猫を飼っている方も多いのではないでしょうか。とても癒される存在です。
いまや猫はブームでなく話題は常にあり。お店で猫の日限定のメニューやグッツ販売なども行われ生活に溶け込んでいます。
数年前から経済活動のために、猫を「擬人化する」ことが流行りました。
(猫から学ぼうなど‥)猫の行動については分析されていても、感情についてはあまり語られていない気がします。
猫に間違えた解釈をつけて見ていないでしょうか。
“猫を人間の枠に当てはめようとする”ことから生まれるのでしょう。
今回は以前より疑問に思っていた「猫の感情ってどういうものだろう?」という素朴な疑問について考えてみました。猫と人の感情の違いから考えを巡らせています。

*数十年前に書かれた“猫の感情”について書かれた本を読み、猫の感情・愛情・感覚について勉強しました。その知識に自分なりの分析を加え考察しています。
【注意】この記事は家猫ではなく、『ご飯をもらいにきている、半分野良生活をしている猫』を想定して書いています。
*あくまでも個人的な意見です。
(人間は)猫は“感情そのもの”というけれど‥
人間の基本的な感情6種類といわれます、それは、幸福、悲しみ、怒り、恐れ、嫌悪、驚き、です。
ある本によると猫にも同じような「感情がある」といいます。
それは自己愛(ナルシシズム)、愛、満足、愛着、嫉妬、恐れ、怒り、好奇心、遊び好き、というものです。
かりに猫のあらゆる行動は「感情」に導かれているとして、それを確めようとすると‥。破綻はないが、その考え方に少々違和感がうまれてきます。
人間は『猫に必要とされたい』がゆえに、様々な理由をつけて都合の良い分析していないか?。
人間が持っている猫の感情のイメージはあっているのだろうか。
猫の感情とは、人間と同じような感情ではないのではないかと?
(人間は)猫をあるがままに受け入れているか?
感情でなく類型化しているだけ?
・『猫はナルシストだ』といわれる。猫が人間の都合で自分の予定を変えようとしないからだという。
猫をコントロールしようとするのは不可能なので、ナルシシズムというカテゴリーに分類する。人間のつくった勝手なカテゴリーであり、感情ではない。
(犬との相対的な比較で位置づけている?)
あたり前だが猫をあるがままに受け入れるべきではないだろうか。
自然に出た反応でなく、人に感謝?
・猫は食べる前に、やってきて私の脚に体をこすりつけながら、のどを大きくゴロゴロと鳴らすのは感謝?だというが、そう単純だろうか。
猫は自給自足の生き物として生きてきたので、人間は『時に信頼してもいい存在である』ことをその習慣から感じている。(人はその過程を一片を見ている)
(勘違い?)愛情というより信頼関係が強くする絆
・やさしく撫でてやると、猫は人間を見上げる。その眼差しを人間は愛慕と信じたい。
しかし猫は(その生きかたから)猫か人間かを選ぶのであれは、家猫でないかぎり同じ種族の猫を選ぶであろう。野良猫であっても争っているばかりではない。十分な餌があれば、猫同士お互いに寛容になるという。
おそらく猫は、人間・猫のどちらにも慣れるという能力をもっている。
仲間意識
・信頼という関係ができあがった人間とは、 理屈では語れない目に見えない絆があり、その絆が猫の行動に変化をもたらすという。
猫の絆は人間の感覚を超える『仲間意識』であり、人間が理解できるとは思えない。(人間も古代には持っていたものかもしれないが‥)
絆から“してあげたから‥であって欲しい”という感情が、人の方に生まれる。
猫との場面を取り上げて愛だと悲しみとか怒りとか解釈をつけているのではないか。
(猫にとって)感情?が生まれる瞬間
安全で危険がない状態であること
猫は安全が確保できている状態を望む。 愛してる。無防備であることを嫌う。『安全で危険がないという環境』にいるとき満足できる。
過度に臆病であるという猫の特質からくる。
警戒から一時でも解放させてくれるからだろう。それは幸福感に近い。継続に担保されない。
その一瞬に自分自身に満足する
猫はのどを鳴らし存在を体現してみせる?
野生猫はむやみに啼くわけにはいかないが、家猫ならできるので人間が目にして記憶される。
それが甘えであったり・要求であったり、意思を伝達しているかといわれると疑問。“満足しているから啼く”は人間の主観が入りこんでいる。
満足以外にも猫は、苦しいときや、出産間近の母猫などのどを鳴らすことが多い。なので鳴くことは満足のみを伝達しているのではない。
(人間は)感情をコントロールしていると信じる動物
人間は、他者の悲しみを想像し他者の不幸を感じることができると信じている。“幸福も”その去就を自分で制御していると感じている。
そこに過信はないだろうか。

(猫は)生きる歓びを大切にする
猫は満足することで幸せを感じとっているように見える。生きる歓びを大切にするという点で猫は人間より勝る。
自分のできることを知り、それ以上のことを自分にも他者にも求めていない。
人間は猫を喜ばせようと考えるが、猫のたりない部分を勝手に想像して埋めてあげることができるのか?
猫は元々野生で生きていて、人間がいなくても十分に満足している。
(猫は)自我没頭の境地を体現している
昔、猫は禅宗の僧堂で飼われていた。
『自我没頭の境地、自己の万能に驕ることなくただ自然の秩序を受け入れる。』
おだやかさと静けさと安寧と、陽光あふれる物憂さと、生命のすばらしさがそこにある。
その境地は自然な形の満足で、一瞬一瞬を十全に生きることで得られるのかもしれない。
【推測】(猫が)人間に求めるものとは
*少し話が飛躍します。
猫に気に入られようと室内に工夫を凝らしたとしても、家猫が心底欲しがっているのは、 戸外へ自分の出入りできる“小さな猫用ドア”なのではないか。
外界への愛着は、人間のつくりだしたものへの愛着よりも間違いなく強い。
室内で飼われている猫は寿命が長い傾向があるのは事実だろうが、幸福度が外にいる猫よりも勝っているというのは本当だろうか?(思い込みでないだろうか)
猫は自然にいて五感を研ぎすまし、野原で草花の匂いを嗅いだり、鳥や虫を追いかけたいのではないか。
その身体能力を発揮することなく、限られた空間で本当の幸福感が得られるのか?。
人間は制限されてもその一部に幸福があると思えるが、猫にとってその時は生活の質を上げるものだろうか。
猫にとっては“その本能を自由に表現できるかが全てであり生命”、“幸福という前に何よりも大事な事”ではないか。
(猫にとっての)愛情とは『愛着』?
猫は人間やものよりは「家」や「場所」が大事だと想像した。
猫は慣れ親しんだ家での生活や場所での生活に愛着をもっている。
これは猫にとって一番大事で、確かなことだから。
家や縄張りは『安全で生きるのに必要な事・モノが得られる』ことを意味している。そして『もしそこに人間がいたとしたらその人間との良好な関係をつくりたい』。
*猫は人間を含む環境に愛着を持っている。
*ここで、一言いいたくなった人いると思います
「猫には子に対する愛があるじゃないか?」と。
疑問は当然です。自分は母性愛をこう捉えます。
母性愛は生まれて持った本能であり、人間との関係とは別物。また感情でくくれるものではないと。
愛と愛情とを分けて考えました。
愛は親子など絶対の関係から生まれる、愛情は男女など他者に対して生まれるものとして。
母猫は外敵から命をかけてわが子を救うことが知られています。献身的な母性を発揮する。母性は哺乳類の本能であり、雌が我が子に対しての無償の愛であるのは言うまでもありません。
母性は絆を超えている。
【まとめ】猫にとって大切なこと、猫にとっての感情とは
猫には『9つの感覚(かんかく)がある』という。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、温覚、平衡感覚、方向と時間の感覚。どれも動物として生きるために必要な感覚だ。
この感覚を総動員して時間をかけて見極めて、のち信頼のおける人だとわかれば認める。
それは愛着や忠誠心などと簡単には分類できないのではないだろうか。
人との関係も少しでもおかしければ警戒して距離をつくる。
猫にとっては“人の感情”は大切だが、食料や場所はもっと大事にしている。猫は感情よりも“今の感覚”を大切している。
自分を信じて生きている。
(猫は感情をためない。感情は流れるものだと知っているから。)
(猫は)人間とは良きパートナーとして付き合っている。
*最後までお読みいただきありがとうございました。
【注意】半分野良生活をしている猫について考察しています。個人的な推測に基づく意見でした。
*【蛇足】(妄想です)人間の感情とは動物として食住を心配しないで済むようになり、衣を気にし始めた所から育ってきたのではないかと想像しました。(進化の過程で生まれてきた、周りを気にし始めてから大きくなってきた?)
**ひねくれた記事ととられないか一抹の不安はありますが、記事として出してみました(-_-;)**