今年2024年は映画「男はつらいよ」が始まって55周年という記念の年。
なので松竹映画「男はつらいよ」シリーズを監督された山田監督をテレビ番組やメディア等でよく見かける。
山田洋次さんは今年2024年でなんと93歳。
「寅さん」映画を国民的な映画につくりあげた人、昭和を代表するレジェンド。
映画を年に何度か観る習慣を作ったともいえるのではないでしょうか。
大学教授の「吉村英夫さん」が『山田洋次を観る』という本を書いています。
吉村さんは映画研究者であり山田洋次ファンとして有名な先生。
この本は愛知淑徳大学での「山田洋次論講座」の講義記録を中心として書かれている。
吉村氏は2007年から大学で山田洋次講座を担当し続けて10年がたった頃、山田監督自身に特別講義をしてもらえればと考えるようになった。講義が実現して監督と講座生7人とのシンポジウム形式となった。
この記事はその本を読んだ感想になります。
本の感想を書くつもりで始めましたが、山田監督の信念や生き方などを考える機会になりました。
長くなりました。2ページに分けています。時間のある時に読んでいただけると嬉しいです。
山田洋次監督が大学生を相手に講義をした。
山田洋次さんが、映画監督として大学生に何を語ったのか?興味がありました。
2008年に愛知淑徳大学生で開かれた講義の内容について一部分でありますが紹介します。
【講義の前後】
山田監督は1931年の生まれなので2008年当時は77歳。
2006年に「武士の一分」を演出、藤沢周平原作の山田時代劇三部作三作目をとり終えて、2008年は「母べえ」の演出をされています。
(講義したのはこの年の10月で、翌月11月に“よし恵夫人”を亡くしています。)
「山田洋次を観る」
寅さんの「男はつらいよ(第一作)」のシーンを観て、ワークショップが始まります。
山田監督は大学生に対して“あるシーン”について、どう思ったのかを問うていきます。
山田監督と学生とのやり取りはユーモアを交えながらも真剣です。
この本ではその監督の意図について吉村さんかが考察をしています。
自分の感想としては、監督が映画の大事なシーンをどうやって作っていったのかを疑似体験できました。
特別講義(ワークショップ)
・楽しいということの質について山田さんは学生に問う。
映画は楽しむために観る、ただ楽しければいいのか?と。山田さんは「楽しいものをつくるとは、一生をかけなければならない。ある意味命がけの仕事だと。
・小津安二郎の傑作「東京物語」の冒頭を観る。
登場人物がでて来るまでに色々と情報が詰められている。
山田さんは学生に、場所風景情景、登場人物の様子、時間など細かい質問をして学生の観察力を試している?
・同様に「武士の一分」についても質問する。木村拓哉さんを起用した理由など。
・寅さんの第1作のワンシーンを観ながら考える。
寅さんは20年振り位に自分の家に帰ってきて、散々迷惑なことをする。
そして寅さんの妹さくらの恋の物語がある。
博は印刷工場の工員、さくらに恋をしている。
寅さんにあなたの妹が好きだというが、寅さんは受け付けない。おまえ諦めろと言う。
その直後のシーン。博の愛の告白から5分位を皆で観る。
博はとらやにきて、最後に愛の告白をして、田舎に帰る。
電車のホームでさくらが追っかけていく。ところが電車だからすぐドアがしまっちゃいそうになるから、二人乗り込んじゃうね。
あれからどういうことがあったと思う。(監督の言葉と問い)
・山田監督が学生に問いかける。
このシーンで寅さんはどう考えていたのか?
さくらと鉄工所勤めのとの結婚について、寅さんの行動。
事件からの二人の気持ち。
さくらが帰ってきてどう言ったのか。
電車に乗り込んだ二人はその後どうしたのか、などとても細かく生徒に問いかけていきます。
*学生の答えはそれぞれが想像力を働かせて色々な意見がありました。
・監督はそのシーンを振り返る。
寅さんがさくらから結婚の話を聞くシーンを撮るときに、何度も取り直したことを語る。
それは寅(渥美さん)の受けの芝居が、しっくりこなかったためだと告白する。
そしてそういう想像力を観客に伝えるのが映画芸術なのだ。
想像したことを具体的に表現することが大切であり、きちんと言葉にして説明できなければいけないという。
何故、授業で映画を扱う(観る)のか。
教授は映画研究者であるとはいえ、大学の授業で扱うのはなぜ?
この本が書かれたのは平成。洋画に押されて日本映画に元気がなかった時代。
その当時の大学授業で、吉村さんは山田監督の娯楽映画を学生に見てもらうという冒険をしている。
観た感想について学生に問いかけ、学生の素直な感想を大事にして全体を構成しています。
以前より吉村先生は山田監督と親交があった。映画のロケ地にも足を運んだという。
ワークショップが実現したのは自分の授業時間を映画論に使えればのこと。
ある種の“実験”でもあったのではないかと思います。
予想より講義は人気になる。
学生の感想を読んでみるにつき、学生が色々な意見を持つきっかけななったということが分かります。
自分の知らない世界を映画で体験する。別の世界を知るきっかけをつくった。
山田監督、吉村教授の伝えたかったこととは?
・学生を前にして、自分の成功体験だけを語るのであれば、監督はこの講義を受けなかったと思う。
山田監督の学生に対しての質問に、その意思を強く感じた。
大学生の大半がいい会社に入り安定した生活をしたいという希望を持っているとすると、寅さんのフーテン暮らしは対極にある。山田監督は彼らの視点を想定しつつ話をしているはず。明るい未来を持つ若者だからこそ問いたいことがある。
山田さんが映画に対して持つこだわりとはなんだろう。
大切なことは細かな点にある?、考えることで講義は深くなる。
生徒とのワークショップにおいて、山田監督は映画のワンシーンに対して、時に学生に突っ込みをしたり、ユーモアを混ぜて和ませる。監督が講義自体を演出・構成している。
*自分の勝手な想像ですが、学生には画面を観て疑問に思ったり色々な興味を持って欲しい。
漠然と流されて生きるのでなく自分の周りの人生を観察して欲しい、可能性を耕して欲しい。
これが山田監督が生徒に問いかけている事であるとおもった。
夢だけは食っていけないと言っている?
寅さんは型破りの言動をするが、それだけでは面白くならない。商業映画はすべて計算されたもの。
職人技を駆使して、観客の期待に応えるものをつくっている。
売れる売れないには市場原理が働いている。自由につくってもいいものはできない。しっかりとした基礎と準備が必要。沢山のスタッフが関わって出来上がるもの。
経済の常識が存在する。面倒でリアルな世界がある。(それを乗り越えることで成功がある)
・吉村教授は、映画製作を通して、学生に映画の面白さとともに経済活動の一面も伝えているのでしょう。
山田さんの人生を知ることは出来なくても、会い対して想像してわかることもある。
映画をつくるのは多くの人の努力や工程が必要だが、それを相手に伝えるのはもっと大変なこと。
楽しませる映画をつくるのは簡単ではないことを伝えていると思った。
若者を対話する(知る)、知り得た経験を伝える、考える場所を提供する、真剣な姿勢をみせる、など映画から伝えたいことがある。
本人に会って話をすることで分かることがある。
会うことで興味がわき想像力が働きだす。
【追伸】吉村さんと“山田よし恵夫人”との関係
この講義の後、数日後に山田監督の妻「山田よし恵」さんはガンで亡くなられた。
*山田監督が愛知淑徳大学で特別講義をしたのは2008年の10月。
その翌月の11月に“よし恵夫人”を亡くしています。
この本の著者である吉村さんは、青山斎場での告別式に参列した。
奥さんとは以前から4-5回会ったことがあり、話をしたことがあった。
(しかしご本人の病気のことについては知らなかった)
この講義の依頼も監督には直接言えなくて、よし恵夫人に特授業をしてくれるよう監督に頼んで頂けないかと、お願いして実現したものだという。
夫人への話から山田さんに話が伝えられ、正式な手続きに進むことが出来たので、夫人への感謝の気持ちを忘れることはない。
なので講義の時には、吉村さんは夫人のことは知らず。
山田監督が到着された際に同行の秘書の方が「監督は疲れています。パネラーの学生さんとの打ち合わせ以外は、人とお会いすることは避けさせて欲しい」申し入れがあった。
実際に山田監督は疲れているように見えた。
しかし舞台に上がった瞬間から監督は元気に話を始めた。
ディスカッションは生き生きと進行して、会場は沸きに沸いた。
教授は“大学生は山田監督をあまり知らない”ので、ここまで盛り上がるとは想定していなかった。
山田監督は学生を自分の演出プランに完全にのせた。
締まった見事な講義だった。
しかしこのとき監督は自分はピンチに身を置いていた。
前日に監督の夫人が入院されていたからでした。
*ここまでお読みいただきありがとうございました。
「山田洋次を観る」吉村英夫著-を読んだ感想でした。
次ページでは2024年7月に東京で行われた「寅さん公開55周年記念フィルムコンサート」を観て思ったことを書いています。時間があるときに読んでいただけると嬉しいです。
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