*「変身×カフカ」新潮文庫刊を読んだ感想になります。
今回はとても有名な小説、フランツ・カフカの「変身」です。
なぜ1912年の名作「変身」の感想なのか?
実は先日村上春樹さんの短編「恋するザムザ」を読んだのですがよくわからず。
「恋するザムザ」はカフカの「変身」からインスピレーションを得て書いたものらしい、そこで「変身」を読むことにしました。
*ネタバレがあります。個人的な感想です。
少々長いので時間のある時に読んでいただけると嬉しいです。
変身×カフカ
【フランツ・カフカ(1883~1924)】
チェコスロバキアのプラハに生まれる。裕福なドイツ系ユダヤ人。プラハのドイツ系大学のカール大学進学し法律を学ぶ。24歳の時一般保険会社に臨時雇いとして入社、翌1908年7月より労働者災害保険局に勤める。働きながら短編小説などを発表していく。41歳の時に喉頭結核の為に死去した。

ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか…。謎は究明されぬまま、普段と変わらないありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様々な解釈を呼び起こした。
文庫の裏、紹介文より
おもな登場人物
「グレーゴル・ザムザ」
裕福な家庭に生まれる。グレーゴルは布地販売会社の事務員として働いていたが、父の事業が失敗。借金を抱えた一家は大ピンチに陥る。グレーゴルは家計を支えることを決意、歩合給の販売員に転職して家族を必死に守っている。
悪夢をみた後、自分が大きな虫に変身しているのを知る。
「グレーゴルの父」
プラハで高級ブティックを経営。家族に経済的に不自由をかけていなかったが、事業に失敗して借金を抱える。5年も働いていない為太っている。
「グレーゴルの母」
歳をとって喘息持ち、病弱で寝椅子の上で過ごすこともある。
息子グレーゴルの事を常に気にかけている。
「グレーテ」
グレーゴルの妹で17歳、苦労する事なく育った。バイオリンを上手に弾く、グレーゴルは妹を音楽学校に進学させる為に学費を稼ぐことを約束していた。
小説の冒頭を少し
グレーゴル・ザムザは、朝起きたら自分が巨大な虫に変わっていた。
その姿は、鎧のように堅い背、褐色の腹、腹の上には横に何本かの筋、たくさんの細い足がある。(辛うじて頭だけは人間のかたちを残している。)
グレーゴルは家族を支える存在であり、なんとか出社しようとする。
母と妹は巨大な虫になってしまった彼を支えようとする。
異常な事件に直面しても努めて普通に暮らそうとする家族。グレーゴルがなぜ変身したのか謎を明かそうとするものはいない。奇妙な日常は続いていく。
グレーゴルや家族の思いはかなえられず‥、時間は留まることを許さない。
変身が変えたこと
【家族のかたち】
グレーゴルの変身による監禁状態は、家族に大きな衝撃を与えた。
普通の家族で良かったのに、どうしてこんなことになったしまったのか?
家族の戸惑いが丁寧に描かれる。徐々に変化していく‥。
父親は息子の変化を認められない、家族への責任感から生まれる自身と息子への苛立ち。
母の息子への変わらぬ愛情とその行き場のなさがせつない。
その中で妹のグレーテは兄の変化を認め、兄の変わりゆく姿により添っていこうとする。
グレーゴルは変身の中で家族の対応を、変化を感じる。
次第に物質的な変身に心も順応できていくのだが。
【グレーゴルの心】
「グレーゴルの悲哀」
・身体は虫に変身したが、頭は変身してしてなかったこと。
・グレーゴルの言うことは何も理解されなかったのに、相手の言葉は理解できていたこと。
「グレーゴルが嫌だったこと」
・自分の姿を見て家族が怖がること。
・家族を経済的に苦しめること。
「グレーゴルが失ったこと」
・人間としての尊厳
「グレーゴルが知ったこと」
・父親の家族に対しての深い愛情、母親の子への愛。
・妹の成長と彼女が大人になったこと。
「かたち」の大切さについて考えた
生きることは思い通りにいかないことの方が多い。
しかしこの小説は異常すぎる。(つくり話と読み始めたのだけれど‥)
描写は心理描写など細やかでどこまでも深い、本当にありうるかもしれないと思うくらい。しかしそれがこの小説の狙いでないことは明らか。
なぜならば物語は最後まで淡々としているし、物語は進んでいっても先は見えない。
どこかで解放される話かと思いきや、それとは真逆に家族も深淵に向かう。
主人公は最初から最後まで表面に出てこない。答えは無い。
主人公は変身に反発しようとするが、次第に現実を受け入れ、なにものかに首を垂れる。
人には個体差があり、物体として同じではないのに、体の構成や機能は同じ。
言葉が通じることで無意識の共感があり、錯覚で日々生きている。
ゆえに人間として存在できる?。
変わりつつある身体の中で周りの対応も変わっていく。
「家族としてのかたち」を守ろうとするが、次第になにものかに飲み込まれていく。
人は「かたち」を守れなくなった時に、自我もなくなる怖さを知る。
この小説は何を描いているのか?
人は知らないうちに自分が変身してしまった時、「どう生きていくのか」、お話として読むと興味は尽きない。
この本はグレーゴルがどうして変身してしまったのかについて理由は書いていない。
だから兄が巨大な虫に変身してしまっても、周りは到底受け入れられない。
「見ることができないものには、なることができない」と語った宰相がいるそうだが、この小説においては、主人公は「見ることができないものに、なってしまう。」
日々相手に認知してもらう事が基本なのに、それが出来ず。外見が障害になる。言葉も話すことが出来なくなり、人としての立場が崩壊する。
もしこの小説が人間を描いているというならば、グレーゴルの心はどこに有るのかさえ混濁しわからない。
人間不条理が隠れている?
人間は「かたち」があってこそ関係図が作れる、許しあえる。
コミュニケーションには実は条件がついている。
グレーゴルも変身して初めてそれを知った。時間的な余裕はないまま。救いなのは母親の方に息子としての母性が残っていたこと。
グレーテは、グレーゴルの「かたち」でなく内面に対してのアプローチしてくれたこと。彼女の想像に基づいた試みが救いになりえた。
しかし感覚から入る情報は、冷徹にグレーゴルを追い詰める。
そいつはかなり力を持っていて、常に強い葛藤をつくり続ける。
それとの闘いがグレーゴルの心から親を遠ざけようとする。
感覚(五感)が生きるために障害を作り出し、生命を削ってしまう不条理がある。
元気だった心を蝕んでいく。
次第に彼を絶望の淵へ追い込んでいく。それでもグレーゴルは諦めないし、思いは家族にも伝わる?。しかし生命は止まることを許さない。
「かたち」があることでプラスにもマイナスにも働くことを。
人が機能として持っている「五感」は味方にもなるし敵にもなることを。
認知されてこその「ヒト」
本来足りていない存在であることに気がついた時、謙虚さが生まれ、他の『人の間に立つこと』で救われる。その生活こそが人としての価値に火を灯し、その旅をいくらか楽なものにしてくれる。
その基盤があってこその「感情が出せる」、「会話できる」。しかし普通の生活に慣れてしまうと、認知されることが、いかに難しく困難であったかを忘れてしまう。
条件は与えられていたのに。
「かたち」がなければ「人間が持っている本質的な悲しさ」を感じることも出来ない。
この小説は「超現実主義・シュルレアリスム」と称される
変身という事件が人間の命題や虚しさ、矛盾を浮き彫りにする。
突拍子もない話だけどリアル。小説であることを忘れる、その描写にひたすらページをめくり興味はおちることはない。哲学的だとか簡単に片付けられるものではない。そんなものは何処かに隠れてしまいそう。
あらゆる理屈が意味を成さず、この小説は完全に存在する。
本当にあり得ない話なのだけれども、色んなことを考えました。
「海外文学最高傑作のひとつ」と言われる意味を知りました。
*【シュルレアリスムとは】1920年代にフランスで始まった芸術運動である。
「超現実主義」と訳され、現実と非現実の境を曖昧にして夢や無意識の世界を表現する。
小説家としてのカフカは巨人
カフカは『20世紀最大の作家』とも称されている。
他の人が追いこすことのできないものを書いたことで革命や奇跡といわれる。
その後の作家たちに大きな影響を与えた。
*カフカについては様々な作家さんが研究しています。
「絶望名人カフカの人生論」フランツ・カフカ 、頭木弘樹編訳によると、フランツ・カフカは絶望名人であるといいます。
彼の日記やノートは日常の愚痴で満ちている。それは日常生活の愚痴ばかり、彼が関心のあるのは自分のことだけ。その発言は全てネガティブなことばかり。
カフカは偉人と称されているが、彼の言葉のネガティブさが人並み外れていることでカフカほど絶望できる人はいないからだという。
*最後までお読みいただきありがとうございました。
記事の内容については、一部「変身(まんがで読破)」イーストプレス刊を参考にしました。