独歩的な思想小説の代表作-「牛肉と馬鈴薯」国木田独歩著-感想

定本 国木田独歩全集 第二巻 より
*小説の前半についてのネタバレがあります。注意してください。

時代・場所

【時代】
明治30年ころ、冬のある日。
*この文章には年代は書かれていません。
(小説が発表されたのは34年11月です)

【場所】
芝區櫻田本郷町のお堀端
明治倶楽部という西洋風建物の2階
政治家・思想家・文人?の集まりが開かれている。

【登場人物】

岡本誠夫: 彼は『明治倶楽部』の会合に初めて参加する。5人は皆面識はあった。上村ひとりだけ面識なかった。彼は話(個々の人生観)が白熱していくうちに、自分の思想を話し始める。

竹内: 岡本のふるい朋友、この会合の仕切り役?。

上村北海道炭鉱会社の社員、色の白い中肉の品の良い紳士。多弁な人だ。最初竹内の「あなたの人生観を教えてくれ」という誘いから逃げていた。のち結局持論を披露する。

綿貫:背の低い、真黒のほほ髯を生やしている紳士。
井山:眼のしょぼしょぼした頭の薄いやせ型の紳士。
松木:座中で一番若そうな紳士、真面目?

近藤背が高く無口、一癖ある顔構えをしている。主にウイスキーを飲んでいるが、時々話に分け入る。最後まで岡本の話を真剣に聞いている。

前半のあらすじ

岡本誠夫は、冬の夜、友人の竹内をたずねて明治倶楽部の会合にやってくる。
会合は西洋館「明治倶楽部」2Fで開かれている、部屋はストーブがあり暖かい。
政治家・思想家・文人 ?の話の輪に加わる。

2Fにいたのは6人だ。ストーブの前に3人、少し離れ椅子に3人座っている。岡本は7人目だ。
岡本の姿を見るや、竹内はたって彼に椅子をすすめた。
岡本がただ一人面識がなかったのは「上村」で、竹内は彼を岡本に紹介する。

テーブルの上にはウイスキーの瓶があり皆飲みながら、熱く?「個々の人生観」について議論をしている。各人の説を話し始めているようだ。

どうやら「岡本の人生観」をもとに色々と持論や思想を議論をしていたのだが、間が悪く、それとも丁度良くか?、岡本が来たことで話がすすむ。

竹内が会合の仕切り役をしているようで、岡本が来た時は、丁度竹内が「上村」に彼の主義を発表させようとしていた。

*岡本の説(人生観)というのは、最初この文章には出てこない。話が進み後半に出てくる。
この時点の文脈から勝手に想像すると、「理想と実際は一致するべきもの?」ということらしい。
そしてこの説に対して竹内が正反対の説「理想と実際は到底一致しない」を主張している。

【理想】
考え得る最も完全なもの。観念において、一切の現実的不備と欠陥とを捨象し、願わしい条件をことごとく完全に具備させた状態。従ってまた、意志と努力との究極の目標として観念的に構成されたもの。
【実際】
想像は理論ではなく、実地の場合。現実の有様。事実。
出典:広辞苑第三版

どうやら『実際』と『理想』、どちらが人生において大切なものなのかについて、話が続いていたようだ。
酔いが回り?白熱するにつれて、議論は言葉の比喩におき変わっていく。

『実際』は「牛肉」で、『理想』は「馬鈴薯(ジャガいも)」に置き換えて話が進んでいる。
どちらが食べたいか。どちらが大切か、など話は真剣なんだけど冗談めかしているようでもある。
政治家や思想家などの話は、さらに発展し深くなっていく。

上村はその話の中心にいて、彼がジャガいもの大生産地、北海道出身だったので、東京にサヨナラして北海道へ出たこと、北海道の開拓話も加わってくる。「牛肉」「馬鈴薯」の話も順々に熱を帯び、「牛肉党(実際主義)」「馬鈴薯党(理想主義)」とは?など政治、「党になぞらえた比喩」も出てきて、得意げに話を展開していくのだ。

周りの仲間とのやりとりが、真剣で気難しい点もあるが悲壮感は感じられない。
しかし近藤は、上村の北海道の開拓話(ジャガイモばかり食べていたこと)に対して「馬鹿なんサ」と叱るように言う。
その近藤の一言から、岡本も話に本格的に参加してくる。

岡本は上村に『現在の自説』を問う。そして議論はさらに厚くなって、「党」から「主義」に上りつめていくのだ。

その話の盛り上がりが過ぎたころ、岡本の話は「牛肉で俗に和して生足りる」ということも、「馬鈴薯の嗜好という理想」にも従うことが出来ないという。
理由は「不思議な願いを持っているために、どちらとも決めることが出来ないでいる」からだという。

「それじゃ何だろう」という井本の疑問に岡本が答えたのは、比喩をなくした露骨なものだった。
岡本は「以前ある少女に懸想したことがある」。
不思議な願いを話す前にその辺から始めましょうという。

【懸想(けそう)】
異性におもいをかけること。恋い慕うこと。求愛すること。
出典:広辞苑第三版

その懸想した娘は「丸顔で色のくっきり白い肩つきの按排は西洋婦人のやうであり肉附が佳くつて而もなだらかで、眼は少し眠いやうな風の、パチリとはしないが物思に沈んでるという気味がある。
此眠に愛嬌を含めて凝然(じつ)とみつめられるなら大概の鉄腸漢も軟化しますなァ。處で僕は容易にやられてしまったのです」という。

この後小説は、馬鈴薯、ビフテキ党の話から、岡本の恋愛話に変わり、女性論・思想論に移っていく。
そして岡本は『自分の人生の願いが何なのか』について語っていくのです。

【ビフテキ】(ビーフステーキの訛)
牛肉を適当の厚さに切り、両面に塩・胡椒をつけ、フライパンまたは鉄板で焼いた料理。出典:広辞苑第三版

感想

ここまで書いた前半のあらすじのあと、岡本が本格的に話に参加し始める。

岡本が好きになった美人娘の話なのだが、まじめな話が俗っぽくなっていくのが展開として絶妙だ。「いいね」といいながら皆が乗り出してくる様子も楽しい。

先ほど話していた「主義」なんか、どこかへ行ってしまうのが愉快だ。
『なにかがはじけた瞬間』とでもいえば適当か。この会合の雰囲気の変化が議論の方向が変わったことを物語っている。

国木田独歩のユーモアのセンスが出ている。
独歩は「大切なのは体験すること」で、実際が中心にある。
主義はあとから付けたもの(あとづけ)で良いとでも言いたげだ。
料理でいえば、ビフテキ(牛肉)が主で馬鈴薯が副(添え物)としてあるものなのだ。

岡本の恋愛の話は、「理想と実際、どちらが人生で大切か」の議論を越え、彼のこれから語ろうとしていることにつなげている。物語の中心から一度はずれているようで、実は「人の心を支配するもの」を人間の恋心から始めているのだ。
*この難しいテーマを読む人の感情を繋ぐために、おもしろおかしく表現している?。

しかしここまで読んでもこの小説の『本当のテーマ』は少しも語られていません。
後半、独歩の思想や人生論のさらなる高みに物語は進んでいくのです。

物語の登場人物で言えば、岡本は「恋が人心を支配すること」を知ります。
そして恋以上に「人心の上に加わる大きな力」について語られていくのです。

追伸

あとがきによると、岡本誠夫は「国木田独歩」がモデル。
竹内は「竹越三叉」(歴史学者・思想史家)、綿貫は「渡邊勘十郎」(衆議院議員)、井山は「井上敬二郎」、松本は「松本君平」。上村と近藤だけは想像の人物と云っている。
明治倶楽部という建物は実際にあったそうです。

この時代は難病もあり、人により寿命も短い。「安穏として」人生を歩くことなど出来ない時代。
将来を嘱望された「思想家」「政治家」は、大きな目標を掲げ色々な夢を語ったのでしょう。

限られた時間の中で酒を酌み交わしながら議論する、皆が滅多に集まれるとは思えないので、貴重な楽しい時間だったはず。
主義や思想を語る場、友人との旧交を温める場、自分を確認する場など役目は多岐にわたっていたのではないのでしょうか。
この小説がそうであるように、時代を生きる仲間・ライバル同士の「思想をぶつけあう真剣勝負」の場であったかもしれません。

*これ以上は本当にネタバレになるので書きません。
人生における「独歩(岡本)が知りたかった不思議なる願い」に興味のある人は、ぜひ読んでみてください。
実際自分もこの小説をまだ理解していません。時間を空けてまた読んでみたいと思います。