*村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」より、「かえるくん東京を救う」を読んだ感想です。
村上春樹さんのドラマ化された4編の中では比較的楽に読めました。読み終わった後に色々と考えることができる滋味深い作品だと思います。個人的な感想ですがよろしかったら読んでみてください。
※ネタバレがあります。この記事を読む前に小説を読むことを強くお勧めします。
かえるくん東京を救う
簡単なあらすじ
片桐さんは信用金庫の融資管理課の職員として修羅場をくぐり抜けてきた。
彼の前にかえるくんが突然現れた。
かえるくんは東京を地震から救うために手を貸して欲しいと言われた。
地震を起こす“みみずくん”を相手に一緒に闘って欲しいと。
みみずくんは新宿区役所の近く、東京安全信用金庫新宿支店の真下にいる。
地底に住んでいるみみずくんは、ひどく腹をたてているという。
普段は何年も眠りこけていて何も考えていない。
目は退化している、なにも見えない。
脳味噌は溶けて別のものになっている。
なのに感受性は強い。
みみずくんは「遠くからやってくる響きやふるえを体で感じとり、ひとつひとつ吸収して蓄積している。何かしらの化学作用によって“憎しみ”というかたちに置き換えられます。」
かえるくんにはその動きは説明できないという。
かえるくんの見立てによると、片桐さんのまわりにいる人達は自分勝手な人達だという。
けれど片桐さんはそういう人達とは違うという。
(片桐自身も平凡で取り柄がないと自覚しているが‥)
片桐さんには正義と勇気があるという。
かえるくんは実際に闘うのは自分が引き受けるという。
闘いの時間が近づいてきた。
真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖であり、片桐さんは迷うことな想像力のスィッチを切ることができた。
片桐さんはかえるくんと一緒に闘い、引分けではあるが東京を救う事ができたらしい。
闘いが終わってかえるくんは「目に見えるものが本当のものだとは限りません。ぼくの敵はぼく自身の中のぼくでもあります。」という。
感想
最初に読んだ時の感想しては、
みみずくんは、地震のもとである危険な存在。また憎しみをため込んでいる存在であるという。その表現からみみずくんは“大衆”の比喩かなとも思った。
しかしかえるくんはそのみみずくんを退治しようとしている。
ヒーローが大衆を退治?これはおかしい。
大衆が憎しみをため込んでいるのは分かるけれど‥、話としては続かない。
面白い話ではなくて、表面から何かについて提起しているのではないか。かえるくんとみみずくんが。
なので2度目に読むときは少し角度を変えて読んだ。
かえるくんから助けを求められた「片桐さん」と「みみずくん」はどのような比喩をもっていて、どんな言葉に置き換えられるのか?、何を演じているのか?を考えながら読んでみました。
すると小説の中で引っかかる部分が二つあることに気が付きました。
「二つの違和感」がある
・『一つ目の違和感』は、かえるくんは、みみずくんから東京を救くことは出来なかったが、“勝てなくて引き分けるのがやっと”と言った部分。
それはどうしてなのだろう?という疑問です。
もちろん地球が引き起こす地震は強大な力であり、人間の力ではどうしようもないもの。勝ち負けというレベルではない。
ではかえるくんは、なぜ地震を相手に闘うのか?
地震は憎いものだが強力、“みみずくん”は本当に勝つという気はなかった?
それは人間である片桐さんに助けを求めたことにも現れている。
(片桐さんが仲間に加わったからといって、力になるとは言えない)
そこで“地震“が何か別の言葉で言い表せないかと考えた。
地震は地球が作り出した『地上を破壊するもの』でもある。
この言い換えが物語の展開に合うかもしれない。
・『二つ目の違和感』は、物語の始まりの中で人間である片桐さんの気持ちが、突然現れたかえるくん側に寄っているかというと、そうでもないこと。
(話が突拍子もないこともあろう。)
物語上に片桐さんの思いがない(ようにみえる)、テーマが不明という変なことに。この物語の主人公?はどんな気持ちなのか、でどうしようとしているのか?。
これが疑問点として出てきました。
つまり“人間(片桐さん)”は、物語は進んでいくのに、かえるくん寄りではあるが、中間にいる感じ。積極的には深く関わっていないことです。
この二つの違和感を読み解くには、
言葉の解釈を少し変える?
かえるくんもみみずくんも比喩や別の言葉に置き換え、与えられている意味をもう一度組み直ししてみた。
*やはり一つ目の違和感でとりあげた“文章”が気になります。
“かえるくんは、みみずくんから地球を救くことは出来なかった。片桐さんの助けはもらったけど、引き分けるのがやっとだった”という表現です。
繰り返しになるが、どうしてかえるくんは「片桐さんの助けが必要である」と言ったのだろうか?
弱くて、みみずくん相手では足手まといにはなっても頼りにはならない存在である人間である「片桐さん」を?。
おそらくかえるくんは、この「みみずくん事件」は東京が抱えている地震に対しての人間に対しての警鐘であるが、東京の抱えている問題はそれだけではない。
自然の崩壊の危機が迫っている、それが「人間に由来するものである」ことを知ってもらいたかったのだと思う。(東京の中心は日本で一番自然が壊れている場所?)
「人間が、生きている自然にしてきたこと」に対して、かえるくんの言いたいこと。(地球の財産である)自然に対して人間はひどいことをしていないか?と問いを投げかけ、考えて欲しいと言っているのではないか。
東京の自然環境の破壊に対して、人間は「当事者意識が薄くて、問題に向き合えていない」と。
そこでかえるくんは、人間の中でも私利私欲のない人間を“人間界の代表?、また生き証人として選んだ。(さらに壊されるものの恐怖を体験してもらうために)
それが片桐さんだ。
かえるくんが彼を選んだのは、彼が「当事者意識の薄い。直面する問題から目を反らしてしまう人(借金をしている人)」に立ち向かってきた実績があるから。
片桐さんは現実から逃げず、現実に立ち向かえる人であり、“人間界の代表?”として迫りくる大問題に逃げずに立ち向かってくれることを期待してのことなのだ。
(予想外に恐怖に対しての免疫が高かったのもよかった。)
ここまでの仮説をまとめると、このような解釈が書ける。
(ややこしいですがゆっくり読んでください。)
*この小説の中で登場する言葉を比喩にしたり、意味を拡大解釈し言い換えてみました。
借金を取り立てしている人は片桐さんだが、
「取り立てられている人」は「滞納者」
=借金しているがお金を返さない人
=(言い換えると)自然を消費(壊)しつづけ、東京に対して「負債をおっている人間」のこと
=(解釈:分かっていても見ないふりをする性質)
みみずくんは「憎しみ」を貯めている
=地震は地盤に「加わった力」が貯まることで起きる
=地球の深い地下の歪みから力をため「地上を破壊する」もの
=(言い換えると)破壊という点で、「人間も自分の欲望から自然を破壊している」ことに似ていること
=(解釈:人間の制御できない性質であり動き)
【つまり】
片桐さんが銀行員として(勇気と正義感をもって)取り立てをしていたのは「滞納者」であり。
「滞納者」は人間の悪しき性質(現実を目にしても見ないふりをする)を強く持っている。
・みみずくんは憎しみを蓄積して地上を破壊することがある。人間はその欲望から「自然を破壊している存在」、壊す意味で人間はみみずくんと似ている。
【仮説】以上のことから「勇気と正義感のある片桐さん」は、みみずくんと一緒に闘ってもらうのに相応しいと。(みみずくんは「地上を破壊している存在」を演じている)
【小まとめ】
この比喩を元に闘いの構図に置き換えてみると、
この争いは、(かえるくんを自然界と人間界をつなぐものと仮定すれば)
「負債を負っている人間でもあり正義感の強い片桐さん」と「人間の暗闇の底から出てくる押さえられない欲望」との闘い(人間 対 人間)という構図になっているということ。
片桐さんにとってはつらい役回りではある。
「かえるくん対みみずくん」との闘いを「人間と人間の闘い」に置き替えている?。
物語の最後、かえるくんが居なくなった世界において、自然破壊を危機から救うのは人間しかいなくなります。しかしその段階になっても、人間は自分達の内側で争っているのに違いないのでしょう。おろかなことですが、勝ちも負けもない。
自ら起こしている危機なのでしょう。
なので、かえるくんも引き分けるのが精一杯だった。かえるくんは○○を救うことよりも自然を救うことのほうが大切。
(東京の崩壊は、人間が“自分の中の敵”と立ち向かうことが出来れば解決できるから)
かえるくんという存在は、人間のもっている矛盾、その整合性がない論理に風穴をあけようとしている。
そんな風に読み取ることもできるのではないでしょうか。
最後に
人間は地震のような自然の脅威には勝てない。大きな力を持った自然災害に無力なのは仕方ないのでしょう。(地震は予測が難しいですが前もって準備して崩壊は減らすことはできる。)
しかし自ら作り出した自然環境の悪化など解決出来る問題に対してもまともに直面していない。
人間の生き方「人間は発展(経済優先)という欲望から自然を壊し、地球が暴れる危険を放置している。」ことに対して自然が声を上げている。
人間の近くにいる「かえる」と「みみず」は、自然を壊さないで下さいと言っているに違いないのです。
*物語の最後の最後、片桐さんは眠りにつく間際につぶやきます、「機関車」と。
今度はかえるくんに会えて、一緒に“機関車ほどある大きな危機”をストップさせようとしている?。
私の意見としては、かえるくんの言いたかったことは、片桐さんに伝わったように思いました。そして「誰よりも」かえるくんが好きになったのかもしれません。
皆さんはどう思いましたか?
*かなり分かりにくくてすみません、文章が繰り返しになり、うまくない点もあったと思います。
それでも最後までお読みいただきありがとうございました。
村上春樹著「神の子どもたちはみな踊る」新潮文庫刊より「かえるくん東京を救う」の感想でした。