千葉県の鉄道開業は関東で一番遅かった

【千葉に鉄道がきたのは、意外にも遅かった】

千葉に鉄道が引かれたのは明治27年(1894年)のことで、我が国の鉄道創業から22年目のことでした。
最初は明治5年に、東京都、神奈川県が開業。
明治16年に、埼玉県、群馬県。
明治18年に、栃木県、茨城県。
そして千葉県が最後で明治27年でした。茨城から遅れること9年です。
関東7都県では一番遅い開業でした。
*全国的にも33番目です。

遅れた理由は、地形が袋小路的であったことで計画の幹線網から外れていたこと。
隣の県とは利根川と江戸川で区切られていて、当時の鉄道建設技術では、一番困難な「長大橋架設」を行わなければいけなかったからでした。有力な事業家がいなかったことも一因と言われています。

【鉄道に対して後進県になってしまった理由は、県にもあった】

政府に対して鉄道敷設の名乗りを挙げたのは、明治20年11月佐原町の有力者が発起人の武総鉄道で「東京本所から市川―千葉―佐倉―成田―佐原ルート」を出願した。

それから2週間後に、成東町の安井理民らが発起人となった総州鉄道は「東京本所から市川―千葉―佐倉―八街―芝山―八日市場―銚子ルート」を出願した。

当時の千葉県知事「船越衛」は、両者の計画に対して「当県は四方を海と川に囲まれ、水上交通が発達しているから鉄道はいらない。利根川と江戸川を連絡する利根運河が完成すれば一層便利になる」との意見を添えて、政府に提出して政府も同様な考え方を示したので不許可になってしまったという。

鉄道の利便性を当時の知事が知らないはずはないので、なぜ反対を表明したのか?

それは「県がバックアップして、工事中の利根運河に大きな影響を与えるのを恐れた結果」といわれている。

申請を却下された武総鉄道と総州鉄道の両社は協議の上、合同して「総武鉄道」を作った。
路線も利根川水運との競争をさけて、「本所―千葉―佐倉―八街ルート」として明治21年2月に出願する。

創立願書が認可され本免許を取得したのは、明治22年12月でした。
明治23年会社を設立。

その後も多くの障害もあったが、明治27年に総武鉄道が開通することになり、千葉に鉄道が引かれたのでした。

*リーダーとして活躍したのは、成東出身の「安井理民(はるたみ)」です。
千葉県の鉄道の歴史を語るうえで欠かせない人物といわれています。

*リーダーが出てこなければ、千葉県に鉄道が引かれたのはもう少し遅れていたかもしれませんね。*

【鉄道が出来るまで東京―千葉間の交通手段は、なんだったのでしょう】

それまで東京と千葉の交通は、汽船が一日一回だけ、馬車は一日12回発車していた。
その「総房馬車」の乗りごごちは最悪だった。
道路が悪かったため乗客の体は手まりでもつくように上下して、耐えがたかったそうです。
*汽船は、東京湾汽船会社の福栄丸で「東京・霊岸島から千葉・寒川」間を往復していました。

それまで“川での人や物の運搬が盛んであった千葉県”が、その川が鉄道のレールを引く事業の障害になっていたとは皮肉です。

鉄道を通して、時代が大きく変わっていくドラマを垣間見ることができました。

*「ちばの鉄道一世紀」 白土貞夫著 崙(ろん)書房刊
より引用・参考にしました。

自分は余り鉄道には詳しくないのですが、この本は非常に詳しく調べられていました。
資料としてとても役に立ちました。
まだ本の一部分しか読んでいませんが、読み物としてもおもしろい本だと思います。
作者の鉄道への愛を強く感じました。興味のある方は一度手に取ってみてください。

*最後までお読みいただきありがとうございました。