*ブログに以前投稿したレビュー「何がなんでも作家になりたい」の著者、鈴木輝一郎さんのショートストーリーを読んでしました。
ショートストーリーミステリー編
「謎005」伊坂幸太郎選より
日本推理作家協会編 講談社文庫
私立新宿職安前託老所という聞き慣れない名前の施設での話だ。今でいう特別養護老人ホームのような物か。
「きん」は想像するに70代以上のおばあちゃん(小説では年齢は語られていない)、この託老所は費用が安く、老人8名と幼児の「さやか」と一緒に日中は生活することに。「呆ける」と施設にはいられないので、皆で呆けないよう注意し合っている。そんな時に一人の老婆が呆けてしまう、そして事件が起き、謎が生まれた。
これが書かれたのが1994年(平成7年)、今が2019年なので25年前である。
老人の「呆け」について扱った小説で、高齢化社会の入り口、そんな時代の話であろう。老婆の扱いに困っている息子の姿があります。今も介護保険が充実しているとはいえ、身につまされる話題です。
「安くて便利な託老施設があり、幼児も居る」という設定、組み合わせの特異さが、この話の「謎」を生んでいる。幼児の無邪気さも事件に関連しているのには驚きました。そしてこの幼児の無邪気さは、この小説の暗闇(社会の影)を和らげているという役割もしています。この2面性が絶妙だと思いました。
そしてリアルな話なので、小説の中ではありますが、幼児「さやか」の将来については心配になった。
小説を読みおえて頭に浮かんだ疑問は、人は年を取ると、自分の命や他の老人の命の重さも変わってくるのかな、命の重さを意識していられるのかなあ、ということです。
現代はメディアなどで、中年になったら「死に方」を考えて生きろとか、二千万円ないと生活できないという。しかし介護状態になり老人性痴呆症や徘徊をするようになったら、本人は悩んでいても自分ではどうしようもなくなる。家族や近所の見守りや介護保険のサービス提供者が救ってくれるわけです。
個の時代になり、近所付き合いが薄くなった時代に、皆で認知症にならないように注意しあえる、そんなコミュニティの存在が見直されてきている。この小説が「昔の話でしょう」と片付けられないのはそのせいかもしれません。
医療が発達し健康で長生きが可能な時代になっている。「人が尊厳を持って生きる」とはどういうことなのか、皆で知恵を出して考える時代になってきていると思います。今以上の超高齢化社会が迫ってきている。
1994年にはミステリーとして楽しめた短編で、日本推理作家協会賞を受賞している作品です。
謎を推理しながら最後まで読めます。ミステリー好きな人にお勧めします。
*認知症という言葉が使われだしたのは、わが国において2004年に名称変更されてからで、それまでは痴呆(症)などと呼ばれていた。この短編小説は1994年なので「呆け」という表現になっています。
(名称変更された理由)
「痴呆」という用語は侮辱的な表現である上に、「痴呆」の実態を正確に表しておらず、早期発見・早期診断等の取り組みの支障となっていることから、できるだけ速やかに変更すべきである。(厚生労働省ホームページより引用)という方針からです。
現在では「認知症」以外は言ってはいけないワードになりつつあります。