「野球場」村上春樹著-感想-回転木馬のデッドヒートより-拡大された世界から見えた現実とは?

「野球場」の感想になります。
*「回転木馬のデッド・ヒート」村上春樹著 講談社文庫刊 収録短篇より
(注意)一部ネタバレを含みます。

不思議な読後感が残る話だ。
お話は主人公の小説家が『彼に小説を送ってきた銀行員から聞いた話』だ。この小説をなぜ不思議に思うのかというと、登場人物である「彼(銀行員)の話が自分の気持ちに素直である」のに、「話にイマジネーションが強くて“現実感”が足りない」のが理由なのか「銀行員の心の中がはっきり見えない」ことだ。しかしそれを聞いている小説家は、それについてコメントしない。

【登場人物と場所】

小説家:この小説「野球場」を書いている人

彼(青年):小説家志望?の25歳の銀行員、頬がふっくらして額が広く髪は真ん中わけで丸い眼鏡をしている。彼が大学3年生だった時の話をしている。

彼女:大学の同級生で同じクラブにいる。かなりの美人で頭も切れる。

場所:彼が住んでいたのは都心から離れた郊外にあるぼろアパート2階。隣に野球場があり奥は川。そして川の向こう側に彼女の住む鉄筋建ての立派なアパートがある。彼女の部屋は3階の左の端だ。

【導入部分あらすじ】

話は小説家である主人公が、小説を書いていて原稿を送ってきた銀行員と会う事から始まる。小説家が彼に会う気になったのは彼の字がとても奇麗であったからだ。その彼に会う。彼の体験を聞くのだが「その彼の話」は小説以上に興味深いものだった。

小説家が興味を持った「銀行員の若者の話」は、『5年ほど前。彼が大学生で野球場の隣に有ったアパート2階に住んでいた時の話』。そして野球場の隣のアパートに住むようになったのは理由がある。野球場の奥にあるアパートに住んでいた『大学同級生の女性の私生活を徹底的にチェックしたい』というものでした。
そのために“望遠レンズ”を用意するのでした。

*好意を持つ彼女への興味とは言え、少し間違えると“ストーカー”のようでもあります。少し危うい話ですが興味深い話でした。しかし銀行員の彼はその話について別段面白いと思って話しているわけではなく、当時の気持ちを自分なりに表現している。
*彼の話し方に“現実感”が不足しているため、自然と聞いている小説家や読んでいる読者が勝手に想像を膨らますことになる。

なぜ小説家が普通の若者(銀行員)の話に惹かれたのか?

以下が小説家の興味として想像された理由

【最初は単純に男の人間の性(さが)としての興味】
・小説につながる彼の行動とその意図が知りたい
・女子大学生の私生活を知りたいという気持ち
・人の本質(欲望、中毒性、罪悪感)に興味ある

【そして聞いていくに従って、彼が変わっていった事】
・彼が彼女に対しての興味を失い、生活が乱れていった理由

【二人の距離感】
・そのような体験の後二人の距離感は近づいたのか。

人が行動を起こすときに、何かするのは“現実的”な理由があってするのではない、しているとは限らない。
*学者が言っていたが、「心と呼ぶもの」は無意識に潜んでいるものも含んでいるという。

感想~彼の変化について

彼の彼女への興味は次第に変わっていきます。彼女への探求心が一層拡大していきます。その目的が変わった理由はなんでしょう?
憧れの女性の普段の生活を見てでしょうか。それとも自分の姿を冷静に振り返って嫌になったからでしょうか。

自分は「彼が普段と違うものが心の中に出来てしまった」、それを違和感として感じたのが理由だと思います。丁度体の中の見えないところに「入れてはいけない変なもの」が出来てしまったような。
そして彼女の生活を観察することは、彼の生活にも変化が現れました。「より深い欲求」に目覚めて、周りのことに興味が無くなり生活が乱れていきます。

人間の心の底にある何か「うごめく虫のうずき」をこの話の中に見ました。そういえば銀行員が書いた小説の中にも「白い虫」が出てきます。

最初は抵抗しても、それが『本質的なもので無視できないもの』であったら素直に人間は受け入れるでしょう。
それを彼は初めて心の中につくったのだと思います。そしてそれは増殖していきます。彼が成長するのに「必要な注射のようなもの」だったのかもしれません。その“成分”によって彼の体は抵抗力を作ると共に、心には“一時の副作用”を起こし混乱したのかもしれません。
それが何を表すの?と聞かれても困ります。自分には分かりませんでした。

「野球場」という題名の意味

この小説で「野球場」が出てくるのは最初と中盤です。彼女のアパートがらみの状況説明だけに出てくるのですが、小説の中ではどういう役割なのでしょうか。それも疑問として残りました。
彼が比較的冷静なときは、彼女のアパートの手前にある野球場と周辺の様子が冷静に観察できている、というのは文章から読み取れましたが‥‥。 確かに距離感を想像しやすい大きさの施設であることや住宅地から離れて場所が想像できるなど色々イメージはしやすいとは思います。
*少し“現実的”な理由から推測すると、仮に誰かに見られたとしても『野球を見ていた』といえば言い訳がつく。

小説の終わり際で、彼が彼女に再会して話をした時に汗ばんでしまい「ああいう汗は二度とかきたくない」といいます。これはどういう意味なのでしょうか。
私も銀行員の彼にあって話が聞けるとしたら、「拡大して見れたことのすべて」や「本当の目的」、また「彼女に対しての素直な思い」を聞いてみたいです。

*それを考えるとこの小説が面白くなってきた。
しばらく時間が経ったらまた読んでみたいと思います。