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傾斜地とふもとの街

村上春樹著 めくらやなぎと眠る女-感想2-記憶の断片から推測した


蛍・納屋を焼く・その他の短編 村上春樹著 新潮文庫刊 より



ここからは感想2です。ネタバレがありますので、注意してください。感想1からの続きになります。





バスの中の様子から見てみよう。周りに奇妙な乗客がいるがそれはとりあえず横に置いておく。注目すべきは、いとこの様子である。あまり多弁でない彼は、主人公のおじさんの様子をみながら一緒にバスに乗っている。その様子は落ち着きがなく色々心配している。最初はいとこが神経的に不安定なせいだと思っていたが、どうやら違っていて、いとこは神経的には普通の男の子なのではないかと思った。




バスの中でいとこの口から一緒に乗っている奇妙な乗客に関する疑問は一言も出てこない。それどころか主人公のおじさんのことを注視しているような気がする。それが証拠に何度も時計を気にしておじさんに時間を確認したり、「大丈夫、間違えない」を聞いている。
高校の時に通学で使用したバスルートを利用しているのだから、常識的に考えれば間違えようはない。主人公が通っていた時から7年たっているとはいえまだ25歳である。




しかし主人公の彼は不安に襲われてバスの中の路線図を確認したりしている。ここで一つ仮説を立ててみる。




それは主人公の彼は、記憶が不安定なのか、精神的に病んでいるという仮説だ。以下の2つのことを固定観念で読まないことにした。




・いとこは右耳に障害を持っていて、時に聞こえ方が変わることもあり神経が不安定なのではないかと言われている。でもこれは主人公の彼が勝手に思っていることなのではないかということ。
・主人公の彼はバスの中にいない人(沢山の老人達)を幻影として見ているのではないかという事だ。冒頭この老人たちは「小説の中で何か意味を持って登場している?」と思ったがそうではない。理由としては、雑音のように聞こえるその話声と妙に画一化した姿である。個性があるようでない。しかも行き先が見当たらない。



さらに記憶の間に「妄想」が入っていると仮定してみた


主人公の彼の記憶は病院着いてからさらにおかしくなって、記憶の断片の合間に妄想が入り込んでいったのではないか。病院で思いだしたことは、「昔見舞いに行った友人の女友達が耳から入ってきた小さな蠅によって体の中が食べられていく」という、本当かどうか怪しいその言葉に象徴されている。
「いとこの耳の話もまじって、錯誤も入ってきている。」




主人公の彼は記憶力が落ちていることに悩んでいるて、精神的に病んでいる。理由は東京での仕事なのかはっきりとしないが、アルコールなどに頼らないと生きていけなくなっているのかもしれない。



さてこの小説のテーマはなんだろう


いとこが小説の終盤に、主人公の彼に問いかけることがある。「耳をみて、どうだった、何か変わったことあった?」それに主人公は「変わったところは何もないよ、ごく普通の耳だと思うよ」と答える。
ここまでの推測を捨て去るようで恐縮ですが、言いたいことは下記のこと。




主人公の彼が精神的に病んでいようがいまいが、またいとこが病気で神経が不安定であろうが、この二人の会話からみえるのは、この小説の言いたいことは「普遍的なこと」で、精神的な病、神経症とかは関係がないということです。




それは「人間は表面でしか物事をみることができない。人は物事の内面をみることは出来ない。記憶もあいまいで、思い込みにも左右される」ということ。そのため二人の会話にはっきりとした結末を用意していない。そして「だからといって眠ってはいけない
これが著者がいいたいことだと思いました。




*この小説の最後も主人公の彼の目線で終わっています。「いとこの耳の中にいる無数の微小な蠅が、肉をむさぼっているのを心配する姿」です。いとこも彼の様子が不安なので、主人公の彼にバスの乗り場を確認します。本当はどっちがどっちを心配しているのか分かりません。
私も色々感想を書きましたが、実際まったく的外れの可能性もあります。ほとんど分かっていないのかもしれません。ですので自分で小説を読んで確かめてください。そして自分の意見を持っていただきたいと思いました。




視点がとりにくいうえに、誰が正しいのかもわからない、この小説は深くて怖いと思いました。