【本のレビュー】村上春樹著-午後の最後の芝生-感想-求められていたから出来たことがある

「午後の最後の芝生」を読んだ感想になります。ネタバレを含みます。
小説を読んでからこの記事を読むことをお勧めします。
*「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹著 中公文庫刊より。
午後の最後の芝生は1982年8月宝島に発表されている短編です(あとがきより)。

午後の最後の芝生

簡単なあらすじ(冒頭)

主人公の彼は現在三十代前半の小説家。
十四年前の十八歳くらいの時にに“芝生を刈る仕事”をしていた。その頃を振り返っている。

付き合っている彼女がいて、芝生を刈ることは彼女と遊びに行くためにお金を稼ぐための手段に過ぎなかった。
そして芝生を刈ることで些細な事もリセットすることが出来ていた。もちろん自分の性にもあっていた。

しかし自分のだらしない女性関係?が原因で、彼女と別れることになってしまう。
そして時間が経つほどにその後悔が自分の気持ちの中に入ってくることになる。
次第に彼女が大切な人であることに気が付いた。

それまでは“芝生はよく見えていた”のだが、最近はそういう気持ちも失せている。
(それほど気持ちは落ち込んでいる?)
そして自分の生き方を振りかえりある決断をした。それは芝生を刈るのをやめるという事だ。
自分の人生をあらたなステージに進めることにした。

最後の仕事は“五十代の女性宅の芝生”を刈ることだった。

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感想:題にある“最後”の意味

終盤に登場する女の子の部屋

読み終えて印象に残ったのは小説の終盤
依頼主である中年女性の家で“女の子の部屋”を見せられる場面
その部屋が依頼主本人の部屋なのか、子供の部屋なのかは語られない。
ただ依頼主の中年女性がベットの上で彼を誘っているように思われる。(彼がそれに応えることはないが)

この部屋は依頼主の家にある。
しかし自分はこの部屋は彼が別れた“彼女の部屋”なのではないかと思った。
酔ったせいで、このティーンエイジャーの女の子の部屋が“昔の彼女の部屋に対しての想像”と交錯する。
彼は彼女の部屋に行くこともなく別れた、なのでそんなに深く付き合ったわけではない(何の感傷も浮かばない)。
しかし“彼女の部屋を想像させる部屋であったこと”が、彼の頭の中でうずまく欲望を抑えた。
欲望を抑える象徴的なもの”として部屋が登場している。

芝生(記憶)が残っている

この小説は所々に「彼と別れた彼女とのやり取り」が挿入される。(映画のフラッシュバックのように)

ふと頭をよぎったのだが、すでに彼女はこの世界にはいないのかもしれないということ。
この小説の依頼主の部屋のシーンは、彼女がなぜ死んだのかを知りたいという彼の潜在意識がつくりだしたもの。
そして欲望を抑える自分を示すことで(自分が変わった事を)“彼女へのつぐない”としている。
ただ自分が変わったとしても彼女の気持ちが戻るわけではないし自分に納得がいくわけでもない。
ただ時間が経った今、気持ちの整理をつけるときが来た。
芝生を刈っていると彼女を思い出す。芝生を刈るのをやめなければいけなかった。

小説の最後、現在に戻る。
以来彼は一度も芝生を刈っていないと言っている。十四年位経っているのに。

おそらく彼は彼が思うほど変われていない、あらたなステージには入れていない。
それは彼女に対して「特別な想い」があったから。

(でもその時は「好きだという気持ち」に対して自信が持てなかった)

彼女は「私が何かを求められているとは思えない」といった。
「僕の求めているのは芝を刈ることだけ」なんだと思い続けてきたが‥未だに返事はない。

求められていたらうまくやれたのかもしれない。
芝生を刈ることのように。
でもそれはもっと、ずっと先のことだろうという。

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*最後までお読みいただきありがとうございました。
【注意】個人的な感想です。