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銚子電鉄の銚子駅01

銚子電鉄物語3-話を一部書き足しました

【銚子遊覧鉄道】 
銚子電鉄の前身は「銚子遊覧鉄道」です。1913年(大正2年)に開業。車両は当時の鉄道院から譲り受けた小型機関車2両、客車は4両を所有していました。英国のナスミス・ウィルソン社製でした。小型機関車は全長7.8mで、路線は5.9km所要時間23分、1日7往復、運賃は銚子から犬吠間で二等車で20銭、並等車で10銭でした。業績が良くなかったため1917年に廃止、会社は解散となりました。車両は銚子鉄道に引き継がれました。
【ナスミス・ウィルソン社】
1836年にジェームス・ナスミスによってマンチェスター(イギリス)にあった機関車のメーカー。日本の蒸気機関車の標準を作った。1886年(明治19年)から1908年(明治41年)まで183両が輸入されている(外地も含む)。
*ウイキペディアを参考にしました。

銚子遊覧鉄道が廃止されて数年後各地で鉄道建設の動きが活発になっていきます。
東京在住の人たちによって、「銚子海岸鉄道」建設の動きもありました。
そんな中、銚子遊覧鉄道と同じ株主たちが中心になって、旧線路用地を利用して鉄道の復活が計画されます。結果大正11年(1922年)銚子鉄道会社がスタートしたのでした。前身の銚子遊覧鉄道が廃止されて5年後のことです。

*「崖っぷち銚子電鉄なんでもありの生存戦略」竹本勝紀 寺井弘樹著 イカロス出版刊、ちばの鉄道一世紀 白土貞夫著 崙書房刊 を参考にいたしました。
【銚子鉄道会社】
県内ではJRよりも早く電車を走らせた!そして地域の足として調子いいときもあった。!!

大正11(1922)年9月29日に銚子鉄道会社がスタートする。レールを外川まで延長して6.4kmとなり、翌年の7月5日に開業する。33馬力と50馬力エンジンを搭載していたアメリカ製ガソリン機関車が客車を引いた。しかし最初期のガソリン動力使用で故障が続出して運行に支障が発生し鉄道省の指導を受けてしまった。仕方なく2年後の大正14年(1925)7月1日から電化したのでした。
当時は蒸気機関車が主流でしたから英断でした。最初の電車は長野県伊那電気鉄道(現在のJR飯田線)から譲り受けた中古電車でした。
1941年に太平洋戦争が始まるとガソリンが不足してバスが運休になり、銚子鉄道は大活躍したのでした。

【参考まで】


JRが県内で初めて汽車を走らせたのは1894年7月20日(明治27年)です。
総武本線の銚子までの全面開通は1898年(明治31年)です。
当時のダイヤは本所(今の錦糸町)発午前6時、10時、午後2時、6時の銚子行きで、銚子へは4時間10分から20分の旅でした。
当時の人は楽に東京に日帰りできるようになった汽車の便利さに感動したそうです。

②銚子電鉄の運行回数が他の列車より負けないくらいの多い時代もあった!



先ほど①で大正14年(1925年)ころ購入した中古電車ですが、約30分間隔で発車するように改めたそうです。
これは当時とすればとても凄いサービスでした。
同時期の県内の列車は銚子駅に接続する総武本線列車を始め約2時間間隔であり、最も混雑していた両国橋ー千葉間ですら1時間毎の発車でした。京成電気軌道も15分乃至30分毎に運転、国鉄久留里線や県営八街線は何と4時間待たないと次の電車が来ない時代でした。
銚子鉄道の運行回数の多さは驚くべきものでした。
【京成電気軌道】
1903年に京成電気鉄道会社が、亀戸町字北松代町~成田間の電気軌道敷設特許願を提出して始まった。押上~成田間軌道、押上から始まり市川船橋千葉酒々井成田方面へ延伸していきました。*京成電鉄の歩み(京成電鉄のHPを参考にしました)

*「崖っぷち銚子電鉄なんでもありの生存戦略」竹本勝紀 寺井弘樹著 イカロス出版刊、ちばの鉄道一世紀 白土貞夫著 崙書房刊 を参考にいたしました。