「タクシーに乗った男」感想-村上春樹著-絵の中に息づいていたものとその終わり

「タクシーに乗った男」の感想になります。
筆者(小説家)がなぜこの画廊のオーナーの話を書いたのかその理由を知りました。
“絵はその人の心の中にも生きている”そんな想いが最後に残り、切ない気持ちになりました。どうやら私自身も小説に感情移入してしまったようです。
村上春樹著「回転木馬のデッドヒート」講談社文庫刊より
【注意】ネタバレがあります。先に小説を読むことをお勧めします。

あらすじ

小説家である筆者が以前『画廊訪問記事を書いていたとき』に取材した「ある品の良い40歳前後の画廊女性オーナー」との話を紹介している。
※彼にとっては記事にはならなかったがとても印象に残る取材だったらしい。

始まりは「今までみた絵の中で一番衝撃的だったのはどのような絵でしたか」という取材時のお決まりの質問だった。
彼女は青山で版画を中心にした画廊を経営していて、筆者に紹介してくれたのはニューヨークにいた時に買った「タクシーに乗った男」という絵だった。それは平凡な売れない作家が描いた絵で、そこに描かれていた若い男に惹かれ、彼を眺めたかったので自分のために買ったという
しかしその地を離れることになり絵を燃やすことになる。そしてその数年後アテネで「タクシーに乗った男」に再会する。

感想

読んでみて気になったのは、彼女がニューヨークにいた当時の絵について持っていた感情の変化です。結果「タクシーに乗った男」を燃やしてしまった。その理由です。彼女の気持ちを推測してみました。 絵の価値が変わった。その変化はなんだったのか。

無名な作家の絵といえども、転売するのでなく燃やしてしまうのは、尋常ではない。絵には罪はないのだから。
絵はある意味描かれた瞬間に“命を与えられた固有のもの”になる。絵に人が描かれているとしたら尚更だと思いました。たとえオーナーでも安易に燃やすのは「人間のエゴだ」と思う。芸術を愛して画廊のオーナーであればそういう気持ちもあったはず。それにもかかわらず絵を燃やした。その理由が知りたかった。

彼女がその絵を“自分のために”購入したのは、小説にも書かれいているが「タクシーに乗った男」の横顔に惹かれてシンパシーを受けたからだという。絵を燃やした後日本に戻り十数年たった昨年のこと、アテネのタクシーで絵に描かれていた「タクシーに乗った男」と隣り合わせになった。
その彼女の感覚の揺れがとても気になった。
最初にその絵を購入した時の気持ちは、彼のいた絵を燃やし時間が経ったことで終わっていた。しかしタクシーに乗った男はまだ息づいていた。彼女は動揺する、そして内なる動揺が収まるまで時間が必要だった。

彼女がニューヨークで「自分のために買った絵」を燃やしたのは、“その絵にその時代の家庭生活が染み付いていた”ためではないのだろうか。
その絵は「彼女にとってはまだ必要だったのにもかかわらず」。
新しい転居先に“ニューヨークの生活の匂いのする絵”を持っていきたくなかった。

燃やした大きな理由はこれだったのではないのか。

当然絵は購入した時と家の壁に書けてた時とでは「絵の質が変わっていた」はず。彼女が絵を燃やしたのは「家に飾られていた空間」を忘れ去るため、別れた夫と子供のことを忘れるため。
それが個人的に気に入って購入した「タクシーに乗った男」を燃やした理由なのではないのか。

彼女の心の中に去来したものとは

アテネのタクシーでその絵を彷彿とさせる男性にであったのも望んでいたことで、彼女が解決したかったことなのかもしれない。
彼女が「タクシーに乗った男」に再会したときに、彼女の心の中に去来したものは、どんなものだったのだろうか。三つのことが頭をよぎった。
一つ目はその時に彼女自身が画家になる夢を手放したこと。
二つ目はその時に家族と別れたこと、自分から家族を手放したことに対しての後悔でしょうか。これがどのような事情なのかは分かりませんが。
三つ目は自分の人生の一部であった“タクシーに乗った男”との心象風景だ。(絵を所有することで彼の自由を奪ってしまった。その姿が彼女自身と重なった)

それらはすべて彼女自身が「絵(彼)を燃やしてしまったこと」の記憶につながっている。それを彼女はどうとらえたのでしょうか。
私はそれを考えるととても切なくなりました。

いずれにしても彼女は「タクシーに乗った男」に再会する事で、それらを終わらせることが出来た。それは良かったと思いました。

彼女は、自分が「タクシーに乗った男」に再会し、彼がまだ生きていることを知る。燃やしてしまった絵の男(自分の一部)が確かに存在していたことに安堵したのかもしれません。そして自分の中に在った何かを手放すことが出来た。

*絵の価値はその時持っていた人々の思いが入っている。
その気持ちの重さによって絵の価値もかわるものだと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。