漁港をさらに発展させたものがあった
「銚子電鉄」に乗り移動することに。タモリさん車窓から周りを見るとキャベツが畑にたくさんあるのにビックリ。春キャベツの生産量は日本一です。
先生が旅のお供にどうぞということで「ぬれ煎餅」を出されて美味しく食べる。この煎餅に使われている醤油が、銚子漁港を大きくするために大きな原動力になった。銚子電鉄の仲ノ町駅の近くにもある醤油工場(ヤマサ醤油)が見える。当時醤油は莫大な利益を上げていた。
醤油工場に行く。漁港を大きくした醤油の「革新的なもの」とは
*番組中名前は出ていないが、銚子の西とあるので「ヒゲタ醤油」である。
*ヒゲタ醤油は1616年(元和2年)創業です。田中玄蕃が銚子で「しょうゆ業」を始めました。
「もろみ」を作っている工場の中に入る。大きい醤油樽に圧倒されるお二人。
*諸味とは「醸造して、まだ粕をこさない酒または醤油」出典:広辞苑第三版
工場長が説明してくれた革新的なものとは、醤油はもともと「大豆と塩」でつくられていたのですが、そこに「小麦」を加えたことでした。
「原料として小麦が加わる」ことで「香り」がプラスされて、江戸で「そば」の調味料として大変な人気になりました。小麦は発行するとアルコールに変わり、すぐに蒸発して香りが残りやすいとのこと。「香り」は食欲を増進させる効果もあります。
*銚子の特上醤油が利根川を経て「江戸の食文化」を開花させたともいえます。
小麦を使った醤油と使わない醤油で「香り」に大きな違いがあった。
小麦を使わない醤油は鰹(かつお)の生臭さが残るのだが、小麦を使用しているとその生臭さを消してくれる効果があった。瞬く間に醤油は江戸で人気になり消費量が増えました。莫大な利益を生んでいった。
醤油で稼いだ資金が漁港の整備に使われました。漁港の完成に向けた動きが加速した。
もう一つ銚子漁港が大きくなれた理由として、漁港にある加工工場の存在がある
タモリさんと林田アナウンサーが加工工場の冷凍庫に入ってみる。
体がギュッと絞まるような寒さに驚く。庫内はマイナス35℃に設定しているという。冷凍工場と冷凍庫は漁港としては全国一位。銚子全体だと冷凍設備は10トンを超える能力があるという。この冷凍設備があったのも他の地域からきた漁船が魚をおろすことを可能にしました。
そして関東で、「大消費地の東京が近くにあった」のも銚子漁港が発展した理由です。
冷凍庫のそとへ出て暖かいのにビックリするタモリさん。
「銚子には漁港から上がると台地があって、その地形を最大限に活用しているんですね」頷く先生、番組最後、銚子の地形の特徴で終わるのが印象的でした。
地形、環境、人材、大量の魚、大きな港、冷凍設備がそろっていくことで銚子漁港が発展してきたのです。日本一の漁港になった理由が明らかになりました。
「色々な先人の尽力があって銚子漁港の発展があった」そのことに感謝したいと思いました。
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