*螢・納屋を焼く・その他の短編 新潮文庫より。「螢」を読んだ感想になります。
この物語は、主人公の彼が受けた「亡くなった友人の事でショックを受けた事」や「友人の彼女と一緒にいるときの思い」も、高校時代の悲しくつらい事件がもととなる話なので、自分としては直接の実感や共感は覚えなかった。
しかし文章に散りばめられている場面描写は、自分の学生時代の風景が連想されて、その「空間」に一生懸命生きる二人を近く・いとおしい気持ちになった。
小説内の空間イメージに惹かれた
特に小説の中に時々出てくる「空間」や「風」をイメージした文章(風景)には惹かれた。
文中の「空間」や「風」またそれを連想させる表現を書き出してみました。
(注)文章の後ろにある、かっこのPは本のページになります。
「空が晴れていてうまく風が吹いていれば、これはなかなかの光景だ」(P12)
「朝方降った雨も昼前にはあがり、低くたれこめていた鬱陶しい灰色の雲は、南からの風に追われるようにどこかに消えていた」(P20)
主人公が彼女の目をみて、「ちょっと不思議な気のする独特な透明感だった。まるで空をながめているみたいだ」(P22)
「僕と彼女のあいだにはいつも一メートルほどの距離があった」(P23)
「僕の中にはぼんやりとした空気のようなものが残った。そして時が経つにつれてその空気ははっきりとした単純な形をとりはじめた」(P30)
「秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた」(P33)
「沈黙の空間に浮かぶ光の粒子を見つめながら、自分の心を見定めようと努力したみた」(P35)
「僕が手をのばしたそのほんの少し先に、漠然とした空気の壁があった」(P35)
「彼女の言葉の切れ端が、もぎとられたような格好で空中に浮かんでいた。正確に言えば彼女の話は終わったわけではなかった。どこかで突然消えてしまったのだ」(P39)
僕はやり場のない悲しみを「どこに持って行くことも、どこに仕舞いこむこともできなかった。それは風のように輪郭もなく、重さもなかった」 (P44)
「風景が僕の前をゆっくりと通り過ぎていった」(P44)
「僕とテレビとの間に横たわる茫漠とした空間を見つめていた」 (P44)
「僕はその空間を二つに区切り、その区切られた空間をまた二つに区切った。そしてそれを何度も何度もつづけ、最後には手のひらに乗るくらいの小さな空間を作りあげた」 (P44)
「車のヘッド・ライトが鮮やかな光の川となって、街から街へと流れていた」 (P46)
「様々な音が混じりあったやわらかなうねりが、まるで雲のように街の上に浮かんでいた」(P46)
「 たいして強い風ではないはずなのに、それは不思議なほど鮮やかな軌跡を残して僕のわきを吹き抜けていった」(P47)
「風だけが、我々のあいだを、川のように流れていった」 (P48)
螢は「淡い闇の中に浮かんでいた」 (P48)
螢は「光の線が風ににじむのを見届けるべく少しのあいだそこに留まってから、やがて東に向けて飛び去っていった」 (P49)
*漠然(ばくぜん):「ぼんやりとして、はっきりとしないさま」
*茫漠(ぼうばく):「広くて、とりとめのないさま」出典:広辞苑第三版
彼の気持ちの変化を表現していると思いました。
彼の行き場のない・はっきりしない・切ない気持ちが出ています。
最後蛍が飛び立つのはその気持ちを象徴しているのでしょうか。
上記の描写はどれもきれいですが、特に自分の心に残ったのは、P22の 彼女の目をみて、「ちょっと不思議な気のする独特な透明感だった。まるで空をながめているみたいだ 」という表現の文章です。この文章にのみ「透明感」が使われています。自然は「風」、作られたものを「光」、そして彼自身の心は「空間」で表されているのではないかと思いました。
時間と空間を越えてしまう小説である
この小説が昭和57年から昭和59年ころに描かれているのだから、最近になって作者が計算してその時代を描いているという訳ではない。
ディテールが細かいのにもかかわらず読んでいて文章に古さを感じない。
あまりに情景描写がクリアーで綺麗なので、昭和58ころに「昭和を描いた小説」には思えない。
「現代の話」ように感じるし錯覚してしまう。(それは自分がその風景に見覚えがあるからかもしれませんが)
「時空間の間に浮かんでいるような小説」で不思議な感覚が芽生えました。
村上春樹さんの文章力のなせる業なのでしょうか。
表現やディテールの描き方が凄いです。
いつもと同じですがどの程度この小説を言い表しているのか自信がない、したがって参考にはなりません。ぜひこの小説を読んで世界を垣間見てください。