「武蔵野」国木田独歩著-感想-詩情に満ちた浪漫主義の名作

【広辞苑第六版にかかれている“武蔵野”】

広辞苑は、小説「武蔵野」について「清新な浪漫的香気に富み、武蔵野の新しい自然美を描いて有名」な作品と書いている。

【香気“こうき”とは】、よいにおい・かおりのことであり、「浪漫的香気」とは上手いこと言いますね。
確かにこの小説を読んでいると、あたかも自分が武蔵野を歩き森の香りを嗅いでいるような錯覚を覚えます。

【新しい自然美とは】、自分の推測で言えば、この時代東京が開発され(官僚化・事務的に)変化してくのに対して、「武蔵野の変わらぬ自然はゆったりとして美しかった」、その違いに気が付いたのだろうと思いました。

小説の終盤に出てきますが、“東京は武蔵野から抹殺せねばならぬ”と書いているように、独歩は武蔵野を東京から引きはなすことにこだわっています。それだけ東京八百八街から昔の面影が無くなっていくのを感じていた。
独歩はそれを憂いていたのかもしれません。

*次のページは「まとめ」です。
よろしかったら読んでみてください。

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まとめ

武蔵野の自然の中に人間がいる、人の心の中にも自然がある、それが重なって透けている。
しかも重層的に語り、安易にまとめて終わらせていない。

文章は、自然を・人間を・生きるもの・移りゆくが変わらないものとして書いている。
自然の姿であり、人間の営みであり、それを今も同じく感じることが出来る。
彼の観察力・文章力の深さは時代をこえて優れていることを知る。

独歩は人間中心に小説を書いていない。自然を中心にも書いていない。
自然があることで人間であることを意識する、そして人間の生活は自然があることで成り立っている。

明治時代の限りある世界・価値観の中で、“自然と人間とのかかわりあい”を描いている。

人間は自然の一部である。それを意識することが大切だといっている?。
風景に溶け込んで人間がいる。

いつも国木田独歩の小説を読んでいると強く感じることがある。
それは彼自身の心の原風景を描いているのだろうという事だ。

体験から得た風景だからこそ風のように時代を越えて響く。
明治時代の武蔵野の風景をバックにして彼自身の遠い思いを描き出している。
生命力豊かで静かな自然の魅力を鋭い文章力で簡潔に、彼の生きざまか。
そしてその中には彼以外の時代を生き抜いている他の人間の姿もみえる。

独歩はその巧みな表現を使い「自分も・人間もその自然の一人にすぎない」といっている。
限りある自然を感じながら生きることの喜びを書いている。

【国木田独歩(1872-1906)】
詩人・小説家。名は哲夫。千葉県生れ。1906年(明治39)の短編集「運命」は自然主義文学の先駆として世評を高くした。著「牛肉と馬鈴薯」「武蔵野」「酒中日記」など。

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興味のある方は是非読んでみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
*「武蔵野」国木田独歩著 新潮文庫刊(昭和58年65版:昭和24年初刊本)を読んだ感想になります。
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