男はつらいよ お帰り寅さん-映画感想-満男が寅さんと通じあえた話

昭和の国民的映画「男はつらいよ」が4Kリマスター技術で蘇りました。
20数年ぶりに寅さんが戻ってきました。
山田洋次監督が50作目をどんな作品に作られたのかが楽しみです。

【導入をほんの少し】

柴又のお団子やの息子「満男」は小説家になっている。
帰省した実家のくるまやは今喫茶もやっていて、光男の6年前位に亡くなった奥さんの7回忌の法事を行っている。

とらやのメンバーも年は取ったがキャラクター豊かに久しぶりの賑やかさだ。
光男は実家で昔のことを色々と思いだす。おじさんである「寅さん」のことも。

小説家として売れ始めた満男だが心配なのは一人娘のこと、妻と死別して6年もたち、娘のためにも再婚が必要なのかなと悩む。
そんなとき出版社の担当の女性からサイン会を勧められて行うのだが、そこに現れたのは昔の恋人「泉」だった。

【感想】

主人公の満男は中年に、男のつらさも分かり始めた。

一言でいうと「男はつらいよ」の50作目ではなくて、男はつらいよのスピンオフ作品という方が似合っていました。

「満男が主人公」であり、泉との再会で物語がすすんでいく。
そこにおじさん(寅)の姿や言葉がオーバーラップして光男もその姿に思いを巡らせる。

満男も中年にさしかかり「男のつらさも分かる」ので、今の満男を中心に描くことでこの寅さん映画が生まれたと思いました。当然ですが満男は主役をはるキャラクターではないので寅さんのサポートが必要なんです。

寅さんがいた時のこのシリーズでは、満男と寅はキャラクター的には真逆で年齢もかなり離れていたので、本来過去の作品においては、お互いに共感することはありえなかった。

指示する側であったり叱咤される側であったり、うるさい大人とそれを聞かされる甥の関係であったり。

しかし今寅さんはいない、どこにいるのか死んでしまったのかさえわからない。
遠い昔の話としてみんなの記憶には残っている。

満男も大人になりそろそろ「寅さんの元気であった頃の歳」に近くなっている。

男としてどう生きていくのか、どう生きてきたのかを精査される立場になった。
そういう意味でお互いに共感できる素地が出来た。
時代も空間も越えた中での男と男の間の共感だ。
満男役の吉岡さんがその感情をうまく表現できていたと思う。

寅さんは強いキャラクター、バランスをどうするか。

寅さんと映画をつむいできたスタッフだからこそできた映画であり、主人公は満男という設定でありながら、シリーズ主役の寅さん(渥美清)もしっかりと出すという造りは、お話としてはそのバランスに苦労したのではないかと思いました。

寅さんというキャラクターがとても強いので物語がそのキャラに勝手に引っ張られてしまうからです。

当然興行的にも寅さん(渥美清)をださないといけないわけで、しかしあまりに寅さんを描きすぎてもいけないし、描かないとお客さんも満足できないし、そんなジレンマもあったのではないかと推測しました。

しかしそこは山田洋次監督、上手にまとめていました。

雑誌のインタビューを読むとストーリー展開は寅さんのオマージュ的な感動の場面の集合体的なものにはしたくなかったらしいです。

個人的な感想としては、男はつらいよは数作品しか見ていないので、満男と泉の恋愛関係の深さや過去のドラマもあまり知りませんでした。
二人の恋について思いが入ることもなかったので、さほど感動はありませんでした。

寅さんのコアなファンならともかく少し見たことがある程度のファンであれば、少し解説が必要だったかもしれません。

吉岡さんと後藤さんの大人の演技は見ることが出来ました。
特に吉岡さんの演技は本当に派手さはないのですが、やさしさや辛さなど満男のキャラクターが出ていて、感情表現が上手だなあと感心します。

それでも寅さん(渥美清さん)が登場すると演技というのを忘れる位の存在感があるので、見ているだけでキャラクターが面白くて楽しかった。

言動をおっていると、ハラハラや楽しさ、悲哀などで心を鷲づかみにされてしまいます。
スクリーンから目が離せなくなるというのはこういうことです。

渥美清さんは普段はインテリな方で、寅さんの演技は計算でされていたというのですから本当に驚きます。
シリーズが終わって20数年たっていても、“寅さんはスクリーンとファンの心の中に生き続けているんだ”と感じました。

*映像技術の進歩によって映像は違和感なく観ることができました。
スタッフは旧作が何本も入っているので色味を合わせたりするのに苦労したそうです。

*最後までお読みいただきありがとうございました。