村上春樹著 一人称単数「クリーム」「品川猿の告白」文藝春秋刊より
若干のネタバレ有ります。まだ読んでいない方はその点はご了解ください。
「クリーム」
あらすじ(冒頭)
主人公の僕は18歳の時に経験した奇妙な出来事について、年下の友人に語っている。主人公ははるか昔の結論のない話だと前置きして話を始める。
当時僕は高校を卒業して浪人生をしていました。親の勧めで国立大を受けたのだが落ちてしまった。その年の10月に僕はある女の子からピアノ演奏会への招待状を受けとった。彼女は学年は一つ年下で、16歳以前に 同じ先生からピアノを習っていた。
しかしなんでいまごろ僕を招待するのか、その理由が分からなかった。
彼女は美形で洒落た服を着て、お金のかかる市立女子校に通っていた。そんな彼女から突然リサイタルの招待状が届いたのだ。意外だったが行くことにした。僕は、花屋で花束を買い神戸の山の上にある小ぶりなホールへ向かったのだが‥‥。
感想
最初は恋愛小説かなとおもいました。なぜなら若い男性が女性のことを書き始めたからです。
次に主人公の「僕」は彼女が好みではなかったと書いています。
しかしまんざらでもなかったのではないか。読み始めはそこに興味がありました。
僕は「とくに会いたくもない女の子」と書いているのですが、小説的には恋愛は興味をそそられるところです。しかしある意外なことがあって、話が変化して哲学的になっていきます。
そして「僕」は山の上にある近くの公園で老人に出会う。白髪の老人に、しょうもないつまらない事ばかり考えるな、と言われるのです。
公園であった老人は若者に対して「中心がいくつもあって外周を持たない円が君にとってむずかしい事であり、わからんことを分かるようにするために頭を使う事が、人生のクリームになる」と言います。
その特別な円とは何?、円の意味について考えてしまった。
老人の言いたいことを推測した
【自分なりに推測してみました】
円は完全なものですが、それは理想だと思います。
実社会では少し変な形(いびつな)の丸(円)がほとんどであり。
その不完全な円を若いときから認識する事が大切なのではないのでしょうか。
それを混ぜていって自分のクリームにしていく。
小説に登場する『クリーム』は「混ぜるイメージの比喩」で出てきている。
生きることの不条理を混ぜるイメージだと思いました。
*円が何を比喩しているのかは、読む人によって変わると思います。読んで考えてみてくださいね。
【自分の勝手なイメージも追加した】
円は「永遠」も意味していますが、永遠も存在しないと暗示している。
そして『クリーム』は完璧な円を目指したために、硬くなった円(外周)を柔らかくほぐすための「塗り薬的なもの」つまり修復する意味もあるのではないかと思いました。
すごくシンプルな感想になりました。
「結論のない話」なので、想像力を働かせて柔軟に脳みそを(クリームのように)混ぜてみました。
しかし 自分でも全然「まと違い」のような気がします。
【まとめ】
結局坂の上であった事については、どう解釈していいのかは分かりませんでした。
自分の脳力不足です。
村上春樹さんの小説なので、深い哲学的な意味があるのだと思います。
実際はどうなのか、読んで確かめてくださいね。
「品川猿の告白」
あらすじ(~中盤まで)
僕がその猿にあったのは5年前で、群馬県のM*温泉です。温泉宿は古びていて宿賃は安かった。
しかし温泉は素晴らしかった。
僕が温泉につかっている時に猿が入ってきた。
彼は言葉が喋れたので色々と話をした。
僕は彼の身の上話を聞くことになったのだが、彼の話は不思議なものだった。
彼は品川にいた時に人間の女性が好きになってしまい、その恋情を解消するため、「ある方法」をとったという‥‥。
感想
【小説の面白いところ~人間と猿の違いって何】
読んでいて面白かった。
どうしてかと考えると、最初に頭に浮かんだのは「人間の猿に対する思い込み」で、この小説を読んでいないかという疑問をもったからです。
我々の常識でとらえるとおかしいけれども、『猿からみると、彼らにとっては当たり前に、人間並みの孤独も恋情も持っているのかもしれない』のです。
最初は猿が人間の言葉を話すなんてそんな馬鹿なという空物語として読み始めたのですが、
読んでいておかしくなってくるのは、人間が勝手に猿はこうだという思い込みで読んでいるからで、偏見が邪魔をしているからです。
人間の猿に対する差別がどこから出るのかと考えたら、見方の違いで言うと「~が出来るかどうかという能力の問題」と「~するはずがないという思い込み」の二つが思い浮かびました。
しかし人間も「生まれてきた赤ん坊のとき」や、「歳をとって角が取れて老人になる」という生がある。
赤ん坊は世の中の常識や風習など知りませんし、老人は世間に疎くもなるし思い込みも薄くなる。
猿との違いも語れるほど、互いの生に違いは無いはずです。
そう考えると「品川猿」ってなんで品川がついているのか、猿が温泉で風呂掃除なんかする訳がないとか、言葉を話すことは出来ないはずとか、そんなことは大したことではないと思えます。
延々とおかしいとか、違うとか理屈を並べてみても「生物上は生き死にを含めて考えると、猿と人間は大きな違いはない」のではないでしょうか。
猿もこの小説によると周りを気にして生きているみたいだし、孤独も恋情もあるのです。
なおさら猿と人間の違いがどこにあるのかと考えました。
夜の寝つきが悪くなりそうです。
この小説は読んでいて面白かったです。
この感想は断片的で、話は猿が人間の女性を好きになってからがメインです。
最後まで興味が続くことは間違えありません。
不思議さを味わってください、おすすめします。