蔦屋重三郎は、細見の小売りから始めて、安永4年(1775)には細見を出版するに至ります。
No25. とまりふね(序) 横1冊 すいう龍 画
明和6年(1769)(江戸) 刊 鱗形屋刊(10.8×15.8cm)
鱗形屋が吉原細見を独占していた時の本、横型の本で横に広い特徴をしている。
No26. 細見和歌三鳥(さいけんわかみどり) (序) 横1冊
明和7年(1770)[江戸)鱗形屋刊 後補薄茶色表紙(10.7×15.8cm)
古今伝授の「和歌三鳥(わかさんちょう)をもじった書名。
No27. 吉原細見たつたひめ 朋誠堂(喜三二)序
天明元年(1781)7月(江戸) 蔦屋重三郎刊 色紙剝落表紙(18.5×13.0cm)

蔦重は序の部分を人気作家に書いてもらい、本の信頼性を増した。
蔦重は横型を縦型に変え情報量を増やした、小型で薄くすることで買いやすくした。
(*使い込まれて状態は良くない、読み捨てられるものであったことが分かります。1冊を回し読むことが普通だったとのこと。)
※「吉原細見たつたひめ」は、妓楼や遊女の名などを明細に記した江戸吉原の案内書。
(本の右ページには)吉原入り口、大門口の前には“茶屋や蔦重の本屋などの店名”がある。
門をくぐった(左ページには)道の両側に“客を遊女屋へ紹介する手引き茶屋”が並んでいる。(道に中乃町など色々書いてあり、丁寧に作られているのが伺えます。)
No28. [新吉原細見] 1冊十返舎一九序
嘉永3年(1850)7月(江戸) 玉屋山三郎刊 水色原表紙(17,7×11.8cm)
幕末に蔦屋の流れをくむ玉屋山三郎が出した細見。
*蔦重が亡くなった後、細見は別の人が作り続けた。
*おしゃれなデザインの袋に入れられて売られていた。色付きの本は2色刷りよりも高かったという。
蔦屋重三郎の原点は吉原
吉原は知識人にとっての情報交換や最新の流行を知る場でもあった。吉原にはお金持ちだけでなく、下級武士や町民も来ていたそうです。蔦重は吉原人脈との会話・文化人との会話から色々なアイディアを得たのではないかといいます。
*常に市場にアンテナを張り、構想を練っていい書物を作る。
その土台は育てられた吉原にあった。プロデュース能力の裏には優れたコミュニケーション力があった。苦労して人間力も長けていたのだろうと思いました。
まとめ
今回の展示会で知った事実
・銚子で名利である飯沼山圓福寺さんが沢山の貴重な古書、昔より伝えられている仏教関連だけでなく、江戸時代の『嵯峨本』などの書物を所蔵しているということ。
【嵯峨本とは】慶長後半から元和にかけて京都嵯峨で出版された書籍の総称。多くは平仮名まじりの本活字による国文学書。版式・装潢(そうこう)が美しく、世界的にも有名な印刷物。
広辞苑第三版より
・今回第20回寺宝展で展示した書物は、先代の住職が太平洋戦争後の昭和に収集したということ。華族が戦後の混乱の中生活の為手放したもので世界的にも貴重であること。
【華族とは】1869年に皇族の下、士族の下に置かれた族称。旧公卿・大名の家系の身分呼称で、1884年の華族令により実業家にも適用される特権階級だったが、1947年に新憲法施行により廃止。
広辞苑第三版
・慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)との縁があり、長い間寺宝展を実現できていること。
*「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」は、慶応義塾大学に蓄積されたさまざまな文化財を基点として出会い・交流する場とのこと。(HPより抜粋)
日本の印刷の事実を知る
豊臣秀吉の時代に朝鮮出兵した事がきっかけで、当時の朝鮮の金属活字印刷術を持ちかえった。それを秀吉が後陽成天皇に奉ることで、金属活字での活版が始まったものの50年程度で一度下火に。胴による活字版は少なくなっていったとのこと。
活版にかわり木版が主流になった。(大量生産のためコストを重視)
これが江戸の印刷文化を発展させました。そこには娯楽を求める大衆に向けるという目的がありました。
*江戸時代は女性向けの本が多かったそうです。(これも意外でした。)
江戸も財布のひもは女性が握っていたらしい。(これは意外ではないですね‥)
圓福寺さんに感謝
**展示された書物はどれも江戸の歴史・風俗を語るもの**
蔦屋重三郎さんの手がけた書物が繊細で絵もきれいなのに感動しました。
慶応義塾大学・佐々木先生の講演も大変勉強になりました。江戸の出版文化や吉原など知らないことを勉強できました。
圓福寺さんが貴重な書物を無料で公開していることは凄いこと。
飯沼山圓福寺さんに感謝します。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
*「蔦重のあとさき」パンフレット・慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 佐々木孝浩教授作成の解説より引用・参考にしました。、「日本史ハンドブック」阿部猛、西垣晴次編 東京堂出版刊を参考にしました。
掲載の写真については圓福寺さんの方で撮影許可のあるものです。