国木田独歩の武蔵野を読んで強くイメージされたもの。
それは武蔵野の自然の美しさをバックにした一種の無限性でした。
この小説が日本人の心情を強く揺さぶるのはなぜなのでしょう。
何回か読むことで見えてきたものがありました。
*「武蔵野」国木田独歩著 新潮文庫刊を読んだ感想になります。
「武蔵野」国木田独歩(1872-1906)著 (明治34年刊行)
【時代】明治29年(1896)秋~明治30年冬(日記)。明治30年代初頭。
(時代背景)明治時代は私たち現代につながる始まりの時代。
日本は西洋の制度や文化を取り入れた「近代国家」への道を歩みます。
明治21年には市制・町村制が施行されました。境界も様々変わっていきました。
22年には大日本帝国憲法発布、東海道本線が全線開通しています。
【舞台】渋谷村の小さな茅屋に住んでいたころの“武蔵野の様子”
(渋谷村)渋谷は江戸時代は幕府の直轄地、のち代官や村役人が支配。
明治21年の市制町村制の施行によって渋谷村になった。
(武蔵野)関東平野の一部。埼玉県川越以南、東京都府中までの間に拡がる地域。(広辞苑第六版)
【登場人物や記録】独歩と彼の日記。朋友(ともだち)との手紙。
日記は明治29年の秋からで独歩が24歳ころに書いたもの。
章の案内(一から九)
武蔵野の美しさを書いている。そこにいる人間を描いている。
時代の雰囲気も伝わる。彼の心情も林間からみえる。
*下記の番号は章です。横の文は私が章について簡単にまとめた解釈です。
一、武蔵野の面影について書いている。
二、独歩が日記に武蔵野の美しさを書いている。(秋から冬)
三、日記の解説。今の武蔵野の美しさ。
四、ツルゲーネフ・露西亜の作品の林から武蔵野を見る。
五、朋友の手紙から武蔵野の路について書いている。
六、昔に友と歩いた武蔵野の人や物との思いで。
七、友の手紙から。東京からみた武蔵野の領分。
八、武蔵野周辺の小金井と水流。
九、大都会と田舎の町外れから思う事。
しっかりとした構成のもとに小説がすすみます。
武蔵野の美しさ面影を過去の記憶と日記などから語ります(一・二・三)。
露西亜の詩から武蔵野の林の良さを語ります。最後には自分の気持ちも少し(四)。
朋友の手紙から、武蔵野の様々な道を歩いたことで、人生の道との関係を連想します。
生活と自然とが密接していることを知ります。とても印象的な章です。(五)
夏の日に武蔵野で出会った人々との楽しい時間、雲・水・動物・自然と触れ合ったこと。(六)
。彼は自分の中に一種の武蔵野があるという。その限界について語ると時に東京にたいして考えていたことも明らかになる。彼のこだわりがある文章。(七)
武蔵野の川から水流の話をする。その風景の美しさも。(八)
都会と田舎の境目は一種の生活と一種の自然を配合し一種の光景を描き出す。(九)
町はずれの光景は、社会の縮図を見ているようだといい、
大都会の生活の名残を田舎の生活の余波が渦巻いているという。
独歩はいままで画や歌で想像してきた武蔵野の俤(おもかげ)を実際にみたいという。
そして今見ている武蔵野の美しさがいかに自分の気持ちを動かしているのかを書きます。
そしてその美しさは、美といわんよりもむしろ“詩趣”というのが適切だと。
【詩趣】詩に述べあらわしたおもむき。出典:広辞苑第六版
感想
彼は武蔵野をあらわすため“明治29年の秋の初めから春の初め”までの日記をもとに書き始めます。
美しい武蔵野が詩的に語られます。それだけだと清新さが薄れるので、単調にならないように構成を工夫。
朋友の手紙をはさみ武蔵野の路に意味を持たせると、武蔵野の地形を語り具体的に限界を書く。
さらに都会と田舎の関連性を語ることで人間と自然の間にある生活を知ります。
その町外れには移りゆくものに対しての郷愁が隠れている。
独歩の持論が武蔵野を舞台に詩情豊かに語られています。
たしかに無限性を感じさせる自然主義文学の傑作だと思いました。
*長文になりましたので記事を分けています。
次ページでは「小説の中で栞をはさんで読み込みたい箇所」を書いています。
3ページ目は「まとめ」です。
時間のある時に読んでみてください。