一人称単数 村上春樹著 文藝春秋刊 を読んだ感想になります。
「石のまくら」は、文學界2018年7月号に発表済み、「一人称単数」は書き下ろしとのこと。
この本には他に6編、計8編が収められています。
「石のまくら」
作者である僕が『大学2年生の時の思い出』で「一人の女性」について書いています。
人生の後半に差しかかり、自分の人生を振り返った時に手元に『歌集』が残っていた。
歌集をみて僕が大学2年生の時に、同じ職場でアルバイトをしていた年上の彼女を思いだします。
歌集は彼女の作ったもので『彼女の短歌』が載っている。
その活字を目で追い、歌を声を出して読んでいると彼女の体をそのまま再現できるという。
その名前も知らないし顔だってほとんど思い出もないのに‥‥。
感想
「人はまたたくまに老いてしまい、体は後戻りすることなく滅びへと向かっていく。」目を閉じて風が吹いて再度目を開けたときに、ささやかな記憶を含めて、自分のそばに残る言葉ってどのくらいあるのか。
生き延びた言葉を残すためにはどうしたらいいのか。
作者はそれを自分に問いています。
冬の月光が石のまくらを照らすときに、言葉を残すための答えがあるといいます。
この小説の題名「石のまくら」の意味が見えてきます。
自分は作者が人の人生の目的を考えるとき、残された言葉がキーになる。
例えば人生の意味を知る一つの方法として「言葉を見つけ出して残すこと」を挙げているのではないかととらえました。
彼女の思い出と歌集を中心にして語っているのですが、人生の目的や意味について考えさせられる哲学的な小説です。
「一人称単数」
主人公の男性は普段ほとんど着ないスーツを着て出かけていく。何か違和感を感じていながら。
鏡に映った自分はいったい誰なのだろう。
私は今ここにいて一人称単数の私として実在するのに。
カクテルを飲もうと一度も入ったことのないバーに入ると、中年の女性に声をかけれらる。
そして彼女は3年前の話をしてくる‥‥。
感想
きまぐれに普段着ないスーツ姿で出かけたことで、中年女性と遭遇して思いもよらない(しかし身に覚えのある?)記憶をよみがえらせるキッカケになった。
その瞬間スーツが違和感でなくなってしまった。忘れようとしていた、または完全に忘れていた?「ある嫌な思い出」を聞かされて、その感触にスーツが触れたのです。
主人公の彼は数年前にスーツを着て何かをしてしまったのだろうか。
違和感はあるのはそのせいか、しかしその記憶がないのが不思議です。
一人称単数で語れるほど人間は簡単にできていないのかもしれません。特に他人の目を通してみると‥。
自分はこの小説を読んで、忘れている記憶(昔の自分のしたことで)が心の隙間にスーッと入り込んできて、身に覚えはないのだけれども『罪悪感を思いだして脂汗が出てくる』そんな感覚を持ちました。不思議に自分にも在りうることなのではないかと思いました。
恐らく誰にでもあるのではないでしょうか。