最近「すみっコぐらし」が流行っているようです。隅で仲間が肩寄せ合ってしあわせに暮らしている姿に癒されます。
なぜ今「すみっこぐらし」が注目されているのでしょうか。
昭和「自分の居場所は自分で作る」
この言葉は自分も昭和のサラリーマン時代に先輩から言われたことで、努力して会社なり社会なり自分の生きる場所を作っていけよ、という意味です。会社で言えば役職とか、その人しかできない仕事などですかね。人生の先輩方から「自分の生活を作っていく為に必要不可欠だよ」と教えられてきました。
平成「ポジショニング」
スポーツのサッカーを例にとれば役割としてのポジショニングになります。「勝負の世界で勝つために、戦略として自分の位置をとる」というものです。目的は相手に勝つことで明確なので分かりやすく、実践的です。
令和「今の若者は居場所をつくるというより位置をとる?」
最近メディアなどから聞いていて驚いたのは、今の若者たちは、「自分の居場所を自分で作る」方法として、周りの人の性格やキャラクターを分析して、その集団で開いているところに「自分の位置をとる」ことをしているらしいです。
例えば学校のクラスの中で性格や特徴など色々な個性があるなかで、自分はどういうキャラクターでどこがふさわしいか考えて、「その位置どりをする」らしいのです。その集団の中ではある意味安定した居場所を確保できる手段なのでしょうか。
平成から令和「自分の位置が考えられるくらい余裕がある」
近年はスマホなど便利な機器が学生でも簡単に利用できて、ノウハウは調べれば出てくる。努力をカバーできる手段は増えている。しかし自分を人間関係をはかる機械はまだないので、位置取りは自分でやらないといけないのでやる。
平成から令和「人間関係は一層複雑に」
一方学校でいじめが深刻な問題として取り上げられてしばらくたちます。家庭内では虐待があることが分かってきています。いつの時代も「人間関係というのは簡単ではない」のは昔から変わっていません。
平成から令和「やることが多様化して時間が足りない」
時間が足らなくなっているので、相対することで時間をつくり友達になる、それから周りの空気を読むという工程が少なくなっている。人間関係を作る時間が無くなってきている。(むしろ人間関係を想定しておいて持っていき試してみる?)
共通「仕事の上でも自分の位置を確保するのは大変」
働き方も多様化しています、社員も決して安定したポストにいられるわけではありません。契約社員やバイトなど働き方もさまざまです。競争も激しくなり会社も安定して落ち着いて働き方を提供しにくい。固定化は変化への対応が遅れるなどの思惑もあります。
共通「立ち位置が大切になってくる」
大人の社会でも自分の環境に変化に対応することが求められています。「人間関係を分析して生きる」ということは、人生で大きな関心事になっている。若い子はそれを敏感にとらえ、立ち位置を重要視しているのではないのでしょうか。
令和から将来「生き方は賢い方へ進化している?」
古い人間の私は、その位置取りを「賢い」と思う一方で「そっちに行くの」という意味で驚いてしまった。
高い技術の結晶であるスマホを一人一台もつ現代、当然人間も劇的に進化していくのかなと思うのだが、そうでもないのかもしれない。
すべての情報が簡単に手に入るという事は、冒険を冒してまで新たな知恵を得ようとする力も奪っていかないか。それが人間の活力を奪っていくのではないか、そんな懸念が出てきました。
またデバイスの進化であっても、急速に視野が広がるという事は、それについていけない人や変化を不安に思う人もいるはずです。
数年前は「情報の取捨選択が大切だ」といっていましたが、今は情報量も増えて情報の波で頭が一杯になり、情報があふれてしまう状態で自己意識が薄くなっていないでしょうか。
現代の位置取りで大切なことは、「実社会で自分を位置を確認できる場所、周りを見る定点観測地点を作ること」なのではないでしょうか
最初に戻りますが、キャラクターの世界とはいえ「隅っこで仲良く暮らしている」のがうらやましく見えてきました。将来的には良いのか悪いのかは分かりませんが、少なくとも今は賢い選択と言えそうです。
隅っこ暮らしが「観ていて何か癒される」「うらやましく思う」のも当然なのかもしれません。
最近は自分のまわり「数メーターが平和」であること、それが大切と考える人も増えているそうです。
*ホント余談ですが、ちばらぎ地域「銚子」も隅っこです。隅っこというより端っこかな、その点では他の地域に負けません。今笑った方もいるでしょう、しかし現代は「テレワーク」もあるんですよ。端っこが人気の住居地になる可能性もあるんです。かなり無理はありますが(汗…)。