村上朝日堂超短篇小説、
「夜のくもざる」村上春樹著 新潮文庫刊を読んだ感想になります。
*本を読んでから、この記事を読むことをお勧めします。
最近古本市で一冊の本を見つけました。
「夜のくもざる」村上春樹著、イラストは安西水丸さんです。
36本の超短編が軽い村上タッチで、イラストも少し変わっていて楽しい。
面白そうだったので買ってみました。
本の後半から数編のみの感想を書きました。
夜のくもざる
文庫の帯についていたコピーに「微苦笑のユーモア」という一文があった。
その「微苦笑」に目が留まった。
色々な意味が含まれているのでしょう。
各短編にあるユーモアを自分なりに分解して、「隠れている笑い」を推測してみました。
個人的な感想です。若干のネタバレ含みます。
*ちなみに「微苦笑」とは、小説家・劇作家の久米正雄さんが作った造語だそうです。
「ビール」
作家が原稿を取りに来る若い女性編集者“オガミドリさん”について書いている。
彼女とのやり取りで、ちょっとした事件がある。
彼女の秘密を知ってしまった後の作家の様子を想像すると楽しい。
それまで彼女と会うときは鼻の下を伸ばしてにやけてみていたのに、事件のあとは変化する。
しかし彼女の姿を思いだして笑うのは作家としては大人げない。
なので微苦笑して忘れるのでしょう。
*誰にでもあたりまえに起こりうることだから可笑しい。
作家たるもの、彼女と再会するときは何事もなかったように笑顔をつくるのでしょう。
「ことわざ」
猿がいたという話。
“大阪弁”で行をかえない文章なので、一気呵成に私の懐に流れ込んでくる。
このまま終わるのかと思ったのですが、最後にオチがあったのは良かった。
*“ことわざ”から学ぶ立場にたてば、そのことわざに対してニヤリと笑うのはお行儀が良くないので、口を隠しながらクスッと笑った。
「グット・ニュース」
十時のニュースはグット・ニュースしかしないという。
*ニュースは嫌な感じの言葉で始まるが、最後にむけて言葉尻が良くなっていく。
なので後味は悪くない。
しかし操作する意図は見えるので、
“終わり良ければすべて良しといえない”のが微妙な感じだ。
元々メディアで流れるニュース自体が、何が良くて何が悪いのかは誰も分からない。
我々は受け身。
ニュース自体各メディアが選択するものであり、本当に大事なニュースが無かったり、いらないニュースもあったり、「さじ」はこちら側にはない。
聞きたくないニュースもあるが、耳を塞ぐのも大人げない。
(なのでこの物語自体が超現実=シュールなのでしょう。)
ニュースを自分のものとするには自分の視点が定まらないといけない。
逆説ですが、“作られたニュースを見ないで済ごせる”のが、グット・ニュース”なのかも。
アナウンサーの方は仕事、納得できなくても業務を淡々とこなしてくれたことに対して、感謝をこめて微笑を返したい。
「能率のいい竹馬」
常識で考えると“能率のいい竹馬”はない。
様々な移動ツールがある近代的な時代に、竹馬が能率のいい馬(乗り物)と言えないからだ。
なので“能率優先の世間さま”からすると関心がないのは当たり前で、竹馬もそんなことは分かっている。
なので“僕”は、その立場に立ってモノを言えば良かったのだが、竹馬の質問に対して、オートマチックに知らないと答えてしまう。
竹馬からしたら非常に失礼な答えだった?
いままで使われてきた竹馬からしたら、熟考し悩んだうえで、言葉を選んで欲しかった。
“僕”が時間とって考えてくれたら、竹馬も能率という名前を外すことも考えていたのかも。
なので竹馬はがっかりした。
しかし“僕”がキョトンとしていたのも仕方ないこと。
能率優先の世界で楽な暮らしをしている私は、“僕”に対してダメだという資格はない。
なので笑えない。
「動物園」
公一郎さんと須賀子さんの会話。
動物を見て気持ちがハイになっているのかと思ったが、出てくる動物はいない。
出てくるのは牛とか馬とかラクダとか家畜。
ヒトが最初に出てきたし、食べ物である魚のヒラメも。
どうやら家庭の中に在る動物園なのかもしれない。
その中で男女二人がマウントの取り合いをしている。
仮面を付け替えている、演じていると言えばそうなのかもしれない‥。
生物の進化の頂点に立っているヒトとしては少し情けない。
毛色が違うヒトは動物としてはかなりシュールな存在。
その会話は動物園と呼べるようなものではない。
同じヒトとして二人を笑うことはできない。
「インド屋さん」
インド屋さんは口に出しやすい?。
いないときは特にそう、しかし家に来てしまうと少々面倒臭い。
昔の物売りのセールスマンの様だ。押しも強い。
ただお母さんにものが言えるので、息子の尊敬は受けている。
なので無下にいりませんと断るのもどうなのかと思われる。
かといって尊敬のまなざしで「分かりました。その通りにします」と言おうものなら、とんでもないものを押し付けられそうだ。
緩んだ笑顔をみせてはいけない・決して屈しない。
その信念に裏付けられた真剣な笑顔が“インド”をつくる。
立派な人になるためには大事なことだと思った。
しかしまた最初の印象に戻るようで恐縮なのですが、
やっぱり失礼で笑わない・調子のいいセールスマンを描いてるような気もする。
「もしょもしょ」
先生がぼちょぼちょに良いことをしたら、もしょもしょがお礼に来た話。
なんだかわからないのだけれど、とても面白くって、最後は大笑いしてしまった。
たぶん、登場した人や物の名前が変な名前なのと、会話が大阪弁で面白かったのが、笑いのツボをくすぐったのだと思う。
(あとそれまでの短編に比べて、この話が下世話だったので構えていなかった、油断したのもある)
「嘘つきニコル」
嘘つきニコルが僕の家に遊びに来た話。
展開が妙にリアル、先生もニコルも人間っぽいというべきか。
ニコルの嘘が妙にリアルなのも効果的でほっこり。
この作品は読むためのハードルが下がったように感じられた。
なので顔の筋肉をときはなして、安心して笑えた。
最後に
いつも思うのだが、村上さんの短編小説は最初に読んだときと読み返したときと面白さが違う。
今回もそれは一緒でした。
この本が特別だなと思ったのは、超短篇36本を読んでいくと、最後の方にいくにつれて段々面白さが濃くなっていると感じるところ。
もしそれが当たっているとしたら、作家が短編の並びを考えて最後の方に笑いが深くなる作品を配置するように計算しているのか。または出版社の担当の人が並びを考えているのか、どちらかだろう。
(おそらく先生の計算によるものに違いない、ユーモアの構成力が凄いのだ)
今回はユーモアの中にある「微苦笑」について色々想像してみました。
これであってるのかといわれると全然自信はありません。
面白さや楽しさが少しでも伝わっていれば嬉しいです。
是非本を手に取って確かめてみてください。
「夜のくもざる」村上春樹著 新潮文庫刊を読んだ感想でした。
*最後までお読みいただきありがとうございました。
シンプルに書くよう注意しましたが、少々くどいのはご勘弁ください。
【注意】個人的な解釈です。