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女のいない男たち-写真02

「ドライブ・マイ・カー」村上春樹著-感想-男と女の間にある永遠の問題-「女のいない男たち」より


短篇小説として評価が高い「女のいない男たち」を読んでみました。とても読みやすい小説でした。大人の主人公たちが淡々と語る物語は、男女の人生を覗いているようで物語に引き込まれます。
そして少し角度をつけてみると小説の後ろに「男と女の性質の違い」や「男と女の能力の違い」を発見しました。
今回は「ドライブ・マイ・カー」の感想になります。
【注意】ネタばれを含みます。小説を先に読むことをお勧めします。
*「女のいない男たち」村上春樹著 文藝春秋刊より







「ドライブ・マイ・カー」




男と女の「本質的な違い」と「勘違い」をえがく。




登場人物




家福:49歳の中年舞台俳優。妻との間に秘密を持つ。
:美人女優。家福と20年近い結婚生活の後亡くなった。
高槻:40代半ばの2枚目俳優。家福の妻と関係があった。
渡利みさき:家福の専属女性運転手。20代半ば165cm体格が良い。黒髪で目が大きい。運転が好きで上手だが素っ気ない。




簡単なあらすじ




家福は舞台俳優、車の接触事故で免停になり専属ドライバーを雇うことになる。やってきたのが若い女性「みさき」だった。少し親しくなり家福が彼自身と妻との秘密について語り始める。妻は時折他の男と寝ていた。しかし家福はそのことを気にしつつ「別の人格になり演技することでやり過ごしてきた」という。そんな彼の過去の行動を、運転手のみさきに話している。
死んだ妻がなぜ「男性俳優」と関係を持ったのかを解決するために、彼はその秘密を知る「俳優・高槻」本人と友達になった。その理由も語られる。家福と高槻の話をひとしきり聞いた後にみさきは、さりげなく家福にいう。
みさき自身の経験から、家福がとらわれているものは「病のようなものだ」「考えてどうなるものでもない」と。
それは家福に対して的確でやさしいアドバイスだった‥‥。




感想~男と女の夫婦間の「問題」を演技で解決する?




みさきは、家福が自己の気持ちに「本音」と「演技」の境目を付けて語るのを聞いて、家福の気持ちに寄り添って答えている。しかしその答えの裏には、女の本音も見える。彼女は「演技とそうでないものの間に境目はない」し、「女性は立場をすり替えないし、素の自分を主張するもの」と言っている様にも聞こえる。
男女間のその解釈の違いは、困ったことに対して、その本質から逃げる(目を背ける)か、逃げない(背けない)かの対応の違いから生まれているのかもしれない。




この小説は淡々と俳優と女優、運転手という目線で語られています。
*「若い女性」が「中年男性」の話を聞いているというのが『設定の妙』になります。




最初は普通と違う芸能界にすむ「夫婦の不思議な恋愛話」だと思い興味深く読んでいました。なぜ奥さんは他の男と関係を持ったのか。謎があったからです。
しかし登場人物をよく観察すると、普通に「人間臭い・ジメジメした話」でした。それは読んでいくと、男と女の「性質の違い」とそれによって起こる「勘違い」が浮き彫りになってくるからです。




【仮説をたててみた】
家福は俳優である。虚構の世界で脚色されたドラマのように妻と高槻の関係について語っているが、女のみさきには冷静に見透かされている?。「いつまでも昔の記憶を整理できないでいる態度にうんざりし」、家福の脚色通りには聞いていない。むしろ冷静に分析されていると仮定してみた。
おそらく特別な感情もなく‥、みさきの心の内がこの小説の読みどころ(推測の部分)でポイント。




男女間のすれ違いを生む原因とは?




小説では当然主人公の家福の視点ですすんでいますので、妻は悪者ではありませんが、どちらかといえば“非難されるような女”として描かれています。しかし果たして彼女はそんな女性だったのでしょうか?家福の考え方に対して冷静に意見してみました。




【小説で家福の言っていることに反論してみた~「一般論」です】




・夫婦と言えど元は他人でありお互いの気持ちがすべて理解できるわけがない。
・今はいない妻がやった事に対して、後から理由をつけても、所詮自身の思い込みが優勢になり話が正確ではない。
・男と女の間で起こった事について、その関係の深さから答えを求め解決しようとするのは「おごり」だ。
*ちょっと言いすぎかも‥しれませんが。




【家福との会話から、みさきの気持ちを想像した】




前段の反論はみさきも同様に思っていたことなのではないかと思います。それは家福が、表面上は大人の態度でふるまいつつも、内面ではいまだに「気持ちの整理がつけられず高槻に対して怒りがあったり」、「妻との関係を他の男との比較で確かめたりする(例えば一緒に暮らした年数など)」様子に対してで、家福がみさきに何気なく問いかけ意見を求めているところにあらわれている。
そんな中年男(家福)から聞かれたことに対しての、みさきの反応が読みどころです。

自分はみさきが、“個人的なことについて聞かないで欲しい”という気持ちを隠して答えていると思いました。

また妻が生きていて家福が聞いたとしても、妻が答えてくれたのかは分からないはず。言いかえると“過去に戻れたとしても家福が彼女のことを理解できたのかは疑問だ”ということもいっているようです。

また「記憶を残し続けて振り返ること」もあまり意味がないと思っている?
過去でも現在でも分からないものは分からない。という視点。




みさきは、家福の「妻との話」に疑問がうまれたのかもしれません。
(家福は妻が生きている時に、本当に妻を愛していたのか?を含めて) そして家福の様子を見るにつけて、みさきは家福の奥さんに共感した部分があった。




【男と女の人間観察能力の違い】




もう少し深読みすると「生きること」に対して男性と女性の真剣さの違いがあるのではないか。それは「人間観察能力」の違いでもあって、表面しか見ていない男性に対して、女性は相手の内面を「生きるための五感」と「直観力である六感」でとらえようとする。
みさきは100%家福の話をそのまま真実として聞いているわけではないのだ。




【男性の甘さ~女性にすべて話すことの意味】




女性である「みさき」が聞き手に回ることで浮き彫りになる物語があった。
それは男性のもつ思い込み(悲しさ)だったり滑稽さだったりする。
しかし彼女は第三者なので深い興味があるわけでもなく、その真実を語ることはない。そこにも男女間の意識の違い(溝)があって面白い。

女性に話すときはコミュニケーション(共感すること)できないと意味がないのに、家福は関係がない女性に自分の内面を語るという「勘違い」(甘さ)がある。







まとめ~男女間のコミュニケーションの難しさ




生命体としての人間学(もしそんな学問があるとしたら)については、女性は圧倒的に知識が豊富で、男性の知識はたかがしれている。頭の機能も違うのは知られています。




【男女の脳の構造の違いから見ても】
男女の脳の違いは大きさの他に「脳梁(のうりょう)」にも違いがあるといわれています。脳梁とは左右の大脳皮質をつなぐ結ぶ神経線維の束です。言語や知能といった情報が流れる「通信回路の役割」をはたしています。その脳梁の太さが『女性は男性よりも太い』ので、コミュニケーションにおける情報量が多い。
女性の会話が感情豊かで量も圧倒的に多いのに比べて、男の会話が貧弱ですぐ終わってしまうのを比べてみれば分かる。
男性としては残念なことですが。




男女間のコミュニケーション不足による「勘違い」が生む悲劇と、一人になっても「一向に変わらない男の生き方」が浮き彫りになっている。




この小説は“男性の欠けている部分(コミュニケーション不足)”が生んでしまった遺恨を物語として回想している。そしてみさきに問いかけている。時間も空間も変わっているのに自分の記憶を若い女の子に語っている。悔いが残っているのに、まるで物語であるように「演じているように」置き換えて語っている。




しかし家福はここでもみさきに対して「勘違い」「コミュニケーション不足」を繰り返している。そしてみさきがそれをどう思ったかについてはあまり語られていない。




「コミュニケーション不足は、男性と女性の永遠のテーマなのかもしれません」そこを物語に潜ませているのが村上春樹さんの凄さだと思いました。自分としてはそこが面白かったところです。




*この本を読んで色々なことが頭をよぎりました。ぜひ一度読んでみてください。
【注意】男性の目線での個人的な感想です。本当の女性の目線は分かりません。 最後まで読んでいただきありがとうございました。