ブラタモリ-ちばらきはニッポンの要-レビュー2-利根川を農業用水と水路に

【レビュー後半です】

利根川の泥処理に困った

地域の住民は試行錯誤のうえ、利根川が水と共に運んできた大量の泥を活用することにしました。
泥を上手に堆積させることで水田を作ることに成功したのでした。
幕府の事業によるマイナス面を逆手に取ったのです。

①水田と水路を作ることに成功した農民は、利根川を栄養豊富な農業用水として田んぼに米を実らせました。見事な食糧基地を作ったのです。
②利根川は同時に江戸への物資の運搬用水路としても活躍することになりました。

そして利根川がつくる中瀬と水路は、もう一つの役割をつくりました。それは遊覧船で回る『観光』です。水郷は観光名所になっていきました。船頭は農業の嫁が農業と兼業です。

江戸から観光客が船で来るようになり、遊覧船で利根川流域を回るルートが人気になりました。近くにある鹿島神宮・香取神宮へのお参り、潮来には遊郭もできて、霞ヶ浦・佐原周辺は様々な娯楽が楽しめる場所になりました。
*香取神宮のご利益は「勝負運・仕事運・厄払い・縁結び」などです。

ちばらきは、観光でも栄えていったのです。

利根川水運の要所『佐原』

佐原で生まれた偉人と言えば伊能忠敬です。江戸時代後期の測量家で、55歳から日本各地を17年間4万km歩いて回り、日本地図を完成させた偉い人です。

伊能が地図を作り始めたきっかけは、利根川の治水のための地図を作ったことです。この仕事でその技術を磨いていって日本地図を制作につながるのです。地図は正確で、昭和4年ころまでの100年間使われたという。まさしく日本地図は、日本近代化の要になりました。地図によって人々の意識も藩から国に変わっていくきっかけにもなったのです。地図が日本の国家をつくっていったのです。

ちばらきの人は自然と向き合って、目の前の課題に取り組み日本の要となるものを生み出してきたのです。

最後に感想

その昔、千葉県の北総部と茨城最南部は、大きい湖が広がっていました。
その中でちばらきの人たちは自然と格闘し開拓してきた。
だからこそ現在の東京を中心とする繁栄があるのだと思いました。

いまでこそ佐原周辺は米の生産地として有名ですが、豊かな環境も一朝一夕にできたものではなかったのですね。

人事でいうと、利根川の治水事業をすすめた徳川家康の実行力もすごいです。
公共事業、将来を見据えた国の政策は大切だなと思いました。

ちばらきは日本の要として、歴史上大切な役割を果たしてきたということがよく理解できました。

*香取神宮と鹿島神宮に息栖(いきす)神社(神栖市にあります)を加えた三社は、『東国三社』と呼ばれています。壮大なスケール・パワースポットとして最近注目されています。

*このブラタモリで次回に放送された『銚子』も利根川の水運によって物流・観光で栄えました。