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銚子港

ブラタモリ-レビュー-銚子~銚子はなぜ日本一の漁港になった?~


*2019年にNHKで放送されたものです。
【注意】*印にて番組内で説明の無かったところを加筆しています。











銚子漁港は2018年水揚げ量が日本一(8年連続)




年25万トン水揚げされまています。イワシ・サバ・サンマなどの魚が揚がり一日に5千トンを越えることもある。




銚子漁港は3つある魚市場と4キロの岸壁を持つ巨大な港です。
*銚子第一漁港の第一卸売市場では、大型のマグロ類の入札風景を見学することもできます。




*銚子漁港は、江戸時代初期に海上航路の廻船の寄港地、避難港として利用されたのが始まりと言われています。



銚子漁港から銚子ポートタワーに向かう道の右側に「川口神社」(寛和2年【986年】創建、漁師の守り神)があります。明治末ころ神社下には捕鯨会社の出張所があり捕鯨が行われていました。


タモリさん銚子には銚子大好きで2回目だという。林田アナウンサーは来たことはない初めて。銚子の漁港にある船が大きいのに驚いている様子。タモリさん(冗談ぎみに)普通の人は銚子に興味ないのではない、若い女性はあまり来ないのではという。少し極端でした。




今回の解説者、同行するのは城西大学(歴史地理学)山下先生である。




タモリさんは、銚子の漁港が日本一といわれてもピンときていなようだったが、銚子は水揚げ量が日本一と知る。銚子の漁港の水揚げの八割は他県からきた漁船に寄るものです。
タモリさん港に停泊している漁船が大きいのにビックリ。タモリさん漁船の上に乗っている小さい船に興味津々、網を仕掛けるのに小さい船が必要だという。




「銚子漁港はなぜ日本一の漁港になったのか?」が今回のお題で、これを探っていきます。




最初に犬吠埼灯台にいきます。「とんがり」がポイント




タモリさん灯台を見るなり、無線の塔だという。実際最近までGPS信号を受信する役目をおっていた。
地形に詳しい銚子市学芸員(地質学)岩本さんが登場。
林田アナ灯台には登らないで灯台の遊歩道を歩くことになりガッカリ。一同遊歩道から太平洋を見て、この先のアメリカに思いをはせる。
銚子は見ての通り「とんがり」である。このとんがりが銚子が日本一の漁港になった理由ですと先生。




犬吠崎灯台の下に降り、岩場をみてあるく。その岩の中に「ゴカイ」の糞の化石を見つける。林田アナ糞に触ったと焦った顔。
此の辺り一帯ではこうした海の底の古代生物の化石が「砂岩」で発見されている。そのなかにはアンモナイトの化石もある。
この砂岩が出来たのが1億2千年前の地層のものです。恐竜が生きていた時代のもの。砂岩も8千万年前より前に出来たものは凄く硬くなるという。(上に新しい地層が堆積するほど圧縮されて硬くなる)




これだけ古い岩が露出しているのは関東では銚子だけである。
*一部の岩礁面には化石漣痕を含む白亜紀浅海堆積物も見れます。(国の天然記念物に指定されている)




硬い岩がどうして銚子の「とんがり」と関係しているのか。硬い岩のため浸食されず残っている。実際12万年前の想像図だと地図に「銚子島」としてあったそう。
西から流れてきた土砂は銚子島の西側に堆積して他の地域とつながり隆起、他の地域も堆積して「銚子のとんがりが完成した」のだ。




南からきた黒潮(暖流)は銚子のとんがりで流れの方向を東へ変える




黒潮(暖流)は、北からきた親潮(寒流)と銚子沖で激しくぶつかって、魚のエサとなるプランクトンが多くなりそれを求めて魚が集まってくる。
また銚子漁港は、利根川の出口として豊富な栄養を含んだ水が上流から流れてきます。撒き餌となりそれも魚を沢山集めた理由です。




タモリさんもう結論が出ましたねと言う。しかし先生まだこれから大事な要素がありますと一言。







さて舞台は銚子で最初に出来た「外川漁港」に移動します








「外川漁港」です。昔和歌山の人が移住してきて作られた港です。江戸時代銚子意作られた最初の漁港です。




外川は漁港から高台に向かって真っすぐな坂道がある。外川の道路が格子状になっているのは何故なのか分かりますか?という。
しばらく考えて、荷物の運搬ですかというタモリさん。
先生それでは上に上がって確かめてみましょうと言う。




銚子のこの周辺は堅い台地で、昔の地図を見ると一面に広く砂地が広がっていた。「食べ物でない何か」を荷車を使って坂道をあげて加工するためだったという。




外川漁港でとれた魚を台地に上げ、鰯(脂を絞った)を干していた。




「干鰯(ほしか)」といわれ栄養が豊富に含まれていたため、江戸・関東などで乾燥肥料として需要が多かった。農業の発展に役立った。




近所に干鰯であったことを知っている人が近くにいるというのでいってみる。
「外川ミニ郷土資料館」です。資料館の女性はこの付近一帯の台地いっぱいに干鰯があったいう。昔は干鰯は落ちていても猫も食べなかったので「ねこまたぎ(猫跨)」といわれていた。女性のおじいさんは落ちた魚?で財産をつくり青山に土地を買ったそう。
曰く銚子は「お金持ちになるためにくる土地」であったという。
当時生の魚を運ぶ技術は無かった。干した魚であれば日持ちして利用価値があり高値で売れた。




*近世初頭から銚子に限らず房総は一大漁業地域になりました。関西の漁民が遠方に出漁してきた理由が、畿内農村における「綿花」など作物栽培が増加し金肥(干鰯・〆粕)需要の急増でした銚子に来た紀州の漁民は干鰯の技術を持っていた。



「外川ミニ郷土資料館」
外川の歴史に触れることが出来ます。当時の漁師が使用した漁具なども展示されています。銚子電鉄の外川駅から歩いて1分です。
銚子市外川町2丁目10610 お問い合わせ電話0479-22-0575


大正時代になり漁港の整備が急務だった。しかし建設資金は膨大であり千葉県でまかなうことは出来なかった。醤油会社社長「浜口吉兵衛さん」も資金提供した。
大正14年(1925)に着工、長い時間をかけて北側に銚子漁港が出来た。銚子の漁業は一層発展することになった。




漁港をさらに発展させたものがあった




「銚子電鉄」に乗り移動することに。タモリさん車窓から周りを見るとキャベツが畑にたくさんあるのにビックリ。春キャベツの生産量は日本一です。




先生が旅のお供にどうぞということで「ぬれ煎餅」を出されて美味しく食べる。この煎餅に使われている醤油が、銚子漁港を大きくするために大きな原動力になった。銚子電鉄の仲ノ町駅の近くにもある醤油工場(ヤマサ醤油)が見える。当時醤油は莫大な利益を上げていた。




醤油工場に行く。漁港を大きくした醤油の「革新的なもの」とは




*番組中名前は出ていないが、銚子の西とあるので「ヒゲタ醤油」である。




*ヒゲタ醤油は1616年(元和2年)創業です。田中玄蕃が銚子で「しょうゆ業」を始めました。




「もろみ」を作っている工場の中に入る。大きい醤油樽に圧倒されるお二人。
*諸味とは「醸造して、まだ粕をこさない酒または醤油」出典:広辞苑第三版




工場長が説明してくれた革新的なものとは、醤油はもともと「大豆と塩」でつくられていたのですが、そこに「小麦」を加えたことでした。
原料として小麦が加わる」ことで「香り」がプラスされて、江戸で「そば」の調味料として大変な人気になりました。小麦は発行するとアルコールに変わり、すぐに蒸発して香りが残りやすいとのこと。「香り」は食欲を増進させる効果もあります。
銚子の特上醤油が利根川を経て「江戸の食文化」を開花させたともいえます。




小麦を使った醤油と使わない醤油で「香り」に大きな違いがあった。
小麦を使わない醤油は鰹(かつお)の生臭さが残るのだが、小麦を使用しているとその生臭さを消してくれる効果があった。瞬く間に醤油は江戸で人気になり消費量が増えました。莫大な利益を生んでいった。




醤油で稼いだ資金が漁港の整備に使われました。漁港の完成に向けた動きが加速した。




もう一つ銚子漁港が大きくなれた理由として、漁港にある加工工場の存在がある




タモリさんと林田アナウンサーが加工工場の冷凍庫に入ってみる。
体がギュッと絞まるような寒さに驚く。庫内はマイナス35℃に設定しているという。冷凍工場と冷凍庫は漁港としては全国一位。銚子全体だと冷凍設備は10トンを超える能力があるという。この冷凍設備があったのも他の地域からきた漁船が魚をおろすことを可能にしました。
そして関東で、「大消費地の東京が近くにあった」のも銚子漁港が発展した理由です。




冷凍庫のそとへ出て暖かいのにビックリするタモリさん。
「銚子には漁港から上がると台地があって、その地形を最大限に活用しているんですね」頷く先生、番組最後、銚子の地形の特徴で終わるのが印象的でした。




地形、環境、人材、大量の魚、大きな港、冷凍設備がそろっていくことで銚子漁港が発展してきたのです。日本一の漁港になった理由が明らかになりました。
「色々な先人の尽力があって銚子漁港の発展があった」そのことに感謝したいと思いました。