*村上春樹全作品 短編集Ⅱ 講談社刊より、「アイロンのある風景」を読んだ感想になります。
【舞台】
茨城県、鹿島灘の小さな町
【登場人物】
三宅さん:40代半ばの中年男性。
神戸の東灘区に住んでいた。
やせて小柄、眼鏡をかけている。
顔は細長く髪は短い、関西弁を話す。
絵を描いている。
小さいときにボーイスカウト経験がある。
順子:所沢出身で高校3年生の時に家出して鹿島にきた。
背は170㎝を越える、コンビニの店員。
煙草を吸う。集中しようとすると頭が痛くなり呼吸が苦しい、心臓の鼓動が不規則になる。
啓介:水戸市内の老舗の菓子店の息子。
腕のいいサーファーでダットサントラックに乗る。
ロックバンドを組んで電気ギターを弾く。
やきもち焼き。
【あらすじ、導入】
順子と啓介は二人で住んでいる。
2月の夜中12時に順子宛てに電話をかけてくる男がいる。
近所に住む中年男性の三宅さんからで、これから浜で焚火をするから来ないかと誘う。
順子は出かけてくると啓介に伝えて家を出る。
啓介はしかたなくついていく。
堤防の上には焚火の材料となる流木があつめられている。
時間をかけて配置された材木に新聞とライターで火をつける。
みんな無言で火のつく瞬間をみつめる。
順子はコンビニでアルバイトをしていて、そこに三宅さんが毎日買い物に来ていて知り合いになったのだ。
三宅さんは鹿島灘で不定期に焚火をする。
そして身の上話などをするようになって‥‥。
【感想】ネタバレ有り
若いカップルと近所の中年男性との『焚き火』を間にしたつきあい。
焚き火を囲んで3人の人生が炙られていく。
この短編集内では珍しく、この小説は主人公達の住所が書かれている。「鹿島灘」だ。茨城県の太平洋側の海岸、工場の煙突が遠く目立つくらいで他は畑とスポーツ合宿の宿泊施設などがある地味な風景である。
焚き火を囲んでいるような不思議な感覚が読んでいる間中ぬけない。
最後まで読んでも何か炎の魅力、変幻自在の「炎の自由さ」から目を離すことが出来ない。
終りの意外な展開に驚いたものの、赤い炎に顔が火照り、その言葉の意味について考えることさえも炎に飲み込まれてしまうような感覚があった。
初めてあった人であっても心を解放してしまうような風景を作るのが焚き火で、寒い日の焚き火はなぜか人を集める、そして身の上話をしたくなる。
みんな何か心にポッカリと穴が開いていて、その穴こそが焚き火に空気を提供する。
焚き火と人にはそんな関係があるのかもしれない。
現代はお互いに情報がないままSNSで知り合い、寂しさゆえに胸襟を開き語り合う。
人生の選択は自分の内にあるのに、それに気が付くまえに死を選ぶ場合もある。
SNSという道具は危うさもあるけれど、使い方によっては便利なものでもある。
この小説の主人公たちはSNSなどない時代に生きている。
2人は時間をかけ身の上話をするなかで親しくなり(近所付き合いの間がら)、焚き火を真ん中にして合意して決めた。
死を選ぶのはなぜ?。
中年の男性は神戸での消したい過去が影響しているのだろう、死に場所とタイミングを推し量るように。しかし若い女性は自分の心を「からっぽ」と言っているが。
男性と同棲している女性が、なぜ中年男性と同じく死を選ぶのか、ハッキリとした理由はわからず謎として残りました。
(ここがこの小説の核ともいえるところであり考えを巡らせましたが‥、
わからないので焚火の炭のように残ってしまった)
もちろんはっきりとした結末は書かれていないので、ハッピーか・そうでなかったかはわからない。
アイロンの意味も分かりませんでした。
でもヒントとして二つありました。
ひとつは147Pの三宅さんの描いた絵『アイロンのある風景』で語られる何かの身代わり。
もうひとつは141Pで順子がたき火を見ているときに、現実的な重みをもったもの(かたまり)を感じたとあり、そのかたまりです。
二人がそのアイロン?で共感したのでしょうか。
【作者のユーモアから思ったこと】
「アイロンのある風景」の132Pの順子の言葉。「たき火のファンは5万年前から世界中にいたよ」という一説です。
「パールジャムのファンは世界中に1000万人もいるんだぜ」という啓介の言葉に対して出た言葉です。
この同じ「ファン」についての数字のかえしがおもしろい、片方は「年数」で片方は「人数」ですから、正確には比較になっていません。
現在の1000万人の人気よりも、昔から人間の伝承されている営み(5万年)の方が偉いといいたかったのでしょう。
たき火ファンとロックミュージシャンのファンは普遍的な価値について同じ土俵では語り合えない。
ただ当たり前に文明を謳歌して、なにも顧みようとしない生き方は、「火をおこすことの大変さ」も昔のこととして片付けようとしている。災害が起きたときに人が困ることでもあるのに。
昔の人は、今日一日を生きる為に火をおこしていた。そして夜は火がおきることで、今日も一日生きていられたことに感謝しながら寝ることができる。日々の不安から解放された安心からか、火をみていると眠くなるのです。
たき火は人間の『生きるための手段』であり、本来何かと比べることではないのだ、と思いました。
132pの二人の会話は、順子と啓介の「価値観の違い」をさりげなく見せているような言葉のやり取りでもあります。喧嘩にもなっていない。二人の関係を表しているともいえる。このすれ違いは普通は「日常茶飯事に冗談ですませる位の違い」ではありますが、順子にとっては真剣に『この人は一緒に生きていける人なのか』という二人の方向を変える決定的な受け答えになっていたのかもしれません。
*パールジャムとは
アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のロックバンド
1990年代前半、オルタナティブ・ロック・ムーブメント(時代の流れに捕らわれない普遍的な価値を求める精神などを持つ音楽シーンのことをいう)の流行があり、当時の若者たちの苦悩の代弁者、世代の旗手として位置づけられている。アメリカの大衆からの評価は高い。「Black」は90年代を代表する曲にも選ばれた。